内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「居場所がない若者たち」を生み出す日本社会の病巣に至るには

2024-10-16 23:59:59 | 講義の余白から

 修士の演習で読んでいる『ケアとは何か』がきっかけとなり、出席している学生たちの多くが「居場所」に関心を持つようになった。一つには、「居場所」の問題が日本社会の現状をよりよく知る一つの手掛かりになるからであり、一つには、自分たち自身の問題として「居場所」はあるのかという問いが彼らのなかに生まれているからである。さらには、そこからそもそも人にとって「居場所」とは何なのかという問いにまで彼らの問題意識が深められようとしていることが授業で彼らの意見を聴いているとわかる。
 実際、日本のメディアで「居場所」という言葉を見かけることはほんとうに多くなった。今日、この言葉が使われている朝日新聞の二つの記事をネットで見つけた。それも、特に検索をかけて探そうとしてではなく、たまたまトップページを見ていたら目に入った。
 一つはまさに今日付け(日本時間では17日)の記事で、タイトルは、「暴力、脱走、そして野宿「このままだと死ぬ」 16歳が生き直す家」
 「「いいんだよ。頼って。何度でも」 今年7月、宇都宮市中心部に、そんなメッセージを掲げたシェアハウス「ぼっけもんの家」ができた。入居対象は、家出や非行など様々な事情で帰る家や居場所がなくなった若者。この夏、3人が新生活を始めた。」
 こう書き出された記事には、共同生活を始めた3人のうちの一人、0歳から児童養護施設で育ち、後に別の施設に移ったが、それら施設や学校で数々の問題を起こし、上掲のシェアハウスに辿り着く前には帰る場所もなく野宿をしていた16歳の少年のこと、このシェアハウスが作られた経緯、その代表者の話などが紹介されている。
 その代表者小川氏は栃木県の委託を受け、児童福祉法に基づき設置される自立援助ホームも運営している。ただ、入居には児童相談所の決定が必要で時間を要するため、その日住むところがない子を支援することができないと「ぼっけもんの家」を作ったという。
 「ぼっけもん」とは鹿児島の方言で「大胆、勇敢な人」の意味がある。小川代表は「ここにたどり着く子はどこか傷ついていたり、重荷を背負い込んでいたりする。生きる希望を失わず、勇敢に立ち向かってほしいという願いを込めた」と話す。
この記事に限らず、「居場所」が主題となっている記事では、「居場所がない」あるいはそれに近似した表現が「若者たち」と結びついて出てくる。そして、それらの若者たちのための居場所づくりの取り組みやそれをめぐる諸課題が話題となっている記事が多い。
 「こども家庭庁は、親の虐待などで家庭に居場所がないこども・若者の一時避難先として「こども若者シェルター」の整備を進める。全国の自治体がNPOに委託する形を想定し、児童養護施設や一時保護施設への入所を望まない子どもの受け皿にするという。6月に検討会を立ち上げており、今年度中に運用ガイドラインの策定を目指す。」
 こうこの記事は結ばれている。もちろん行政のこうした取り組みは必要であり、緊急性も高いことはよくわかる。SOSをさまざまな仕方で発信している若者たちは実際少なくない。しかし、少なからぬ若者たちが社会のなかで居場所を失い、ここまで追い詰められているのは、日本社会のもっと深いところに深刻な病巣があるからにほかならない。
 演習を通じて、その病巣に到達するまで問題意識を学生たちとともにあと4ヶ月かけて深めていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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