モンテーニュの城館は、ボルドー市の東およそ60キロ、ドルドーニュ川の岸辺から北へ3キロほどの距離にあります。その城館の一角に立つ円塔の三階がモンテーニュの書斎です。その書斎についてモンテーニュは『エセー』の中にかなり詳細な記述を残しています。ちょっと長くなりますが、保苅瑞穂氏の『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』(講談社学術文庫、2015年、原本、筑摩書房、2003年)の中の保苅氏自身の手になる訳を引きましょう。この訳の中に「居場所」という言葉が出てくるからです。
モンテーニュ自身のガイドにしたがって彼の書斎を訪問してみましょう。
書斎は塔の三階にある。一階は私の礼拝堂であり、ニ階は寝室とその続きの部屋であって、一人になるためによくそこで横になる。その上の階に大きな衣装部屋がある。昔は私の家で一番役に立たない場所だったが、私は生涯のほとんどの日々と、一日のほとんどの時間をそこで過ごしている。夜はそこには決していない。それに続いて、かなり小粋な小部屋がある。冬には暖炉に火を入れることができるし、じつに気持ちよく窓が作られている。そして、費用と面倒を恐れなければ、この面倒というのが私をあらゆる仕事から追い出すのであるが、その両側に、長さ百歩、幅十二歩の回廊を、同じ平面に簡単につけたすことができるだろう。別の用途のために築かれた壁が、どれもちょうどいい高さにあるからだ。すべての隠居所には散歩道がなければならない。私の考えは、座らせておいたのでは、眠ってしまう。私の精神は、足がそれを揺り動かさなければ、進まない。本なしで勉強するものは、誰もこうしたものである。
書斎の形は円形であって、私の机と椅子に必要なところだけが〔壁が〕平らになっている。そして壁面が湾曲しているので、私のまわりにぐるりと五段に並んだ本のすべてが一目で見渡せる。書斎は三方に視界が開けて、豊かで、遮るものがない眺望が楽しめ、内部には直径十六歩の空間がある。冬には総立て続けにここにはいない。私の家はその名が示すとおり、小高い丘の上に立っていて、ここほど風当たり強いところはないからだ。ほかから離れていて、来るのに少し骨が折れるのが気に入っている。運動になってその効果もあり、大勢のものを遠ざけておけるからだ。ここが私の居場所である。私はここの支配を純粋なものにして、この一隅だけは夫婦、親子、市民の共同体から守ろうと務めている。他の場所ではどこであっても、私の権威は言葉だけのもので、実際には曖昧なものである。私の考えでは、自分の家に、だれにも頼らず自由でいられる場所、とりわけ自分をねんごろに扱える場所、身を隠せる場所を持っていないものはみじめである!
最後の一文には、「みじめ(misérable)って、そりゃあそうかも知れませんけど、庶民にはそんな場所、縁がないのが普通ですよ」と半畳の一つも入れてみたくはありますが、それはともかく、「ここが私の居場所である。」という一文、原文は « C’est là mon siège. » です(表記は現代表記に改めています)。
この siège というフランス語は、「座席」「議席」「本部・本拠地」「源・中枢」「座」(カトリック世界での教皇や司教の)などの意味をもっています。「居場所」という訳は、上の引用の文脈のなかで適訳だと思います。堀田善衛の『ミッシェル 城館の人』にも同じ箇所が三回引用されていて、当該の一文は「ここが私の居場所である」とまったく同じ訳です。
白水社の宮川志朗訳(2014年)では「ここが、わたしの座席なのだ。」と訳されています。「座席」というと、飛行機や電車や劇場や映画館のそれをまず思い浮かべてしまいませんか。「シエージュ」とルビが振られてはいるのですが、「シエージュ」というフランス語を知らない人には、「なにそれ?」と、まったく理解の助けにはなりません。
関根秀雄訳(国書刊行会、2014年)では、「こここそわたしのお城である。」となっていて、ちょっとビックリしました。でも、確かに、「城」には、「自分だけの空間・分野・世界」(『三省堂国語辞典』第八版、2022年)、「むやみに他人の入ることを許さない、堅く守っている独自の領域」(『新明解国語辞典』第八版、三省堂、2020年)、「比喩的に、他人の侵入を許さない自分だけの世界の意にも使われる」(『明鏡国語辞典』第三版、大修館書店、2021年)、「他人の干渉を許さない、自分だけの領域のたとえ」(『新選国語辞典』第十版、小学館、2022年)などの語釈が見られますから、上の引用文の文脈からすれば、ありかも知れません。
ただ、現代日本語で「居場所」という言葉が持つようになった豊かなニュアンスを考えると、私は「居場所」という訳語に一票投じたく思います。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
いざや寝ん元日は又翌(あす)のこと 与謝蕪村
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