3.赤煉瓦工場が残る風景
水と緑のせせらぎ遊歩道から再び道路へ階段を上がると
「平治郎橋」という個人名の付いた橋が現れました。
この橋は明治41年竣工、
伊藤平治郎氏の尽力に感謝し、地元民の総意で平治郎の名前を付したそうです。
平治郎橋から広大なイオンモール見ながら歩いていると、赤煉瓦建物が見えてきました。
説明版があり
この赤レンガの建造物は、
「大正6年(1917)に創業した東洋紡績富田工場の敷地内に建てられていた、
原綿を保管する倉庫跡。
大正期の貴重な建造物して保管されていたので平成12年4月28日に登録有形文化財に指定された」
東洋紡績の中でも最大規模の富田工場も
栄枯盛衰
繊維産業が没落し流通業界の雄、イオンへとこの土地の持ち主も変遷していったのですね。
水と緑のせせらぎ遊歩道から再び道路へ階段を上がると
「平治郎橋」という個人名の付いた橋が現れました。
この橋は明治41年竣工、
伊藤平治郎氏の尽力に感謝し、地元民の総意で平治郎の名前を付したそうです。
平治郎橋から広大なイオンモール見ながら歩いていると、赤煉瓦建物が見えてきました。
説明版があり
この赤レンガの建造物は、
「大正6年(1917)に創業した東洋紡績富田工場の敷地内に建てられていた、
原綿を保管する倉庫跡。
大正期の貴重な建造物して保管されていたので平成12年4月28日に登録有形文化財に指定された」
東洋紡績の中でも最大規模の富田工場も
栄枯盛衰
繊維産業が没落し流通業界の雄、イオンへとこの土地の持ち主も変遷していったのですね。