こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

想い出かたちんば : 僕のおじいちゃん

2007-09-19 05:40:03 | 想い出かたちんば


夜中の1;30に寝たのに、4時に起きてしまい、眠れず。
今年始まった、睡眠のおかしさだ。
仕方がない。
静かな暗がりの中で、昔のことを思おう・・・。

***

僕のおじいちゃんは、母方・父方とも亡くなっているが、それぞれ想い出深い。

***

母方のおじいちゃんは、サザエさんの波平さんのようなイメージ。
<毛はあったし、あんな一般人ではないが>。
クロぶちのメガネに、鼻の下のヒゲ、それに着流し。

僕が、生まれた年の数ヶ月前に亡くなった。
会うことの出来なかったおじいちゃん。
よく、生まれ変わりと言われる。
隔世遺伝のように、自分は、親には似ていないが、おじいちゃんには似ている。
母には、よくそう言われる。

僕のおじいちゃんは、三ノ輪でタバコ屋をしていた。
指が、とあるスジで、少し無かったので、下町では、誰もが黙って応じた。

戦前のどさくさの中、タバコはタバコ屋の独占の物資だったので、ヤミタバコで大もうけした。

上野まで行き、あの駅前で、ヤミタバコをさばいた。
一般人がやるような、ショバ代など必要ないから、大量にさばけた。

幼い頃、自分は、飾ってあるおじいちゃんの写真ばかりを見ていた。
もはや会うことは出来ないが、話を聴いて育ったので、未だに、自分のそばにおじいちゃんが居てくれる気がする。

***

いっぽう、父方のおじいちゃんは、これまた日蓮宗のとある宗派の最高権力者=管長(かんちょう)にまで上り詰めたヒトだった。

現在、本山の京都と、出身の出雲の両方に、ホネが分骨されている。

寡黙で、背が高く、佐分利信(さぶり しん)に風体がそっくりの、居るだけで圧倒的な 存在感と迫力を持ったヒトだった。

自分は幼い頃、出雲に行くたびに、その檀家や小間使いさんのお迎えとお世話になった。今の会社勤めでは考えようもないが、寺と言うのは、そういう重層構造で出来ているのだ。

夏に行くと、毎朝、朝の「お勤め」として、庭掃除にぞうきんがけ、それに、お経を読むことを行った。
今では、忘れてしまったが、幼い頃、コドモの自分は、そのお経をすべて覚えていた。<コドモ恐るべし>

その宗教色の影響か?自分は、三島由紀夫の「金閣寺」ではないが、自分の中に宿る祖先からの血、神秘的なものへの憧憬が深い。
いっぽう、不純なけがらわしい血への嫌悪も大きい。

***

自分の血と背景・・・結ばれた上に広がる(見えないが)未だ繋がった世界。

自分は、その双方の血の上にいることを、改めて思う。
コメント
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