9時過ぎに珍しく帰ってきた。
ミケが玄関開けると家に入ってきてしまったが、疲れているので、かわいそうだが外に出した。
そうめん・ピザパン・冷奴とという不思議な組み合わせの夕食をむさぼる。
その後、横になって、久々にメレディス・モンクの「ドルメン・ミュージック」を聴いていたら、そのまま寝てしまった。
起きたら、夜中3:00を回っていた。
エアコンは付けっぱなし、灯りはつけっぱなし・・・。

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メレディス・モンクの音楽を、いわゆる「現代音楽」とくくってしまうのも勝手だが、音楽世界全てを、分け隔てなく見る視点でいくと、こんなに怖い音楽は無いものだと、初めて聴いたときの怖さがよぎった。
こういう「現代音楽」という枠にはめて、「知らなかったことにしよう」と、それによって安心させようとするのは、一種のニンゲンの自分の保身のための無意識のなせるワザかも知れない。
「世界の辺境の音楽」に興味があった好奇心旺盛の少年にとって、このメレディス・モンクは、衝撃とともに、ジャケットの怖さがとてつもなく印象に残っている。
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この「現代音楽」とくくろうとする無意識に反して、ポップ・ミュージックのフィールドにそれを持ち込んだのは、ブライアン・イーノである。
イーノは、「現代音楽」で使われている様々な音楽手法を、自らの音楽に取り込むことで、あらたな「不思議、大好き。」(BY 糸井重里)な音楽を作り続けてきた。
イーノの音楽の持つ異様な、ウラの顔の怖さというのは、こういう過激さにあった。

例えば、「ビフォア&アフター・サイエンス」に、「カーツス・リジョインダー」という曲があるが、この曲の背景で、「ティンランランラン・・・クワークワークワー・・・」という呪文のような声は、ダダイズムの画家でありアーチストであったカールシュビッターズが発表した古い古いダダの作品からの引用である。
かつて、80年代前半に、渡辺香津美のFMラジオ番組に大竹伸朗が出演した際に、そのナマのテープを、聞かせてもらったが、本当に不思議な永遠に続く不思議コトバの羅列だった。
こういうものを拾い上げて、作品に「隠喩」としてリミックスする手法を、ブライアン・イーノはよく摂る。
無意識に訴えかける怖さを、狂気を裏側に秘めた「確信犯」的音楽を、この頃のイーノは持っていた。
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ブライアン・イーノは戦略家であるから、80年初めに、「MY LIFE IN THE BUSH OF GHOSTS」という、デヴィッド・バーンとの競作の際にも、多くの「不思議な音」をエレクトロニクス+生楽器と組み合わせて、今までには無い革新的なアルバムを創った。
例えば、「ジザベル・スピリッツ」では、あるラジオ番組で、いわゆる「イタコ」的な交霊術を用いた相談番組で、交霊する「イタコ」と、それに引導されてうなされ・うめき声を上げる女性とのやり取りのテープをエレクトロニクスに絡めるという曲を作っている。
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こういったイーノの持つ怖さ・戦略性に深く共感し、それを自らの音楽に取り込んだのが、坂本龍一の「B-2UNIT」であるし、細野さんプロデュースのYMOのきわどい名盤「BGM」「テクノデリック」である。
しかし、こういう音楽自体の持つ見えないパワーのようなモノを秘めたアルバムというのが、最近、実に少ない。
いっとき、自分は、「エレクトロニカ」に、その過激さを覚えたモノだが、あの音楽も、多くのミュージシャンが、ただそれをなぞるだけの、チリチリ音に音遊び的な砂場で子供が遊んでいるだけの分野に成り下がってしまったが・・・・。
ああ、新しい音楽が早く生まれることを期待したいが、今年ももう既に8月間近。
何も今年も新しい「発見」「革命」が起きることなく終わってしまいそうな気がしている。
期待をしながらも、何も新しい事がおきないので、結局、自分は80年代の音楽ばかり聴いている日々である。