【先週のコチャコさん】
先週、コチャコさんに会った際には、いつもの通り、よくオオカミの遠吠えのようには鳴くものの、元気だった。
ところが、お袋さんからの電話に拠れば、ほんのここ数日の間に「おかしくなった」らしい。
この休み・日曜日に、近所の親切なお医者さんに行って3本注射をしたとのことだが、相変わらず食欲が無いという。
自分はそれを受けて、昨夜、彼女に会いに行った。
ところが食欲より何よりも、電話では解らなかった、確かに「おかしい」現実を直視してしまう。
ひそかに恐れていたことが起きてしまった。
内々には、間近に、この日が来る気がしていたことに、みずから気が付く。
コチャコさんは、鳴く声も頼りなげだが、両足がよろよろしながら・極めて遅い速度で歩くものの、なぜか部屋の四つ角やカベに向かって行く。
「そっちはダメ」と思っていると、まるで目が見えないかのように壁に当たって気付いて、それから方向転換をする。
何を目指しているのかは分からないが、容易にどこか行こうとするところにたどり着かないようだ。
「おしっこじゃないのかな?」と抱っこして、トイレの近くに降ろすが、どうもそうではないらしい。
そんな後も、周囲の物の配置に気付かずに当たったり、それによって後ずさりをしたりする。
こんなことは、今まで無い行動だった。
***
彼女が実家の庭にあらわれたのは、老父のノート(なぜかジャポニカ学習帳)によれば、自分がまだ大阪に居る1995年の11月頃のようである。
「産まれて3ヶ月程度じゃあないか?」という姿だった。
たぶん、産まれて捨てられたのだろう。迷った挙げ句に庭に現れたのだろう。
臆病で警戒心がとても強いネコだった。
老父は、数珠つなぎでエサを置いて室内におびきよせるものの、ドアを閉めると恐怖におののく。
そういうことを繰り返しながら、次第にてなづけて行ったとのこと。
やっと室内に居るようにはなったものの、いつも壁つたいに歩いてはニャアニャアと臆病に鳴いて、てなづけた老父だけには気を許しており、あやすと静かになり近くに居た。
その後、1996年4月に大阪から東京に舞い戻った自分は、後から現れた「よそ者」。
正月などは会っていたものの、ネコはそんな程度で人を認めはしない。
じいーっと見られて、近づこうと動くだけでよその場所に移動された。
当時は、今迄以上に垂れ目で、おびえた幼い優しい目をしていた。
そんな一定距離を置いた者同志の中、4月8日の夜の破水に始まり、まみちゃん・正(しょう)ちゃん・シロちゃん・瓜ん坊の4匹の子供が産まれる瞬間を見た。
子供たちとは、産まれたその時からの仲だったが、その後も、ネコらしい野生の警戒心強く・人に頼らず・安易に甘えない自律したコチャコは、孤高の場所でしか自分は見ることが出来なかった。
シロちゃん・瓜ん坊は「まあ、こんな可愛いネコちゃんを。」と2つの家族に引き取られ、その後、相棒2人が実家に残った。
しかし、正(しょう)ちゃんは交通事故で亡くなり、2009年10月12日にまみちゃんが亡くなる。
ここでコチャコさんは、実家で独りぼっちになる。
そこから1年半後。
2011年3月11日東日本大震災が発生した。
***
【昨夜のコチャコさん。目はしっかりしている。】
その後ちょうどではないが、しばらくしてコチャコの性格が一変した。
ずーっと触る事すら出来なかった自分に、コチャコは自ら近づいてきた。撫でることが自由に出来るようになった。さみしかったのかもしれない。
やっと16年目にして、彼女との間に交流が生まれたことに、自分でも驚いた。
やっと、お互いが通じ合ったことはしあわせだった。
ネコもヒトと同じで、歳を取ると子供にかえる、というが、表情やしぐさ、目の輝きにそれを感じた。
怖い顔をしたコチャコは、あまり見なくなった。
ただ、その後、奇妙なる行動が現れる。
一体何に向かって何をしたいのか分からないのだが、オオカミのような遠吠えを大きな声ですることが多くなった。
さみしいのか?おなかが空いたのか?どこか痛いのか?トイレの中がきたないのか?
そういった点を確認していくが、それらしき要因ではないことがわかるものの、何が彼女にそうさせているのかがわからない。
しかし、元気でご飯を食べ、猛烈にお水を飲み、それまで通り好奇心旺盛に色んな場所を巡るので、大きなことは無いと思ってきた。
ただ、それまで断固としてカリカリのキャットフードしか食べなかったのに、柔らかいほぐしたものを食べるようになった。
それも異変の1つではあった。
でも、大丈夫と思えるくらいの元気さだった。
***
昨夜のコチャコさんの奇妙な動き方。
さらには、昨夜の鳴き声はいつもの遠吠えのチカラ強さは無く、ガラガラ声だった。
かつてよぎっていた痴呆症、というものが浮かばざるを得なかった。
鳴くと抱っこして抱きしめる。するとその間だけ静かになる。
だが、降ろした途端に戻る。
そこで、声を掛けてお話しをしながら、首や顔や背中を撫でる。
すると、ノドをゴロゴロ言わせるだけには安心した。
数十分こうして2人で過ごすと、よたよたと長イスの後ろに入り丸くなり寝る。
しかし、再度起きると壁に当たりながら、方向感覚を失ったようなうろうろを繰り返す。
あまりにも、急な変化に動揺をする自分。
今はとにかく出来るだけ、行ける限りは実家に行き、様子を見ながら一緒に過ごす時間を増やすことと思っている。
長いこと付き合ってきたのだから。
■Ulrich Schnauss 「Knuddelmaus」■