こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年12月2日 月曜日 「NOT "IF" I KNOW IT」

2013-12-02 21:31:20 | 音楽帳
もしそうでなかったら・・・という愚問は、時間が不可逆である以上ありえないので、好まない。

だが、孤独な、楽器演奏と無縁であった文学青年・モリッシーが、その体内に鬱積した精神をドライヴさせてくれた過去の友人、ジョニー・マーと出会わなかったどうなっていたのだろうか?
モリッシーのライヴDVDが出ましたよ、というアマゾンからの案内を見ながら、そんなことがふとよぎった。

2人が結成したスミスは、ほんの数年で関係悪化し崩れ落ちた。
モリッシーの内界を開放させてくれた生命線であった、ジョニー・マーの去っていく後ろ姿・幻影がなかなか消えぬ中、モリッシーが手足をもがれても、自死せず・魂の危機を回避し・生命を維持出来た理由は何なんだろうか?

スミスの3枚目作品「クイーン・イズ・デッド」。
よくスミスを知る人は、このアルバムをこう語る。いよいよ、モリッシーの憎悪が剥き出しあらわになった作品、と。いくら英語が出来ないじぶんでも、怒りや憎悪が渦巻いていることは、A面が始まり一分で分かる。歪曲する音。
未だ、自分の魂がある種の状態になると聴きたくなるタイトル曲。音の気配が音楽のすべてであり、詞だけを抜粋して意味があるとは思わない。

■スミス 「クイーン・イズ・デッド」1986■
自分が、実際このアルバム「クイーン・イズ・デッド」すべてを聞き通したのは、リアルタイムでは無い。
一歩遅れた大学時代に、名ばかりの美術研究会に出入りする者たちからの影響。画材の匂いが充満し・汚いが心地良いシェルターのような部室で。
唐突に入部してきた「男色家やゲイ、ヨーロッパの退廃的な映画」に興味を持つ・ナゾの美女学生から。
あるいは、ギターが好きで・スミスが好きで、透けたサングラスを掛けてギターを弾く・友人ハブ噛み師匠からの影響で、デレク・ジャーマンが制作した「クイーン・イズ・デッド」のヴィデオを見ていた。

作品「クイーン・イズ・デッド」を聴き通したのは、20代後半の大阪時代。ハブ噛み師匠が、東京から定期的に送ってくれたカセットテープ。
自分はイギリス人では無いので、社会背景が絡み合うバンドや作品を、本質的には理解出来ないと思っている。
スミスで好きな曲はたくさんあるが、それでも彼らの作品のごく一部に過ぎない。
当時、イギリスのチャートにあり続け、多くの共鳴する若者の支持を受けたスミスについては、未だに本質的な理解を自分は出来ないと考えている。
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2013年12月1日 日曜日深夜 「アウト・オブ・ノイズ」

2013-12-02 00:10:14 | 音楽帳

■坂本龍一 「In The Red」2009■
夜、お風呂を沸かして浸かる。浸かって温かみを感じているうちに、すぐに湯は冷たくなってしまう。
追い炊きをして温かみを覚えるが、すぐに冷たくなってしまう。

熱いお茶を一杯煎れるが、その一杯を飲み干す前にぬるくなっていく。

独りに浸りたいときに、そうはなかなかさせてくれない。
そういう事象に、季節のある地の変化を知る。

30年前の1983年12月には、自分は病院に居た。
サウンドストリートで、アルバム「コーダ」に収録された「ジャパン」を聴いていたあの日。そこから30年とも思うが、十代の頃に思っていた時間の長さからすれば、思わぬような短さと感覚が捉えることもある。

ものさしという道具が変わると、時間感覚が変化する。そういう統合できない事象が散らばりながら、「今」は今後も進んでいくだろう。
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