
死のフチまで堕ちた地点から戻ってきたお袋。9月25日入院から、先週土曜日に実家に戻った。
徐々に、介護補助道具と継続してのリハビリテーションで、体調は戻っていくであろう。。。
そう思っていた自分が甘かった。
昨夜行くと、もう既に暴走状態。ガンガンとハードロックを掛けながら動きまくっている。
約2ヶ月+アルファ前の悲惨さが、まるで夢だったかのように。
強烈なる、このヒトのエネルギーは、未だ健在である。ひ弱なわたしは、人間を超えることは出来ない。
会うなり「今、ボンジョヴィのライヴやっている最中なんだよね。」
行くはずだった東京ドームのライヴチケットは、とうの昔に手元にあったが、夏時期に、数ヵ月後、まさかそのドームを見下ろす病室に入るとは、誰もが思わなかったこと。
病院が作成する生真面目な医療計画書に、本人希望目標欄という箇所があり、デジタルな文字で「12月のライヴに行くこと」と書いてあるのが、妙にせつなかった地点から、今では笑える真逆。
昨夜「また、ヴォルテージ上げ過ぎると、ケガするからおさえて、おさえて。頼むよ。」と言うが、そんな言葉程度でブレーキが掛かる人では無いことは分かってはいる。
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今では通り過ぎたが、「このままだと死んでしまう」という土壇場でどうしようもなくなって、同じ境遇に会った先輩にすがり、相談した際に言われた言葉。
「仕事は二の次で。『今、は二度と戻らない』のだから、取り返しが付かないのだから、後悔の無きよう、あくまで親中心に。
しかし、忘れてはならないのは、こういうときに、焦って色んなことが起きてしまうから、自分にも注意を怠らずにね。
たとえば、つい飛び出して、車にはねられたり。
あなた自身が、食べて・寝て・しっかり休むこと。」
良きアドバイスをもらいながら、それでも、この時期、そこにハマっていったのが、今になって俯瞰的に分かる。
下手な同情よりも、言葉が肉体を持ってくる。
具体例。
●何かをしたり・何かを思ったり・考えたり・・・しているのであろうが、我に気が付くと、夜中を過ぎている。
幾たびか、3時になって「寝なければ」。
●眠れるはずが、寝ておらずに、食べておらずに、タバコと酒の本数だけが増え、多くの音楽なり・映像は目や耳の前を通り過ぎたであろうが、かじりついた・とらわれた、何だかわからない何かがあるだけで、それが何だか分からない。
●粘着性強迫神経症者にしては、この数十日で、多くの忘れ物をして消えてしまったり、不意にモノにつまずいて大事なものを壊してしまった。
そして、ケガを負い、内出血する。
さまざまなことに振り回されているのは脳。
それまでは分かるのだが、具体的な「他者」を特定できぬまま、不可思議な状態に自分は居た。
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今では、その「キツネにつままれた」ような状態は脱した。この経験は貴重だと、今だから言える。
その他、思うことは多々あるが、それは次に回す。

■John Lennon 「War Is Over」1971■


