こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:ガゼボ「アイ・ライク・ショパン」

2020-09-29 21:00:00 | 音楽帳


ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」を初めて聴いたのは、1983年11月15日の深夜。
幸宏のオールナイトニッポンでのことだった。ロンドンと日本を行ったり来たりのトシ矢嶋さんが、当時最新のレコードから選んだ1曲が「アイ・ライク・ショパン」。この曲を聴くたびに、あの寒い夜、深夜放送を支えとして楽しみにしていた秋を思い出す。

この時点では、ガゼボの存在を何たるか?知っている人はほぼ皆無だったはずである。
その彼が国内で知られることになったのは、翌年1984年3月のアルバム発売が契機だったように思う。
ガゼボのシングル「アイ・ライク・ショパン」のポップスとしてのわかりやすさ。情緒的なものに弱い日本人はすぐに飛びつき、オリコンチャートにまで食い込んできた。



この曲はメロディアスで明解なわりには甘さが過剰。
後味残るような甘さ。そのへんが、ニューウエイヴの軌道上でヒットしたというのに、みんないまいちノリが悪く、引いてしまう面だった。ひょっとすると、このミュージシャン、底が浅いんじゃないのか?という直感。

天辰保文さんは、シングル盤紹介コーナーでこう書いている。
「真面目に考えると、何も書けなくなってくるような曲で、ユーロッパの哀愁が売り物。
極端に言えば、リチャード・クレイダーマンの世界だが、そうとも言い切れない。
どこか気になるところもある。いずれにしても、話題は集めそうだ。」
YesでもNoでもない。そんな何とも言えない微妙な表現が、この当時この曲が存在した位置を指し示している。



このガゼボのヒットに目を付けたレコード会社は、早々に日本語版「アイ・ライク・ショパン」を小林麻美に歌わせた。
日本語訳にユーミンを起用、というのは、いかにもである。だが、当時のオリコンチャートを見ると実に面白い。1984年日本はすでに狂うようにめまぐるしい情報過多の社会に入っていたが、その割にはヒット曲の息が長かった。

7月6日・・・「雨音はショパンの調べ」(小林麻美)6位、「アイ・ライク・ショパン」(ガゼボ)12位
8月3日・・・「雨音はショパンの調べ」(小林麻美)1位、「アイ・ライク・ショパン」(ガゼボ)14位
9月7日・・・「雨音はショパンの調べ」(小林麻美)9位

しかし、まさか小林麻美の曲が1位になるとは、制作者も音楽関係者も思わなかった珍事件。
これについて、小倉エージさんは当時の雑誌上にこう書いている。

「・・・小林麻美の”雨音はショパンの調べ”が1位っていうのは、ちょっとばかり衝撃的な出来事。
さる友人が、この曲がヒットした理由について、プロモーション・ビデオを使ったCMの成果でしょうね、と解説してくれた。タナカ君、そうでしょ?いや僕もあのCMについちゃ、TVで流れはじめると、ン?てな感じで吸いこまれちゃう。
で、本編というのか、一曲分のプロモーション・ビデオを見る限りにおいては、先月号でもふれたけど、冷たい肌ざわり。というよりも、低血圧風のそれもん。
それもんっていうのは、いかにもの小林麻美的イメージってことで、バサッとしなだれかかる髪の揺れる音が聞こえそうな、ゾクッとするキンチョー感にナマツバのみこんじゃう。
その曲、ビデオを離れて聞く分には、なまめかしいぬくもりがそこはかとなく漂う雰囲気があって、有線なんかで耳にすると、ビデオとは違う世界が広がっていく。ともかく、ヒットした秘密を知りたい。」

***

なんだかんだと言っているが、じぶん個人には「アイ・ライク・ショパン」は想い出深い曲。
秋めいてくると、この曲が聴きたくなる。


■Gazebo「 I Like Chopin」'83■


■小林麻美「雨音はショパンの調べ」'84■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする