この曲を初めて聴いたのは、1981年の暑い夏の夜だった。
5日間に渡って連続で、夏休みの企画としてNHK-FMで放送された「坂本龍一の電気的音楽講座」の中での1曲。
サイケデリック・ファーズのファースト・アルバムのこのジャケットのカッコよさ。
けだるい感じがたまらない。
ジャケット通り、妖しい雰囲気をたたえた初期のサイケデリック・ファーズは、実にカッコよかったが、次第に、その闇の世界から、化けの皮がはがれてしまったが・・・
この時代のリアル・タイムのファーズは、確実に1つの他に無い世界を持っていた。
大好きなこの「シスター・ヨーロッパ」以外にも、「Love My Way」「No Easy Street」という曲の素晴らしさは、是非オススメしたい。
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PS:このファースト・アルバムのカッコよさ/構図のアイデアは、後に、それをユーモラスに「プラスチックス」が真似して、使っている。
ニュー・ウェイヴが、日進月歩で輝いていた、あのまぶしい時代を思い出すと、ココロが燃える。
あっちがこう出てきたか!と思うと、こっちはこう出てやる!
・・・と言う具合に、ロンドン←----→TOKIOのバトルが、全体の音楽水準を上げて行った「幸福な時代」だった。
この曲もまた素晴らしく、リバーブのきいたドラムと不気味なサックスの音色が心地よいです。
プラスチックスは日本のバンドですか?カッコイイ!!
80年代後半も’87年に差し掛かるあたりから、革命的な事の起きない「終わりなき日常」の、もわ~たら~というだらしない緩みきった状態になって、自分も’87年以降急に音楽に対する熱情も信念も無くなってしまったというのが、現実です。
そこからは多様化の時代に入り、集中と分散で言う分散化傾向に入って行きました。
「プラスチックス」は確かにカッコよかったですよ。
79年か80年頃、夕方になると、17:45くらいかな?
なぜか小室等が司会の音楽番組を東京12チャンネルでやっていて、YMOと「同時多発ゲリラ」のように登場した、Pモデル、ヒカシュー、一風堂、そして、プラスチックスのスタジオ・ライブをやっていて、TVに見入っていた記憶があります。
学校でもYMOブームと同時に「プラスチックス」のファンも幾人か居て、その人にカセット・テープにダビングしてもらって、良く聴いていました(1枚目の「ウェルカム・プラスチックス」です)。
そして、2枚目「オリガト・プラスティコ」は更に渋くカッコよくなっていて、これはお小遣いで、当時2500円だった「ミュージック・テープ」で買って聴いていました。
個人的には、2枚目の方が、好きな曲が多くあり、オススメですが、2枚とも「はっきり言って・・・・GOOD!」です。
写真の「ウェルカム・バック」は、当時流行だったバハマの南洋スタジオでの、海外向けの再録音盤ですが、この時点で既にプラスチックスの解散は決まっていました。
元々、プラスチックスは音楽界では無い人が集まって出来たバンドで、そのまとめ役・音楽的サポートがエンジニアで活躍していた佐久間正英さんで、チカ、トシ、ハジメちゃん・・それぞれファッションだったり、アートだったり、音楽界では無い世界でメシを食っていた人たちでした。
いわば、素人集団ならではの発想が起爆剤となっていたのが「プラスチックス」の良さだったのですが、ニューヨークに進出したいというチカ&トシと他のメンバーとの意向のズレが発生し、佐久間さんは「もう、音楽界でのプロを志向しようとした段階で、このバンドの魅力は無くなる」という事で、無言のうちにユニットは散会させたものです。
その後、ハジメちゃんは、細野&高橋で作ったYENレーベルでソロ・デビューを果たしていきます・・・。
話し出すと止まらなくなりますが、本当にこの頃は、月次単位で日本&イギリスの音楽世界が躍進していて、夢のような日々でした。
うちのまわりでも人気あったよ
このころ本当に日進月歩?で毎日わくわくした
チカちゃんの腰の低さに恐縮したなー昔
、、からかわれてただけかもねw
コメントありがとうございます。
チカちゃんのパツパツの髪と大きい目とデジタル的な歌い方が「まさにテクノ!」でしたね。
「コピーコピー すべてはコピー ナウ!」