小旅から夜に帰ったら、TBSラジオから「ベティ・デイビスの瞳」が聴こえてきて遠くなる眼。
地方から東京に来る者が、世田谷区・目黒区という言葉とハイソなイメージ「だけ」に導かれ、そういった場に住まう。そういう田舎者をまじかに見る。
彼ら/彼女らは、町の隙間にあるほのかな微細な顕微鏡世界には眼もくれず、見事に「視えないフリ」をして暮らし・過ごし、排斥をし、見捨てる。
そこにある現実を無視する。
住所にある文字に、舞い込むチラシやハガキに自分の住所と名前の組み合わせを見い出し、悦に入っているどうしようも無い存在。
愛がそこには抜け落ちている。「見れくれ」と形式のみの世界。
実際は、全く現場の実態とは異なるし、自分はそんなイメージに心惹かれない。
というより、先人たちを想わない、人でなしのクソにしか思わない。
よそから地図・雑誌片手に、観光気分だけですみだに来る、一日だけの訪問者=お前もおんなじ。
■ビリー・ジョエル 「アレンタウン」1982■
いとしのすみだに愛をこめて。