こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2016年4月13日 水曜日 春のブルース

2016-04-14 01:27:13 | 音楽帳

朝目覚めると、外が薄暗い。
風呂に入ると沸かせていない。そういうこともあるだろう、焦るな、と昨夜の余熱と追い焚きでごまかす。

外に出ると雨。
電車に乗ると、まだ春の人間界はがたがた無駄なノイズを発生させている。

ひと仕事終えた帰り道も雨。あちこち痛みが走る苦しい夜。
傘を差しながらクリムゾンの「太陽と戦慄」を聴く島の暗がり。
「きょうの~仕事はつらかった~」と唄ってみる。眼から血が出そうなほど痛い。

岡林信康さんの山谷ブルース。
起きて家の外に出たら行き倒れた人を見る。それが日常茶飯事の三ノ輪風景だった。落ちているクソすら犬だか?人糞だか?も分からないどん詰まりの場所。そんな浅草・吉原・山谷・小塚原・千住に囲まれて育つ子供時代に始まっていたから、岡林さんが唄う哀しみを理解しているつもり。
だが、どっちかといえば、教授がスタジオレコーディングで缶詰めを終えた深夜。
幸宏と酒場で「ライディーン」のメロディーに合わせて二人で唄う山谷ブルースが欲しい。

赤ら顔で肩なんか組んで、箸をドラム替わりにチントンシャンと杯を叩いたりなんかして。
そんなことを想像するだけでも救われる夜がある。
それが今夜。

4月に入ってから、とても社会的にマジメな日々を”頑張って”いる。
疲れと心身不調から身を持ち崩してはいるけど、そんな今日さえ今日しかないのだ。
白井貴子のセリフの真似じゃなく、そう思えるだけマシ。三十半ばの可愛い後輩に死なれ、親は入院し、当人もぎくしゃくとデヴィッド・バーンみたいなぎこちない姿で必死な中。

ユーチューブでかつて観た「ライディーン」。
その動画は、一般の人が自分で写したんであろうブレる東京のビル群や人並みをバックにしたもの。苦笑というよりほほえみを伝えてくる代物。80年代当時なら『ださい』と言っていただろうが、今むしろダサくないかもしれない。

「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を否定して次へ向かい、立ち位置と焦点を移さざるを得なかったYMO。その不幸と幸福とほとんどビョーキと。。。
12~13歳の頃、涙を流しながら聞いていたはずのビリー・ジョエルの「素顔のままで」にさえに懐疑的で否定にならざるを得なかった13~15歳のYMO初期から「BGM」「テクノデリック」への謀反へ。リアルタイムでそれらを聴き、同時代お互い走れたハザマの15歳へ。

そんな航跡を辿りつつ「ライディーン」も「素顔のままで」も素直に酔える今は、オヤジの懐メロ扱いじゃなく、航海の末に出現した境地。体内に駆動させるためのガソリンを注ぎながら、ビーチボーイズ/ブライアン・ウィルソンらが、何周も回ってフラットに評価される今の幸福を想う。

三十余年響きは変わらないが、今夜のガソリン。

■YMO 「開け心~磁性紀のテーマ~」1980■
『あ~、もう、イヤ。(=YMO)だ~、け~、ど~、仕事さ。』各種エフェクターでマスキングされた幸宏ヴォイス。そこで吐露された心情。YMO初のノイズ化。
その後の謀反の出発点。









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