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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年12月10日 火曜日 「収容所に咲く華」

2013-12-10 23:21:21 | 音楽帳

とある場所の、とある民。
外に仕事に行く日は、出来うるだけ、そこで仕事を片付けるようにしている。
せめて、この日は収容所には戻らない。

しかし、多くの日々は、しょんべん臭い水商売の女やコビ犬どもと、鉄柵が張り巡らされた収容所に居る。
ほぼスポイルされつつある、孤立無援状態で。
居心地の悪さ。
干上がった寒々しい、ギスギスした精神病棟としての仕事場。
昔で言う隣組の世界。そんなセコい相互監視収容所には居たくはないのだが。

救いは、一杯の温かいコーヒー。
そして、唯一、すーっと勝手に付けることが許されているラジオ。
FMラジオから流れ出る音楽。
それが、ボクに幸福を運んでくれる。

周囲は相互監視収容所であろうとも、ハッピーが脳に充満する幸福に包まれる。
それがあるから、周囲に居る正気を失った者どもに引きずり込まれず、かろうじてしのいでいられる。

ボクのあたまのなかでだけ、くるくる回るパラボラアンテナは、良質の音楽が流れ出すと、
その電波をキャッチし、耳のチューニング機能が連動してはたらくように出来ている。

華が咲き乱れる数分が来てくれる予感。それを想いながら暮らすこと。
それが収容所くらしをすっ飛ばす、一番の脳内麻薬。



■ジョイ・ディヴィジョン 「アトモスフィア」1980■
沈黙のなかを歩く
沈黙のなかに、おいて行かないでくれ
油断するな
つねに、危険は待ち伏せしている

終わることのない語り
今一度、生きる道を組み立ててみる
おいて行かないでくれ

キミの困惑、ボクの幻覚
自己嫌悪という仮面を着けながら
相対し、そして、死をむかえる
おいて行かないでくれ

大衆にとっては、たやすいこと
素をさらし、適当に暮らす
川に獲物を求め、街をさまよう
だがそれもすぐに飽きて
人並みに居を構える

沈黙のなかに、おいて行かないでくれ



相も変わらずの身勝手な訳。
ヤフーさんのチカラを借り、参考にしながら。






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2013年12月9日 月曜日 「寝込め!小僧!」

2013-12-09 23:32:36 | 音楽帳

土曜は働き、日曜も早朝から実家の調度品入れ替え立会に始まり・夜まで。
元より寡黙な独りの時間が枯渇すると窒息する自分。今朝は死んでいた。

日曜、お袋の代わりに、兄と食材を買い出しに行く道で会話しながら尋ねられた。
「夜は、夜更かししているから、眠れないのかい?」
自分「いやあ、そればかりでは無いのだけれど。」
兄「夕ご飯を食べると眠くなって眠るんだが、こういう歳になると(6つ上の兄)そうそう長くは眠れなくなるものだね。」
自分「仕事のせいでは無いけれど、平日が睡眠不足になる分、休みになると10時間とか眠ってしまう。
こんな日々陽が短くなっていく時期だと困るね。起きたら、陽が沈みかけていたり。それを取り戻そうと外に出るのだけれども、あっという間に陽が沈む。
早く起きた日でも、昼に食を摂ったら、結果眠ってしまっていて同じようなもの。」

ようく有り体なだまし医学は、万人に分かりやすいプレゼンをする。
「生活リズムの乱れが、睡眠障害を産む」
「寝貯めは出来ない」
「歳を取ると、長い時間眠れない。それは、体力が衰えてくるからだ」

そういうウソ理屈から言うと、自分は万人では無いのだろう。
何かを求めて、本を立ち読みすれば、やたらと前向きな洗脳本がちまたには溢れているが、そこに自己体内とフィットするコトバを見い出すことは出来ない。
ゆえに文学なるものがあり、カフカやカミユや三島や色川武大さんのコトバに、肉を持ったリアリティを感じるのだろう。

この時期の朝の空や雲の美しさ、色付く枯葉、キーンとした空気。
そこに、もう駄目だ・・・という心象から見える、とてつもないいとおしさや親近感、という不可思議な磁石。
疲弊したなかから見える漆黒の夜の道、戻ったシェルターでの寸分の刻だって。



■Depeche Mode 「Waiting For The Night」1990■
夜のとばりが降りるのを待っている
救われるのを知っているから
暗闇のなかでは、あらわな現実から逃れられるから

すべてが耐えられる夜が来るのを、ボクは待ちつづけている

平静のなかに感じられるものは、落ち着きだけ
空にはひとつ星がかがやき、その光がボクを導く

そして、月の光の下で、釈放の刻は来る
ボクは夜を待っている



【1991年3月 ベニアにアクリル・ジェッソ・パステル・スプレーで着色】
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2013年12月7日 土曜日 デペッシュ・モード「ポリシー・オブ・トゥルース」

2013-12-07 22:12:59 | 音楽帳

社会に出る船出前。さぶい1990年の年末の、とある夜。
渋谷陽一さんのFM放送で出会った一曲。
あれから二十余年目の12月。仕事から帰った夜に、この曲が聴きたくなった。

■Depeche Mode 「Policy Of Truth」1990■
隠すべきものがあったとき、しっかり隠すべきだったと思わないか?

こうして、じぶんの立場に満足がいかなくなった、今となっては
ひとの忠告を聞かずに、若くして真実のポリシーを立ててしまった

その仕打ちを受ける時が来たようだね

もしかすると、まったく違うじぶんが居たかもしれないのに
昔は洗練されていたのに
もしウソをついてさえいれば、どうなっていたか?と
きっとキミは、一生いぶかりつづけるのだろう

しかし今更、何事も変えられない
もう成り行きと立ち向かうしかない

キミの真実のポリシーのなかで、証拠を述べてしまったのだから

「もう二度と・・・」キミはたしか、むかし、そう誓ったはずだった
それなのに、今、キミはそこに立ち、絶句している

いいかげん覚えてくれよ
隠すべきものは隠せ、話すべきものは話せ

もし、このまま忠実に真実のポリシーに拘るつもりなら
いつかきっと、暗闇が繁殖するのが見えてくるだろう












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2013年12月5日 木曜日 「峠と旅とそのあいだ」

2013-12-05 22:32:54 | 雑記帳

死のフチまで堕ちた地点から戻ってきたお袋。9月25日入院から、先週土曜日に実家に戻った。
徐々に、介護補助道具と継続してのリハビリテーションで、体調は戻っていくであろう。。。

そう思っていた自分が甘かった。

昨夜行くと、もう既に暴走状態。ガンガンとハードロックを掛けながら動きまくっている。
約2ヶ月+アルファ前の悲惨さが、まるで夢だったかのように。
強烈なる、このヒトのエネルギーは、未だ健在である。ひ弱なわたしは、人間を超えることは出来ない。

会うなり「今、ボンジョヴィのライヴやっている最中なんだよね。」
行くはずだった東京ドームのライヴチケットは、とうの昔に手元にあったが、夏時期に、数ヵ月後、まさかそのドームを見下ろす病室に入るとは、誰もが思わなかったこと。

病院が作成する生真面目な医療計画書に、本人希望目標欄という箇所があり、デジタルな文字で「12月のライヴに行くこと」と書いてあるのが、妙にせつなかった地点から、今では笑える真逆。

昨夜「また、ヴォルテージ上げ過ぎると、ケガするからおさえて、おさえて。頼むよ。」と言うが、そんな言葉程度でブレーキが掛かる人では無いことは分かってはいる。

***

今では通り過ぎたが、「このままだと死んでしまう」という土壇場でどうしようもなくなって、同じ境遇に会った先輩にすがり、相談した際に言われた言葉。
「仕事は二の次で。『今、は二度と戻らない』のだから、取り返しが付かないのだから、後悔の無きよう、あくまで親中心に。
しかし、忘れてはならないのは、こういうときに、焦って色んなことが起きてしまうから、自分にも注意を怠らずにね。
たとえば、つい飛び出して、車にはねられたり。
あなた自身が、食べて・寝て・しっかり休むこと。」

良きアドバイスをもらいながら、それでも、この時期、そこにハマっていったのが、今になって俯瞰的に分かる。
下手な同情よりも、言葉が肉体を持ってくる。

具体例。

●何かをしたり・何かを思ったり・考えたり・・・しているのであろうが、我に気が付くと、夜中を過ぎている。
幾たびか、3時になって「寝なければ」。

●眠れるはずが、寝ておらずに、食べておらずに、タバコと酒の本数だけが増え、多くの音楽なり・映像は目や耳の前を通り過ぎたであろうが、かじりついた・とらわれた、何だかわからない何かがあるだけで、それが何だか分からない。

●粘着性強迫神経症者にしては、この数十日で、多くの忘れ物をして消えてしまったり、不意にモノにつまずいて大事なものを壊してしまった。
そして、ケガを負い、内出血する。

さまざまなことに振り回されているのは脳。
それまでは分かるのだが、具体的な「他者」を特定できぬまま、不可思議な状態に自分は居た。

***

今では、その「キツネにつままれた」ような状態は脱した。この経験は貴重だと、今だから言える。
その他、思うことは多々あるが、それは次に回す。



■John Lennon 「War Is Over」1971■




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2013年12月2日 月曜日 「NOT "IF" I KNOW IT」

2013-12-02 21:31:20 | 音楽帳
もしそうでなかったら・・・という愚問は、時間が不可逆である以上ありえないので、好まない。

だが、孤独な、楽器演奏と無縁であった文学青年・モリッシーが、その体内に鬱積した精神をドライヴさせてくれた過去の友人、ジョニー・マーと出会わなかったどうなっていたのだろうか?
モリッシーのライヴDVDが出ましたよ、というアマゾンからの案内を見ながら、そんなことがふとよぎった。

2人が結成したスミスは、ほんの数年で関係悪化し崩れ落ちた。
モリッシーの内界を開放させてくれた生命線であった、ジョニー・マーの去っていく後ろ姿・幻影がなかなか消えぬ中、モリッシーが手足をもがれても、自死せず・魂の危機を回避し・生命を維持出来た理由は何なんだろうか?

スミスの3枚目作品「クイーン・イズ・デッド」。
よくスミスを知る人は、このアルバムをこう語る。いよいよ、モリッシーの憎悪が剥き出しあらわになった作品、と。いくら英語が出来ないじぶんでも、怒りや憎悪が渦巻いていることは、A面が始まり一分で分かる。歪曲する音。
未だ、自分の魂がある種の状態になると聴きたくなるタイトル曲。音の気配が音楽のすべてであり、詞だけを抜粋して意味があるとは思わない。

■スミス 「クイーン・イズ・デッド」1986■
自分が、実際このアルバム「クイーン・イズ・デッド」すべてを聞き通したのは、リアルタイムでは無い。
一歩遅れた大学時代に、名ばかりの美術研究会に出入りする者たちからの影響。画材の匂いが充満し・汚いが心地良いシェルターのような部室で。
唐突に入部してきた「男色家やゲイ、ヨーロッパの退廃的な映画」に興味を持つ・ナゾの美女学生から。
あるいは、ギターが好きで・スミスが好きで、透けたサングラスを掛けてギターを弾く・友人ハブ噛み師匠からの影響で、デレク・ジャーマンが制作した「クイーン・イズ・デッド」のヴィデオを見ていた。

作品「クイーン・イズ・デッド」を聴き通したのは、20代後半の大阪時代。ハブ噛み師匠が、東京から定期的に送ってくれたカセットテープ。
自分はイギリス人では無いので、社会背景が絡み合うバンドや作品を、本質的には理解出来ないと思っている。
スミスで好きな曲はたくさんあるが、それでも彼らの作品のごく一部に過ぎない。
当時、イギリスのチャートにあり続け、多くの共鳴する若者の支持を受けたスミスについては、未だに本質的な理解を自分は出来ないと考えている。
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2013年12月1日 日曜日深夜 「アウト・オブ・ノイズ」

2013-12-02 00:10:14 | 音楽帳

■坂本龍一 「In The Red」2009■
夜、お風呂を沸かして浸かる。浸かって温かみを感じているうちに、すぐに湯は冷たくなってしまう。
追い炊きをして温かみを覚えるが、すぐに冷たくなってしまう。

熱いお茶を一杯煎れるが、その一杯を飲み干す前にぬるくなっていく。

独りに浸りたいときに、そうはなかなかさせてくれない。
そういう事象に、季節のある地の変化を知る。

30年前の1983年12月には、自分は病院に居た。
サウンドストリートで、アルバム「コーダ」に収録された「ジャパン」を聴いていたあの日。そこから30年とも思うが、十代の頃に思っていた時間の長さからすれば、思わぬような短さと感覚が捉えることもある。

ものさしという道具が変わると、時間感覚が変化する。そういう統合できない事象が散らばりながら、「今」は今後も進んでいくだろう。
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