こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2016年2月3日 水曜日 雑記帳

2016-02-03 23:55:30 | 雑記帳

月一回の定期健診に行った。
勝手に「定期健診」と呼んでいるのは、いわば定点観測みたいなもので、大きく心身に問題が起きているわけじゃない。ヘルニアや腫瘍アリ、肝臓も決して良くはないが、何とかバランスをキープしている。この「何とか」とダメとの数ミリの幅は大きな違いだ。

こころの問題もその一つ。
もともとこころはカタチもないし目に視えない。果たしてこころなんて存在するか否かも不明だ。
診療面談・対話は、自分のような者には禅問答的になっていく。受け取る方が一歩間違えば妄想となるはずだし、視えないからこそ対話言語の源流を受け取れない限り、永遠に2人の会話は水に流れていくだけだ。
形式的に「具合はどうですか?」「わかりました」。そんな話した証拠記録担保だけを残して、処方箋を出すのみに終わる。クスリだけでこころは救われない。
日々引き直される等高線が織り成す地形とカオスの中で、何らかひとすじのCUEを誰もが掴みたいと思っている。

最近主治医と会話の源をめぐるキャッチボールが成立している。
お互いの歯車が合ってきた。そう思える。

***

昨日は、こんな話から始まった。

どうもこころの疲れが大きい。
親の病気への心労も多少はあるが、そのせいではない。

眠れない。
眠らない、と言ったほうがよいかもしれない。

親を見ながら、愛する生き物のありさまを視ては天命の短さを知る。
まさかこんな時間が早く過ぎようとは、そう強く思う。焦る。
毎日が勝負、を強く意識する。
今・ここのみがある。
眠りを削ってでもやりたいことをしたい。

それで毎夜、寝るのが3時近い。
まあ、幼いころからよくあることで、それが続いているだけでもありますが。。。

先生は、どうですか?
日々患者相手で疲れるでしょ。
先生「じつは、同じこと、いま思っているんですよ」。
珍しい表情と会話。ほぼ事実の吐露と聞こえた。
おあいそじゃない、彼の心情風景。

私「でも、先生はまだ若いから。私もですが(笑)」
先生「いや、そういうことじゃなくて。経年時間じゃなくて。」
先生は自分より一回り以上下の30代真ん中。年齢を質問したのは初めてだった。
苦労しているせいか、そうは見えない。
案の定、私の反応に対し、
先生「ふけてますかね?」
私「いえいえ」

先生「論文なり、研究なり、趣味なり、あれをやりたいな、やらねばな。
そう思って取り組むんだけど、それ以外に忙殺されて、一日があっという間に終わってしまう。それが一年単位でも同じ思いがして、この一年でどれだけ進んだんだろうか、やばいな、と思ってるんですよ。
もっと無駄なものに時間を掛けずに、やりたいことにまい進するにはどうしたらいいんだろうか。。。」

そこから長く話した。
先生「かたちんばさんで言えば、夜に音楽を聴く、絵を描くといったこと。。。それすら、ほんとうに好きでやっているんだろうか?実はそうではないんじゃないか?」
私「たしかに、そんな場合もありますね。
いつも“やりすぎてしまう”性分だし、自らでドツボにはまるみたいなこと多いですね。仕事以外で仕事をしちゃう。」
先生「しかし、こう言っていくと、じゃあ、いったい何が『やりたい』んだろう、って振り出しに戻っちゃう。答えが見つからない迷宮に入っていくわけなんですが。。。

少なくともこの2人が同じことを考えている、悩んでいるんですから、多かれ少なかれみんなも同じことを思っているんでしょう。
ただ、いずれにしても馬鹿らしいですよ。馬鹿らしいな、と思うわけです。・・・」

【スクラップブック(たぶん2002年頃)より】
音楽を何とか時間の経過に従って「整理して、伝えること」をしたいと思ってきた。それは自分のためであり、数少ない方へ多少なりともの明かりであれば。そう思っていた。
最近の結果は、途中まで書いて放り出したボツ原稿の山。
いろんなものが目減りしていくだけで、なんかうまくいかない。

ここから分かるのは、時系列に何かを理路整然とするなんざ、無理、ってこと。そんな残り時間もない。

ということで、勝手に作り上げたルールを壊す。そのときそのときに好き勝手なものを描いたり書いたり撮ったり黙ったり・・・脳の働きと同じように。
タイトルもいい加減(「仮題」でもいい)、文章も途中で切れていていいし、作りかけを載せるのもイイ、写真なんてあとから足せばいい。
こう書くといい加減だな、となるものだが、何もいい加減さを目指しているわけじゃない。それが一番自然であり、一番まっとうな姿なんじゃないか。例えば絵が描くにしたがって目指したところから逸脱していく、その逸脱したところに、自分すら意識しなかった何か、あらがったひっかきキズが勝手に浮かびあがってくる。そんなもんじゃないだろうか?

これは音楽で言えばイーノも・絵で言えば大竹伸朗さんもおんなじ言い方をしている。
あるいは、石野卓球さんがテクノを、意図しなかった意識からこぼれ堕ちるスキマ性と指したことだったり。

☆今夜の一曲☆

■ケミカル・ブラザース(フューチャリング・ベック) 「ワイド・オープン」2015■
最近好きな一曲。
歩きながら、あるいは電車のなかで、繰り返し繰り返し聴いている。

いろいろあるけど、それでも淡々と前に進むよ。
そう言っているかのような調子とハーモニー。そこに、何かとても励まされる。


コメント
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