二胡は教育産業ですね。
産業といえるほどにはまだなっていないかもしれませんが、
演奏者が、それも演奏のプロがそれほどいないということで言えば、
むしろ、教育だけの産業と言ってよいかもしれません。
たぶんこの先も、音楽のメジャーにまでなった演奏家がまだそれほど多く無いですし、
しばらくは、習い事というカテゴリーの中に入ってしまうでしょうね。
茶道、華道、あるいは剣道のように、教え教わる中で、楽器が販売され、譜面が販売され、
皆さんが音楽を楽しむ習い事でしょう。
二胡の演奏家で食べていける人が、もっと増えていかないと、その道を目指すという事もないと思うのです。
あの人のように演奏して演奏することで生活を成り立たせたいと思う人が、もっと出てこない限りは、
やはり教育産業でしょう。
だとしたら、もっと教育という事を真剣に考えられても良いのではないかと、最近思います。
究極は、いつかは自分も二胡の先生になりたいと思う人が十分にその訓練の一環になる教育システムというのは無いでしょうか
今の二胡の業界というのは、このうまくなりたいということが、真剣にとらえられていないという気もするのです。
楽器を習う以上、みなうまくなりたいというのがあるはずです。
お茶はお花は、何を基準にうまくなったというのか分かりにくいところがあります。
精神性のすごく強い物ですから、形だけでは収まりません
勿論お花にしろ、あの人のいけ方はとても花を生かして感動させるという人も勿論います。
お茶のお手前にしても、大変その茶会を感動的なものに仕立て上げる方もいます。
しかしそれはその世界に入り切ってなじまないとわかりにくいことかもしれませんが、
楽器の場合はうまい下手がとても露骨にわかります。
皆さんどうやって二胡始めたのでしょうか?
ふと、テレビなどで聞こえてきた音楽が気に入って。
たまたま、ある演奏者のインショップライヴなど聴いて、
あるいは中国で食事をしながら二胡の音を聴いて。
またあるいは友人に誘われて、ある演奏家のライヴを聴きに行って等々、
殆どの人に言えるのは、その二胡の音色にほれ込んでということでしょう。
では二胡習い始めようと、
カルチャーセンターやら、と有名な先生の教室に通うことになりました。
「わー、弦の間に弓が入っているんだ、蛇皮なんだと、最初の内は尾のめずらしく家で弾いてみます。
ところが、家族に嫌がられ、ネコに嫌がられ、犬に吠えられて、
二胡ってもっと良い音がするはずなんだけれど、、
とここで我慢した人は何とか1年を超えて、どうやらこうやら二胡らしい音になってきたりもしますね。
ところがこの間半年や一年未満のレッスンでやめる人の多いこと、
殆どの理由は自分が弾いても良い二胡の音にはならない。
これはもっと最初に教室の先生が気を付けても良い事の一つだと思うのですが、
先生の弾いている楽器はかなり良い音のする優秀な楽器であること、
そして、長年弾き込んでよい響きになってきている楽器であること、
そして、皆さんが初めて持った楽器は、初心者用はそれほどきちんと調整もされておらず、
雑音もかなり出る楽器であること。
これらの事がきちんと生徒さんに説明されているのかというのはとても疑問です。
そして初心者にこそ、今の粗雑な初心者用ではなく
もう少しきちっと調整されて弾き易い楽器が手渡されなければいけないのではないかと思うのです。
例えばの話、先生がいつも弾いている楽器を試しに弾かせてあげたとすればどうでしょう。
いくら、初心者とはいえ弾き込んだ楽器は、音が出しにくいとはいえそこそこの音色がするのではないでしょうか。
そしたら、生徒さんのやる気も違いませんか。
闇雲に、この楽器は良い楽器だからと売りつけるようなことをせず、
結果としてはこんな音に育っていくんだよと、みんなが希望を持てるというのはあるのではないでしょうか。
産業といえるほどにはまだなっていないかもしれませんが、
演奏者が、それも演奏のプロがそれほどいないということで言えば、
むしろ、教育だけの産業と言ってよいかもしれません。
たぶんこの先も、音楽のメジャーにまでなった演奏家がまだそれほど多く無いですし、
しばらくは、習い事というカテゴリーの中に入ってしまうでしょうね。
茶道、華道、あるいは剣道のように、教え教わる中で、楽器が販売され、譜面が販売され、
皆さんが音楽を楽しむ習い事でしょう。
二胡の演奏家で食べていける人が、もっと増えていかないと、その道を目指すという事もないと思うのです。
あの人のように演奏して演奏することで生活を成り立たせたいと思う人が、もっと出てこない限りは、
やはり教育産業でしょう。
だとしたら、もっと教育という事を真剣に考えられても良いのではないかと、最近思います。
究極は、いつかは自分も二胡の先生になりたいと思う人が十分にその訓練の一環になる教育システムというのは無いでしょうか
今の二胡の業界というのは、このうまくなりたいということが、真剣にとらえられていないという気もするのです。
楽器を習う以上、みなうまくなりたいというのがあるはずです。
お茶はお花は、何を基準にうまくなったというのか分かりにくいところがあります。
精神性のすごく強い物ですから、形だけでは収まりません
勿論お花にしろ、あの人のいけ方はとても花を生かして感動させるという人も勿論います。
お茶のお手前にしても、大変その茶会を感動的なものに仕立て上げる方もいます。
しかしそれはその世界に入り切ってなじまないとわかりにくいことかもしれませんが、
楽器の場合はうまい下手がとても露骨にわかります。
皆さんどうやって二胡始めたのでしょうか?
ふと、テレビなどで聞こえてきた音楽が気に入って。
たまたま、ある演奏者のインショップライヴなど聴いて、
あるいは中国で食事をしながら二胡の音を聴いて。
またあるいは友人に誘われて、ある演奏家のライヴを聴きに行って等々、
殆どの人に言えるのは、その二胡の音色にほれ込んでということでしょう。
では二胡習い始めようと、
カルチャーセンターやら、と有名な先生の教室に通うことになりました。
「わー、弦の間に弓が入っているんだ、蛇皮なんだと、最初の内は尾のめずらしく家で弾いてみます。
ところが、家族に嫌がられ、ネコに嫌がられ、犬に吠えられて、
二胡ってもっと良い音がするはずなんだけれど、、
とここで我慢した人は何とか1年を超えて、どうやらこうやら二胡らしい音になってきたりもしますね。
ところがこの間半年や一年未満のレッスンでやめる人の多いこと、
殆どの理由は自分が弾いても良い二胡の音にはならない。
これはもっと最初に教室の先生が気を付けても良い事の一つだと思うのですが、
先生の弾いている楽器はかなり良い音のする優秀な楽器であること、
そして、長年弾き込んでよい響きになってきている楽器であること、
そして、皆さんが初めて持った楽器は、初心者用はそれほどきちんと調整もされておらず、
雑音もかなり出る楽器であること。
これらの事がきちんと生徒さんに説明されているのかというのはとても疑問です。
そして初心者にこそ、今の粗雑な初心者用ではなく
もう少しきちっと調整されて弾き易い楽器が手渡されなければいけないのではないかと思うのです。
例えばの話、先生がいつも弾いている楽器を試しに弾かせてあげたとすればどうでしょう。
いくら、初心者とはいえ弾き込んだ楽器は、音が出しにくいとはいえそこそこの音色がするのではないでしょうか。
そしたら、生徒さんのやる気も違いませんか。
闇雲に、この楽器は良い楽器だからと売りつけるようなことをせず、
結果としてはこんな音に育っていくんだよと、みんなが希望を持てるというのはあるのではないでしょうか。