二胡の問題のひとつに、弾き方と言うのが確立していないという事が言えると思います。
ある先生はこのように、右手の中にすっぽりと握りこむように。
ある先生は、人差し指の第二関節に近い所で親指と握る、
或は弓は地面と平行に真平らに動かす。
あるいは弦と直角になるように少し右手が上がっていく、
胴と平行になるように弓を弾くまたは、少し引っかけっるように斜めになど、
本当に様々あります。
手の動きが柔らく見えるように動かすのと、手の動きが本当に脱力して柔らかく動かすのでは違いますが、
なんだか、柔らかく見えるようにと“見え方”で教える方もいます。
どれが正しいとはここでは私は言えませんが、ヴァイオリンなどは教える方の言う事はほとんどみな同じです。
弓を持たない、指を軽く添えて重さで弾いていく、これはチェロでも同じです。
そして弓がまっすぐに弦に対して直角に動かすこれも同じです。
最近は手首を使わないスピード重視の運弓もあるということですが、上の二つは変わりません。
ヴァイオリンの場合は、弓の完成度が高く、本当に弓の重さだけで弾くという感じに弾けます。私でも!
二胡も本来はそのようにあるべきではないかと思うのですが、
楽器としての二胡そのものに多少問題が有り、弓の重さだけでは本当の鳴りにならないというのもあります。
ですから、弓を弾く為の筋肉が出来ていく、或は、その腕のウエイトを乗せるという感覚が出来るまでは、本当に二胡を良い音で鳴らすことは出来にくいのです。
ですから、弦の引っ掛かりを感じられぐらいの安定した手の動きが出来ないと、どうしてもガーガーと闘うように弾いてしまう人も多くいます。
或は、反対に、皮の鳴る音だけで、二胡の音は小さくしか鳴らないなどと言う人もいます。
そこで最近少し重めの弓を使うのが流行ってきています。
重ければ多少引っ掛かりは良くなりますが、それは全体として重くなるだけなのです。
或は長さを求めて中には86㎝87㎝などと言う弓も販売されています。
長くなると、先端が少し重くなりますから引っ掛かりは良くなりますが、長さが十分に弾かれていない事と、長くなると扱い辛くなるということもあります。
身長が2メートルに近かったようなパガニーニでさえ、どうもそれほど特別なながさの弓をつかっていたわけではなさそうです。
弓を作るフェルナンブーコの張力の適正な長さが今の64㎝でしょうから。
二胡の弓の毛も実際に使うのは64㎝前後です。(ヴァイオリンと同じ長さです)
ところが竹の張力と言うのは、フェルナンブーコほど強いわけではなく、どうしてもその補足になるように右手を使わなければいけません。
もし、フェルナンブーコで二胡の弓を作れば、可能かもしれないのですが、10万円以上の弓になってしまうでしょう。
そこでいろいろ考えて、まずは二胡の弓の最大の難点、
不良品が多い、というところから考え直しました。
1年2年で消耗してしまうのではなく、せめて竹がダメになるくらい、10年でしょうか、20年でしょうか、解りませんが、
まずは竹の強度を上げる、これはある特殊な塗料を含浸させることで可能でした。
その前に曲げてみて折れてしまう物を廃棄します。
それから塗料の含浸です。
そして毛をひっかける弓魚(ヴァイオリンのフロッグ)のガタつきを直します。
これは、竹の直径がそれぞれ違うのに弓魚・フロッグの方が、一定な大きさであることによって、竹の太さと合わず、緩みが生じてしまいがたつきが出るのと、
後ろのネジが収まるはずの竹に開けた穴の位置が悪かったり、大き過ぎたり狭過ぎて動きが悪い物などを直します。
このガタつきが無くなることで、竹の破損が少なくなり、たぶん竹の弾力が持つ限り竹は使えます。
柔らかすぎる竹も廃棄です。
硬すぎる物は、少し削って硬さを加減することが出来ます。
実際にはフェルナンブーコにしても材料それぞれに硬さが違いますから、職人さんたちがそれぞれの硬さに合わせて作るのです。
ですから量産品は中には適正な太さと言うのはあるかもしれませんが、当たりはずれが出てしまいます。
そういう点で、今の二胡はそのほとんどが、誰々の作と言われていても当たりはずれのある物です。
その、当たり外れを限りなく小さくしようと考えて作ったのが、「福音弓」です。
そして最後に竹のバランスをとるために、重さをつけます。
これは竹の弾力や、使う人に合わせてあるいは目的に合わせて、つけてあるのですが、ほとんど遠目には判りません。
画像は出しません。
これは、東京の教室のある日本人の先生方は、西野二胡であるというだけで、「教室に持ってこないで」、
黒彪駒であるというだけで、その駒は良くないから外しなさいと言うことがあるのだそうです。
これでは購入して、とても良く鳴るようになったと喜んでいる生徒さんがかわいそうです。
同じ日本人が、こうやって命を削って二胡を研究した結果の物を、それを気に入って購入して使いたいと言う生徒さんを邪魔するというのは、同じ日本人として恥ずかしくないのでしょうか?どうしてそういうことを平気で他の生徒さんの前で言えるのかが私にはわかりません。
自分を小さく見せてしまうでしょうに。
それこそ西野二胡や、黒彪駒がまったくの役立たずだとしたら、これは致し方が無いです。
しかし、もう既にかなりの数の演奏家たちが使ってもいますし、もう全国で、500人以上が使ってくれている黒彪駒などは、中国人の先生方も使ってくれているようです。
そしてその西野二胡、あるいは光舜堂に反対の先生方も(なぜ反対し否定するかわからないのですよ)このブログを読んでいられるのでしょうから、画像は載せません。
とはいっても、また見た目には、全く他の二胡弓と見分けはつきません。安心してください。
しかしこの福音弓を持って行って、トンでもない良い音をさせたとしたら、目立ちはするでしょうね。
でもその時には、お使いの方は、腕が上がったのです、先生のお蔭ですと、このようにお答えください。
でもこの弓でさえ否定されたら、西野は、光舜堂はどうすればよいのでしょうか、ね!(笑)
その時には、もう次の手考えてあります。
私は闘いはしません、いつかは良い物は必ず認められるとわかっていますから、最初あれだけ否定されたインテリアでも、今や、やっと認められるようになってきて、いまは、西野のデザインがとても評価されてき始めています。25年かかりましたが。
二胡はそしてこの福音弓はもしかしたら私が死んだ後からかもしれませんね!認められるのは、でも良いのです。
ほぉさんが、後は、ガッチリ、稼ぐでしょう。(大笑い)
と冗談はさておき、このバランスをとった二胡弓というのは、本当に皆さんの二胡弾く人生を豊かに楽しくしてくれます。
あるお客様曰く、満塁ホームランだそうです。
ある先生はこのように、右手の中にすっぽりと握りこむように。
ある先生は、人差し指の第二関節に近い所で親指と握る、
或は弓は地面と平行に真平らに動かす。
あるいは弦と直角になるように少し右手が上がっていく、
胴と平行になるように弓を弾くまたは、少し引っかけっるように斜めになど、
本当に様々あります。
手の動きが柔らく見えるように動かすのと、手の動きが本当に脱力して柔らかく動かすのでは違いますが、
なんだか、柔らかく見えるようにと“見え方”で教える方もいます。
どれが正しいとはここでは私は言えませんが、ヴァイオリンなどは教える方の言う事はほとんどみな同じです。
弓を持たない、指を軽く添えて重さで弾いていく、これはチェロでも同じです。
そして弓がまっすぐに弦に対して直角に動かすこれも同じです。
最近は手首を使わないスピード重視の運弓もあるということですが、上の二つは変わりません。
ヴァイオリンの場合は、弓の完成度が高く、本当に弓の重さだけで弾くという感じに弾けます。私でも!
二胡も本来はそのようにあるべきではないかと思うのですが、
楽器としての二胡そのものに多少問題が有り、弓の重さだけでは本当の鳴りにならないというのもあります。
ですから、弓を弾く為の筋肉が出来ていく、或は、その腕のウエイトを乗せるという感覚が出来るまでは、本当に二胡を良い音で鳴らすことは出来にくいのです。
ですから、弦の引っ掛かりを感じられぐらいの安定した手の動きが出来ないと、どうしてもガーガーと闘うように弾いてしまう人も多くいます。
或は、反対に、皮の鳴る音だけで、二胡の音は小さくしか鳴らないなどと言う人もいます。
そこで最近少し重めの弓を使うのが流行ってきています。
重ければ多少引っ掛かりは良くなりますが、それは全体として重くなるだけなのです。
或は長さを求めて中には86㎝87㎝などと言う弓も販売されています。
長くなると、先端が少し重くなりますから引っ掛かりは良くなりますが、長さが十分に弾かれていない事と、長くなると扱い辛くなるということもあります。
身長が2メートルに近かったようなパガニーニでさえ、どうもそれほど特別なながさの弓をつかっていたわけではなさそうです。
弓を作るフェルナンブーコの張力の適正な長さが今の64㎝でしょうから。
二胡の弓の毛も実際に使うのは64㎝前後です。(ヴァイオリンと同じ長さです)
ところが竹の張力と言うのは、フェルナンブーコほど強いわけではなく、どうしてもその補足になるように右手を使わなければいけません。
もし、フェルナンブーコで二胡の弓を作れば、可能かもしれないのですが、10万円以上の弓になってしまうでしょう。
そこでいろいろ考えて、まずは二胡の弓の最大の難点、
不良品が多い、というところから考え直しました。
1年2年で消耗してしまうのではなく、せめて竹がダメになるくらい、10年でしょうか、20年でしょうか、解りませんが、
まずは竹の強度を上げる、これはある特殊な塗料を含浸させることで可能でした。
その前に曲げてみて折れてしまう物を廃棄します。
それから塗料の含浸です。
そして毛をひっかける弓魚(ヴァイオリンのフロッグ)のガタつきを直します。
これは、竹の直径がそれぞれ違うのに弓魚・フロッグの方が、一定な大きさであることによって、竹の太さと合わず、緩みが生じてしまいがたつきが出るのと、
後ろのネジが収まるはずの竹に開けた穴の位置が悪かったり、大き過ぎたり狭過ぎて動きが悪い物などを直します。
このガタつきが無くなることで、竹の破損が少なくなり、たぶん竹の弾力が持つ限り竹は使えます。
柔らかすぎる竹も廃棄です。
硬すぎる物は、少し削って硬さを加減することが出来ます。
実際にはフェルナンブーコにしても材料それぞれに硬さが違いますから、職人さんたちがそれぞれの硬さに合わせて作るのです。
ですから量産品は中には適正な太さと言うのはあるかもしれませんが、当たりはずれが出てしまいます。
そういう点で、今の二胡はそのほとんどが、誰々の作と言われていても当たりはずれのある物です。
その、当たり外れを限りなく小さくしようと考えて作ったのが、「福音弓」です。
そして最後に竹のバランスをとるために、重さをつけます。
これは竹の弾力や、使う人に合わせてあるいは目的に合わせて、つけてあるのですが、ほとんど遠目には判りません。
画像は出しません。
これは、東京の教室のある日本人の先生方は、西野二胡であるというだけで、「教室に持ってこないで」、
黒彪駒であるというだけで、その駒は良くないから外しなさいと言うことがあるのだそうです。
これでは購入して、とても良く鳴るようになったと喜んでいる生徒さんがかわいそうです。
同じ日本人が、こうやって命を削って二胡を研究した結果の物を、それを気に入って購入して使いたいと言う生徒さんを邪魔するというのは、同じ日本人として恥ずかしくないのでしょうか?どうしてそういうことを平気で他の生徒さんの前で言えるのかが私にはわかりません。
自分を小さく見せてしまうでしょうに。
それこそ西野二胡や、黒彪駒がまったくの役立たずだとしたら、これは致し方が無いです。
しかし、もう既にかなりの数の演奏家たちが使ってもいますし、もう全国で、500人以上が使ってくれている黒彪駒などは、中国人の先生方も使ってくれているようです。
そしてその西野二胡、あるいは光舜堂に反対の先生方も(なぜ反対し否定するかわからないのですよ)このブログを読んでいられるのでしょうから、画像は載せません。
とはいっても、また見た目には、全く他の二胡弓と見分けはつきません。安心してください。
しかしこの福音弓を持って行って、トンでもない良い音をさせたとしたら、目立ちはするでしょうね。
でもその時には、お使いの方は、腕が上がったのです、先生のお蔭ですと、このようにお答えください。
でもこの弓でさえ否定されたら、西野は、光舜堂はどうすればよいのでしょうか、ね!(笑)
その時には、もう次の手考えてあります。
私は闘いはしません、いつかは良い物は必ず認められるとわかっていますから、最初あれだけ否定されたインテリアでも、今や、やっと認められるようになってきて、いまは、西野のデザインがとても評価されてき始めています。25年かかりましたが。
二胡はそしてこの福音弓はもしかしたら私が死んだ後からかもしれませんね!認められるのは、でも良いのです。
ほぉさんが、後は、ガッチリ、稼ぐでしょう。(大笑い)
と冗談はさておき、このバランスをとった二胡弓というのは、本当に皆さんの二胡弾く人生を豊かに楽しくしてくれます。
あるお客様曰く、満塁ホームランだそうです。
他人の持ち物を否定する先生って本当に居るのですか?
西野さんを疑っているのでは無く、信じ難いのです。
そういう先生や奏者に会った事が無いし。
他人が金出して買った物に、
一円も出していない人間がケチを付けるってバカ?と思うし逆に会ってみたいです。
体験者なので、少し感じたことをお伝えします。
一種の自己防衛的反応だと個人的に思います。
相手が自分より優れている、或いは良いものを先に見つけると
受け入れられなくなってしまう、分かりにくい説明ですが、
囚われの強い表れです。
何かというと、
先生は常に生徒より知識が豊富で技術が上でなければならないという囚われです。
実は、このような方は裏を返せば、自己否定感がとても強いですよ。
相手を否定し、回りから賛同を得ることによってやっと自分自身を保てられるということですからね。
ま、あくまでも実体験からの推測ですので、あしからず。
西野先生、横から出しゃばってごめんなさい。
光舜堂にいらっしゃれば、ちゃんと直します。
どなたがいらしても、楽器の不具合を直すのが光舜堂の役目ですから。
でも本当に多いのですよ、関西ぐらいですかね、いろいろ言われないのは。
むしろ気にいって弾いてくれる方もたくさんいます。
でもこういう教室に行かなければいけない生徒さんがかわいそうです、だからこそ私は西野二胡の販売ということも大きくは出しませんし、HPも、金額も載せていません、今や同じレベルのものならウチの方が安いくらいですから。むしろ修理調整という事を強調しているのです。
元々が家族の持っていた古い二胡を直そうとして始めた二胡つくりですから。
152さん、バックアップありがとうございます。
私が光舜堂を止めざるを得ない状況に立ち至ったら、今までの事面白おかしく、実名で出しましょうかね。そのような話は、たちまち広がってしまうということが解っていないのでしょうね。
チ●●●ンさんには 使うなと、言われました。
音色が二胡では ない、と。
わずかな期間しか在籍しませんでしたが、
庶民の私が 学べたことは あの教室では ほぼゼロに等しい
ということでした。
バカ高いレッスン料、、、、有閑マダムの為の
教室だと思います。
ホントにこれ以上こんなことが続いたら、私も最大限の力を出したいとは思いますが、彼女彼らにしても日本に二胡を広めてくれたことは感謝すべきでしょう。ただ私のわからないのは、日本人がなぜという事なのです。駒や弓におびえて教室に行きにくくなると言うのは問題でしょう。確かに外国へ行って他の文化を広げていくというのは大変な、勇気と努力をしてきたでしょうし、最初は相当苦労してきたはずなのです。ただ、日本人の先生がなぜ??やはり私に言われたくない他の事実を持っているのではないかとかえって疑われます。
私は二胡が好きです、すべての二胡を健全に鳴らしたいという事のどこがいけないのでしょうか。むしろ最近では中国の人たちが、買いに来たりもしているのです。
今中国不信と言うのが日本に広がっています、かと言って二胡を通じて、中国と仲良くしようという方々もいます。日本にはこうやって1500年以上前から中国の文化を取り入れて、それを、日本に合うように作り変えてきた歴史があります。今二胡は、まだまだ渡来してきたばかりです。中国人の先生方も、そのことをわかっている方もいらっしゃいますが、単に稼ぎに来たという感じで二胡で商売をして、二胡をわからない日本人に高く売りつけてきた人たちもいます。でも、それは皆さん薄々はわかっている事だと思うのです。様々な中国製品最近では、食肉の問題などありますが、変なのは皆さん二胡弾きさん達は、ご自分の使っている二胡にそのような問題が無いと考えていないのでしょうか?でもそれでも良いのです、せっかく日本に渡ってきた二胡ですから、すべての二胡を私は健全に直して行こうと考えています。ですからせめて、日本人の先生方だけでもそのことの意義を認めていただきたいのです。私は皆さんのお持ちの二胡をけなしたりもしませんし馬鹿にもしません楽器そのものには罪は無いからです。どんな二胡でもちゃんと鳴るように、素敵な音色でなるようにしてみせる自信もありますし、その技術も持っているつもりです。その一環としての、駒造りであり弓造りの話を書くつもりでしたが話がそれてしまったようで申し訳ありません。西野二胡を認めないとおっしゃる教室の先生方、私に言うのは良いです。でも生徒さんが気に入った物を否定したら、先生自分の権威を損ねませんか。生徒は子供ではありません、自由な意思を持った人間なのを忘れていませんか、二胡の演奏を教えるという事だけでの、先生のはずなのです。むしろ人生においては大先輩の方々が教室に通っているというのを忘れないでほしいのです。また楽器を本当にご存知なら問題は無いです。でも、生徒さんは困れば光舜堂へ来ます。それでよいのではないですか。運転は教えられても車は直せないのと同じではないでしょうか。
話が飛んでしまい皆さん申し訳ありませんでした。そして名前を伏せて良いですかさん。勝手にコメントを少し直してしまったのは、これは少し本人たちが調べればわかる事ですし本人たちだけでなく。周りには色々な人々もいるという事です。勝手をしましてすみません。
本当に他人の持ち物に難癖付ける人が居るのですね。
時間と金を使って理解し難い自尊心は修得出来そうですね。
西野さん。
私は京都なので関西ですが
西野さんが言われた事を声に出したら人格を疑われますよ。
コイツ頭おかしいのか?と成ります。
恥ずかしくて絶対口に出来ませんよ。
まして、使うな!代わりにコレ買え。って素晴らしい営業ですね。
お金無いですか?と逆に微笑ましくなります。絶対買いませんが。
しかし、近場に便利な所が有るのに使えないとは
えらく不便な話ですね。
名前はさん。
楽器を否定された上に得る物なしですか。
何の為に行くのか本当に解りませんね。
やめて正解でしょう。