演奏法と言うのが変わるのかもしれないです。
以前、二胡の初心者用に、弓の先端に重りを付ける、と言うものが販売されていたことがあるそうです。
弓の先端に重りを付けると、変な力を入れないでも弓の重さだけでも二胡は弾き易くなります。
ただその錘はかなり重かったらしく、引っ掛かりが強すぎて、様々な先生方にダメ出しされ、結局は広がらなかったようです。
そして、弓の毛も今の弓の毛と変わりありませんから、単に先端が重くなっただけだったのでしょう。
これは誰でも、真剣に弓の良し悪しあるいは運弓の事を考えると、自然に思い付くことなのでしょう。
せっかくのアイデアも詰めが甘かったらしく、5グラム以上もあったもののようです。
やはり、大切なのは、竹の弾力と、毛の質その質による毛の量、そして先端と手元のバランス。
これらが揃って初めて、良い二胡弓と言うのが出来上がります。
このことは、ヴァイオリンなどをやったことのある人は判っていたとは思うのですが、
そのヴァイオリンをやっていた人でさえ二胡の弓はこう引くと先生におそわれば、疑いもせずにと言うより、今までの弓の造りではそうせざるを得なかった状態でしょう。
二胡の弓はこれが良いというのが無く、この何十年か、今の二胡が作られてきても、弓の研究と言うのはまともにはされてきていなかったようです。
今現状販売されている物も、基本的には、変わりません。
いくら金額が高い物であろうと、この硬さのこの曲りぐあいの物が良いという事で作られているわけでもなく、この重さで、この毛を使ってと言うことでもないのです。
この作者のは、比較的良いという何となくのうわさで、皆さん購入されているような感じです。
今までの弓ですと、、先端に重さが有りません、ですから、先端に重さがかかるような演奏方法と言うのがとられてきたのだと思います。
ですからそれこそ手の力の強さあるいは、手の重さなど、演奏家それぞれがこのようにと個人の癖を日本人の生徒さんに教えてきたという感じです。
楽器やデザイン、あるいは絵画や彫刻などは、新しい材料が生まれると、あるいは新しい技術が生まれると、様式や形などが変わってきました。
ヴァイオリンなども 現在の弓が出来上がると、パガニーニの様な超絶技巧というのがもてはやされたり、楽器そのものも、ヴィヨーヌが、ネックの角度を変えて弦の張りを強くしたときから、ヴァイオリンなども今の大きな音になり、大ホールでの演奏が可能になり、音楽がどんどん大衆化されてきています。
エレキギターが出来てロックなどの、強い音楽が主流になり、今やコンピューターが音楽を作り出す時代にまでなってきています。
技術は演奏を変え音楽まで新たに作り出していきます。
今度作り上げた、強い竹と、引っ掛かりの良いバイオリン毛、そして先端に重りを付け、バランスをヴァイオリンの弓のように作り上げた、この福音弓は、皆さん弾いてみると自然に弾き方が変わります。
より力を抜いてただ単に弓を綺麗に運ぶようになるのです。
良く毛が引っ掛かりますから今までのように妙な力の入れ方をすると、音が強く弾んでしまいます。
ただ単にきれいにまっすぐ弓を運べば良いのです。
弓に自然に任せていくという感覚が、良い綺麗な二胡の音を生み出します。
但し、今まで癖になった弾き方で、かなり竹に弓毛に力をかけた演奏をする方には、あまり効果は無いかもしませんね。
大体が今回の弓造りの発想の元になった、良い竹を長く使うために毛の張替え、をしようということが出来ないで、竹を削ってしまうような演奏方法をとる方もいます。
もしかしたらその方たちも、この福音弓を使うと演奏方法が変わるかもしれませんが、長年弾いてきた癖がなかなか取れないかもしれず、むしろ福音弓の批判に回ったりもすることでしょう。
人は、長年培ってきた自分自身の価値観に相反するものは、否定しにかかるものです。
しかし、いつの時代でもどこの国でも本当に良い物と言うのはいつかはちゃんと見直されることと思います。
弾き易い楽器つくりと言うのを目指して楽器そのものあるいは、駒、そして今回弓まで手掛けてきましたが、楽器そのものの批判と言うのは、最近になって無くなってきました。
また駒もこの8ケ月で、500ケを超えるほど皆さんに広がりはしましたが、その駒は良くないとまだまだ取り上げる先生もいます。
たぶん、この福音弓でさえ、そのような事が起こるということも考えられます。
そのあたりの事は、ご考慮ください。
以前、二胡の初心者用に、弓の先端に重りを付ける、と言うものが販売されていたことがあるそうです。
弓の先端に重りを付けると、変な力を入れないでも弓の重さだけでも二胡は弾き易くなります。
ただその錘はかなり重かったらしく、引っ掛かりが強すぎて、様々な先生方にダメ出しされ、結局は広がらなかったようです。
そして、弓の毛も今の弓の毛と変わりありませんから、単に先端が重くなっただけだったのでしょう。
これは誰でも、真剣に弓の良し悪しあるいは運弓の事を考えると、自然に思い付くことなのでしょう。
せっかくのアイデアも詰めが甘かったらしく、5グラム以上もあったもののようです。
やはり、大切なのは、竹の弾力と、毛の質その質による毛の量、そして先端と手元のバランス。
これらが揃って初めて、良い二胡弓と言うのが出来上がります。
このことは、ヴァイオリンなどをやったことのある人は判っていたとは思うのですが、
そのヴァイオリンをやっていた人でさえ二胡の弓はこう引くと先生におそわれば、疑いもせずにと言うより、今までの弓の造りではそうせざるを得なかった状態でしょう。
二胡の弓はこれが良いというのが無く、この何十年か、今の二胡が作られてきても、弓の研究と言うのはまともにはされてきていなかったようです。
今現状販売されている物も、基本的には、変わりません。
いくら金額が高い物であろうと、この硬さのこの曲りぐあいの物が良いという事で作られているわけでもなく、この重さで、この毛を使ってと言うことでもないのです。
この作者のは、比較的良いという何となくのうわさで、皆さん購入されているような感じです。
今までの弓ですと、、先端に重さが有りません、ですから、先端に重さがかかるような演奏方法と言うのがとられてきたのだと思います。
ですからそれこそ手の力の強さあるいは、手の重さなど、演奏家それぞれがこのようにと個人の癖を日本人の生徒さんに教えてきたという感じです。
楽器やデザイン、あるいは絵画や彫刻などは、新しい材料が生まれると、あるいは新しい技術が生まれると、様式や形などが変わってきました。
ヴァイオリンなども 現在の弓が出来上がると、パガニーニの様な超絶技巧というのがもてはやされたり、楽器そのものも、ヴィヨーヌが、ネックの角度を変えて弦の張りを強くしたときから、ヴァイオリンなども今の大きな音になり、大ホールでの演奏が可能になり、音楽がどんどん大衆化されてきています。
エレキギターが出来てロックなどの、強い音楽が主流になり、今やコンピューターが音楽を作り出す時代にまでなってきています。
技術は演奏を変え音楽まで新たに作り出していきます。
今度作り上げた、強い竹と、引っ掛かりの良いバイオリン毛、そして先端に重りを付け、バランスをヴァイオリンの弓のように作り上げた、この福音弓は、皆さん弾いてみると自然に弾き方が変わります。
より力を抜いてただ単に弓を綺麗に運ぶようになるのです。
良く毛が引っ掛かりますから今までのように妙な力の入れ方をすると、音が強く弾んでしまいます。
ただ単にきれいにまっすぐ弓を運べば良いのです。
弓に自然に任せていくという感覚が、良い綺麗な二胡の音を生み出します。
但し、今まで癖になった弾き方で、かなり竹に弓毛に力をかけた演奏をする方には、あまり効果は無いかもしませんね。
大体が今回の弓造りの発想の元になった、良い竹を長く使うために毛の張替え、をしようということが出来ないで、竹を削ってしまうような演奏方法をとる方もいます。
もしかしたらその方たちも、この福音弓を使うと演奏方法が変わるかもしれませんが、長年弾いてきた癖がなかなか取れないかもしれず、むしろ福音弓の批判に回ったりもすることでしょう。
人は、長年培ってきた自分自身の価値観に相反するものは、否定しにかかるものです。
しかし、いつの時代でもどこの国でも本当に良い物と言うのはいつかはちゃんと見直されることと思います。
弾き易い楽器つくりと言うのを目指して楽器そのものあるいは、駒、そして今回弓まで手掛けてきましたが、楽器そのものの批判と言うのは、最近になって無くなってきました。
また駒もこの8ケ月で、500ケを超えるほど皆さんに広がりはしましたが、その駒は良くないとまだまだ取り上げる先生もいます。
たぶん、この福音弓でさえ、そのような事が起こるということも考えられます。
そのあたりの事は、ご考慮ください。