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良心的裁判役拒否(連載第8回)

2011-10-08 | 〆良心的裁判役拒否

理論編:裁判員制度の仕掛けを見抜く

第4章 「平成司法改革」の舞台裏(続き)

(2)法曹界の裏取引
 第1章で見たように、自民党の指示を受けて政府が司法制度改革審議会を設置したのは1999年です。この審議会は法曹三者を代弁する立場の人のほか、学識者、財界人、労組幹部から女性作家に至るまで、司法に関していかなる見識をお持ちなのか疑わしい人まで含むわずか13人の雑多なメンバーで構成された翼賛的な寄せ集めの臨時機関でした。(※)
 察するに、この審議会に表面的な討議をさせつつ、水面下では焦点の弁護士大増員をめぐる法曹三者間の折衝が鋭意進められていたものと見られます。その真相は、事の性質上容易なことでは明かされないでしょうから、以下は筆者自身の推察を交えた叙述となります。
 まず、2年間の予定で行われていた審議会の審議の中で、裁判員制度構想が浮上してきたのは、審議も終盤にさしかかった2001年1月。ということは、この頃までに法曹三者間で何らかの合意が非公式に形成されたものと推定できます。
 ただ、それが自民党によって誘い水的に提起された陪審制でも参審制でもなく、裁判員制度となったのはなぜでしょうか。
 まず、最高裁はかねて「司法参加」全般に否定的で、日弁連が要望していた陪審制については特に強く反対していました。それはおそらく、陪審制の場合、職業裁判官が陪審評決に拘束される点でかなり急進的な一面を持つことから、職業裁判官の間で拒否感が強いせいと思われます。
 そうした司法当局の意向を反映してか、2000年から2001年にかけて与党・自民党が介入し、陪審制に疑念を示しつつ、ドイツの制度にならった参審制の検討を指示したのです。
 このドイツの参審制とは、職業裁判官と一般市民から推薦などの方法で任命された2名の参審員が合議し判決するもので、司法参加としては最も小規模かつ裁判手続を裁判所が主導していく職権主義の訴訟構造に適合的な制度です。そのため、元来日本では司法参加の制度としてこのような参審制を主張する人はまれで、日弁連を説得する取引材料としても弱いはずでした。
 そこで、司法制度全般を所管することから司法参加問題に関しても所管官庁であり、かつ弁護士増員問題でも日弁連の直接の折衝相手となる法務省が割って入り、形態上は参審制の性格を持ちながら、陪審制のようにくじ引きによる無作為抽出の選任方式を採る折衷的な制度をひねり出し、これを陪審制でも参審制でもない「裁判員制度」と命名したものと思われます。これであれば、自民党指示を生かしつつ、陪審制もどきの外観から日弁連をも説得できそうだからでしょう。
 とはいえ、陪審制とはおよそ非なるこんな制度をなぜ日弁連が取引材料としてでも受諾できたかはなお謎ですが、おそらく審議会の指示を受けて具体的な制度設計を委ねられた政府の司法制度改革推進本部(2001年12月設置)の検討会で、裁判員の数を原則6人と裁判官の数より多くする―それによっていくらかなりとも陪審制の外観が強まると見たのでしょう―という妥協を経て、最終的な合意に達したものと推定できます。
 このように裁判員制度は弁護士大増員をめぐる政財界の意向を受けた法曹界内部の攻防を背景に、バックルームでの取引―それが明示的な取引であったか、あるいはあうんの呼吸によるトレードオフであったかは解明し切れませんが―の結果、ひねり出されたもので、その制定過程自体、国民不在の非民主的なものであったことはしっかりと認識しておく必要があります。
 特に、具体的な制度設計は先の司法制度改革推進本部の検討会で行われたわけですが、これは司法制度改革審議会のメンバーでもあった井上正仁氏(東大教授)を座長に、裁判官、検察官、弁護士のほか、ジャーナリスト、警察官僚、市長等々、政府によってセレクトされたわずか11人のメンバーから成る内輪的なパネルにすぎず、新たな国民の義務のあり方を検討すべき立法府=国会はこの間、全くカヤの外であったのです。
 こうした一連の流れを背後でコントロールしていたのは与党をバックにした政府、特に法務省ですから、最終的に出来上がった制度は当時の政治的・経済的状況を反映して、第1章で見たような「犯罪との戦い」という法イデオロギーで味つけされた特異な重罪治安裁判制度として立ち現れることとなったのでした。
 従って、この制度をめぐる最大の勝者は当時の与党以上に法務省です。特に死刑存置の牙城でもある法務省は国際社会の動向・要請に反して死刑制度を死守するうえで、死刑判決に一般国民を動員することのできる裁判員制度にこのうえないメリットを感じていることでしょう。これからは「日本では主権者国民も加わった司法判断で死刑判決が出されている」ということを死刑廃止に反対する論拠として内外に主張していけるとかれらは踏んでいるだろうからです(少なくとも国際社会では通用しないでしょうが)。
 一方、最高裁にとってこの制度にどんなメリットがあるのかわかりにくい面もありますが、ひとまず陪審制の導入を阻止できたことは小さくないメリットでしょう。また、後で不当判決と批判されても一般国民の「健全な社会常識」が反映されているのだと抗弁して、一般国民を盾に使えるということもメリットかもしれません。さらに、最高裁がかねてより推進してきた官僚主義的な視点からの公判手続の効率化を実現するうえで、裁判員の負担を口実に短期審理を錦の御旗にできることもメリットでしょうか(反面、公判前整理手続が渋滞して、全体としてはかえって裁判の長期化が起きているようです)。
 これに対して、日弁連は敗者であるはずですが、弁護士大増員という歴史的な苦渋を飲んだことの対価として裁判員制度が実現した以上、これを今さら否定することはできず、この制度を陪審制類似の「日本型司法参加」の制度だと信ずることによって自己欺瞞を演じられることには、ある種のメリットも認められるのかもしれません。
 こうして、法曹三者の裏取引の所産である裁判員制度には、三者各々の同床異夢的な思惑が刷り込まれてもいるわけです。

※審議会のメンバーは、五十音順に、石井宏治(財界人・石井鐵工所)・井上正仁(刑事法学者)・北村敬子(会計学者)・佐藤幸治(会長・憲法学者)・曽野綾子(作家)・高木剛(労組)・竹下守夫(会長代理・民事法学者)・鳥居泰彦(経済学者)・中坊公平(弁護士・元日弁連会長)・藤田耕三(弁護士・元判事)・水原敏博(弁護士・元検事)・山本勝(財界人・東京電力)・吉岡初子(主婦連)の各氏(肩書等はいずれも当時)。

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