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死刑廃止への招待(第8話)

2011-10-09 | 〆死刑廃止への招待

死刑廃止は被害者感情を無視軽視するものではないか?

 この反問は、しばしば死刑廃止論に対する一種凶器的な(?)非難として突きつけられることもありますから、慎重にお答えしなければなりません。

 まず、この反問の中で言われる「被害者感情」とは何かといえば、結局は復讐感情にほかならないでしょう。それはしばしば「区切り」とか「霊前報告」とかのオブラートに包まれた表現で語られることもありますが、直接に「復讐」という文言は使われていなくとも加害者の刑死が被害者(遺族)にとっての「区切り」となったり、「霊前報告」の対象となったりするのは、復讐感情の満足を示しているのですから、被害者感情を煎じ詰めれば復讐感情が抽出されてくるわけです。
 従って、「被害者感情を無視軽視するものでは?」との反問は、特に「被害者のある犯罪」、なかでも復讐感情を掻き立てやすい殺人犯罪に妥当するものだと言えます。
 ところが、日本に限らず、ほとんどの死刑存置国の法制上、殺人犯罪のみならず、そもそも「被害者のない犯罪」、被害者はあるが傷害ないし物損にとどまり、人命の喪失はない犯罪に対しても死刑が最高刑として与えられているのです。
 例えば、日本法上は、「被害者のない犯罪」として内乱罪(刑法77条1項1号―首謀者の場合)、外患誘致罪(刑法81条)、外患援助罪(刑法82条)に死刑が定められています。これらの罪は「国家的法益に対する罪」とも呼ばれ、言わば国家そのものを被害者とするものですが、具体的な個人の被害者が存在しない政治犯罪に属します。
 また人命の喪失を伴わない犯罪では、一般刑法上、いずれも現住建造物等に対する放火罪(刑法108条)、激発物破裂罪(刑法117条1項)、浸害罪(刑法119条)、特別刑法上は爆発物取締罰則上の爆発物使用罪(同法1条―他人に使用させた場合を含む)で死刑が与えられます。
 さらに人命の喪失はあるが故意でなく、いわゆる結果的加重犯にとどまる場合でも最高で死刑となる罪も、一般刑法上及び特別刑法上合わせて8個あります(実際の量刑上、死刑が選択されることはめったにないが、被害者数が多いような場合に選択することが許されないわけではない)。
 要するに、日本法上死刑が定められている合計19個もの罪のうち、実に15個は狭義の殺人犯罪以外の罪なのです。
 死刑を廃止するとは、こうした殺人犯罪以外の罪における死刑も含めて一般的に死刑制度を廃止することを意味しており、もっぱら殺人犯罪の死刑だけを廃止するということではありませんから、被害者感情論を死刑の存廃の論議で持ち出すことは適切でないことがおわかりいただけるかと思います。
 とりわけ、第3話でも触れた外患誘致罪は法定刑に死刑しかない日本法上唯一の絶対的死刑犯罪ですが(法律上酌量減軽の余地はあるが、外患誘致のように究極の国家反逆行為に酌量減軽が付くことはほとんど考えられない)、この日本で一番重い死刑犯罪が「被害者のない犯罪」であるというまぎれもない事実は、死刑制度と被害者感情との無縁性を如実に物語っています。
 それならば、強盗殺人罪なども含む殺人犯罪に対する死刑だけを残して、他の罪における死刑は廃止する部分的死刑廃止ならば賛成できるという死刑存置論者がおられるかもしれません。
 これも一つの妥協案ですが、日本ではそもそもそれすらも実現の兆しが見えないということに留意する必要があります。もしも死刑制度をもっぱら被害者感情の観点からとらえるならば、殺人犯罪に対する死刑だけを残す部分的死刑廃止くらいは実現して然るべきなのに、決してそうはならないということは、やはり死刑制度と被害者感情は直接に関係しないことを裏書きしているのではないでしょうか。

 ところで、殺人犯罪に限って死刑を残すという提案ですが、これは殺人犯罪についてはなお死刑と被害者感情を直結しようとする発想に基づいているのでしょう。要するに、この場合の死刑には被害者の復讐感情を満たす働きが期待されているわけです。
 しかし、死刑は一本の制度であって、各罪ごとに別の種類の死刑があるわけではありません。日本では刑の種類を定める刑法総則の9条で死刑が規定され、死刑執行方法については同法11条1項で絞首に一本化されています。これを受けて刑法各則及び特別刑法上の個別の罰条で死刑が最高刑として与えられるという構成をとっているのですから、殺人犯罪に対する死刑が他の罪における死刑とは異なる特殊な意義を担っているとの理解は成り立たないように思われます。
 死刑は合わせて一本なのであって、たとえ殺人犯罪に対する死刑といえども、それは決して復讐の代行ではなくして、どこまでも国家が社会秩序維持の観点から科する刑事処分の一つにほかならないのです。
 従って、殺人犯罪に対する死刑だけを特別に取り出して存置するという部分的死刑廃止は死刑制度の本質をなおとらえ損ねているように思われるのです。

 それにしても、殺人犯罪を含めて死刑を全廃してしまったら、被害者(遺族)が復讐感情を満足させる機会を失ってしまい、大きな不満を残すのではないかとのご懸念があるでしょうか。
 しかし心配はご無用です。日本には復讐そのものを禁ずる法律は存在しないのですから、被害者(遺族)は自らの手で復讐することができるのです。驚かれるでしょうか。しかし、これは事実です。
 この点、いわゆる決闘に関しては「決闘罪ニ関スル件」という明治時代以来の古い禁令がありますが、「復讐罪」という規定はどこにもないのです。法は決闘と異なり、復讐そのものは何ら禁じていません。これは、決闘が封建的な遺習として禁止されなければならないのに対し、復讐は時代を超えて人間にとって普遍的な避け難い行動である―その点では自殺とも類似する―という事実に着目してのことと考えられます。
 とはいっても、復讐の手段として殺人その他の犯罪行為を行えば処罰されることは当然ですが、それは復讐それ自体ではなく、復讐の手段の違法性が罪に問われるだけのことです(目的は手段を正当化しない)。
 その場合、殺人等の犯罪行為の動機・目的が復讐にあったことは量刑上考慮すべき事情として検討されるでしょう。その結果、司法判断がどう出るかはよくわかりませんが、復讐の動機・目的は、少なくとも金銭目的などと比べれば情状酌量の余地ありとされる可能性は高く、具体的状況からしてその復讐行動が懊悩した末のやむにやまれぬものであったと認められるような場合は、法律上の酌量減軽が付く可能性もあると思われます。
 一方、犯罪に当たらない方法で個人的に復讐するならば、それは何の罪にも問われないわけです(民事不法行為として損害賠償責任を問われる場合はあり得る)。
 こういう次第で、法は復讐それ自体を何ら禁じていないのですから、「法は復讐を禁じている」という前提に立って「殺人犯罪に対する死刑は復讐の代行の意義を担う」とする理解も成り立ちません。
 死刑に復讐感情の満足を求めるのは、被害者(遺族)個人の主観的な思い入れとしてはあり得ても、それは客観的な制度の現実・実態とは合致していないのです。

 結局のところ、死刑の存廃を論ずるに当たって被害者感情を問題とすることが失当だったのであり、このような「論点」自体が本来存在し得ないものなのです。ところが、後に詳しく解析する内閣府の2009年度世論調査では、死刑を容認する理由のトップに「死刑を廃止すれば被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」が挙がっているのです。つまり最新の政府世論調査による限り、死刑を容認する日本人の多くは被害者感情論に立っているわけです。
 しかし、先にも見たように、日本法上「被害者のない犯罪」や人命の喪失を伴わない犯罪についても死刑が定められているという事実を秘して、上記のような選択肢を与えて回答させる世論調査の手法はミス・リーディングであり、世論調査ならぬ「世論操作」の疑いを免れないところです。 

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