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死刑廃止への招待(第10話)

2011-10-23 | 〆死刑廃止への招待

死刑制度は矯正不能な犯罪者を淘汰し、社会を防衛するうえで必要ではないか?

 こうした社会防衛という考え方は、第6話で見た死刑=合憲論の最高裁大法廷判決の理由づけでも、「死刑の執行によって特殊な社会悪の根元を絶ち、これをもって社会を防衛せんとした」云々と述べられていたところですし、個々の死刑判決中でも「被告人は矯正不能」という理由づけがしばしば添えられています。
 ちなみに、たびたび引用する内閣府の2009年世論調査でも、死刑を容認する人の中で、「凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと、また同じような犯罪を犯す危険がある」という理由を挙げる人が41.7パーセントに上っており、一般市民の間でも社会防衛論的な考え方がかなり浸透しているものと見られます。

 このように「矯正不能犯罪者」というものが一定数社会に存在するという考え方を近代医学の装いの下に体系化したのが、19世紀イタリアの法医学者チェーザレ・ロンブローゾでした。彼は、隔世遺伝や変質による一定の身体的・精神的特徴を持ち、必然的に犯罪に陥る「生来性犯罪人」という概念を提出し、こうした人間を淘汰する悲しむべき方法として、死刑を勧めたのです。
 ロンブローゾは、刑罰の第一の目的が社会防衛にあり、この観点から犯罪者の改善が刑罰の第二義的目的であるとする教育刑思想に立ちつつ、死刑を「生来性犯罪人」に対する例外的な“淘汰”の方法として指示しています。
 こうしたロンブローゾの思想が、ちょうど同時代に風靡していた進化論的な“淘汰”の理論と符丁を合わせていることは明らかですが、彼の「生来性犯罪人説」は今日、すでに医学的・実証的な根拠を欠くものとして否定され、過去の学説となっています。
 現代の社会防衛論はむしろ積極的に死刑を否定し、犯罪を犯した人に対する適切な矯正・更生プログラムに基づく社会復帰の支援を通じた社会防衛を志向するようになってきました。
 この点、刑事政策専門家の国際的な会合である国際社会防衛会議は、国連よりも40年以上先駆け、第二次世界大戦直後の1947年の第一回会議でいち早く死刑廃止を決議しています。
 この決議を知ってか知らずしてか、日本の憲法の番人はその翌年に、同じ社会防衛という名の下に「特殊な社会悪の根元を絶つ」死刑の合憲性を承認したのでした。
 第4話でも論じたように、「特殊な社会悪」としての犯罪はその時代の社会構造の歪み・ひずみを温床として引き起こされる社会現象であるため、「社会悪の根元」は犯罪を犯した個人にあるわけでなく、社会そのものにあり、個人の犯罪はそうした社会構造の投影的表出にすぎないという考えは今日、刑事政策においても認められるようになっています。
 従って、「特殊な社会悪の根元を絶つ」最も究極的な方法は、マルクスが示唆したように犯罪現象の温床を成す社会構造そのものを変革する社会革命ということになるでしょうが、さしあたっては犯罪を犯した人の改善・更生・社会復帰を支援していくことが目指されるのです。

 とはいえ、やはりこの世には「矯正不能」のゆえに社会復帰が許されない犯罪者―言わば「モンスター犯罪者」―が存在するのではないか。そういう反問もあるかと思います。
 しかし、一般に凶悪犯罪の再犯率は高くなく、例えば平成19年の『犯罪白書』のデータでは、殺人罪の再犯率(再び殺人罪を犯した再犯者の割合)はわずか0.9パーセントにすぎず、これは窃盗罪の28.9パーセントに比べて大きな差異があります。それでも、少数ではあれ、凶悪犯罪を繰り返す者がある限りは対策が必要ではないか━。
 この問いは、いわゆる「死刑の代替刑」という論点にもつながっていきます。近年、死刑廃止運動の側からも「仮釈放の可能性のない終身刑」(以下、「仮釈放なき終身刑」という)を提唱し、これを死刑の代替刑とすることで死刑廃止への理解を得ようとする考えが有力化し、議員グループによる議案提出の動きもあります。
 仮釈放なき終身刑は、恩赦されない限り、原則として生涯刑務所から出所することができないという刑罰ですから、社会復帰を許さないという点では死刑と同質的な部分を持ちます。そのため、死刑に準じた厳罰として死刑の代替刑にふさわしいと考えられているです。
 現在の日本の刑罰体系上、死刑に次ぐ刑罰は無期懲役刑ですが、この刑にあっては最短で10年すると仮釈放の可能性が生じることから(刑法28条)、死刑の代替刑とするには軽すぎるということも、仮釈放なき終身刑を推奨する有力な理由として挙げられています。

 しかし、筆者は日本においては仮釈放なき終身刑の必然性は存在しないものと考えています。理由は次のとおりです。
(一)現行無期刑(無期懲役刑及び無期禁錮刑の総称。以下同じ)の本質は「終身刑」であること
 現行無期刑は「無期」とはいうものの、実際は恩赦されない限り、刑の執行自体は受刑者の終身間続くものですから、実は「終身刑」なのです。ただし、仮釈放の可能性があることから、正確には「仮釈放の可能性のある終身刑(仮釈放付き終身刑)ということになります。
 そのため、たとえ10年で仮釈放が付いたとしても、受刑者は原則として終身間保護観察下に置かれるほか、公民権も剥奪され、再犯はもちろん、遵守事項違反などがあれば、仮釈放が取り消され、再び収監されます。
 これに対して、本来の「無期刑」とは「期限の定めのない刑」ということですから、これは遠い将来のいつか刑の執行は終了するが、いつ終了するかは決まっていない刑罰のことを意味しています。このような絶対的不定期刑は憲法に違反すると解されているため、現行刑罰体系上は存在しません。
 実は、現行「無期刑」はネーミングを誤っているのであり、その本当の名前は「終身刑(終身懲役刑及び終身禁錮刑)」であるべきなのです。
 もしも現行「無期刑」は仮釈放の可能性がある以上、「終身刑」ではないと考えるなら、それは誤りです。なぜなら、仮釈放とは文字どおり「仮」の釈放にすぎず、刑の執行の終了を意味していないからです。
 この点、英語では終身刑のうち仮釈放付きのものをlife sentence with parole、仮釈放のないものをlife sentence without paroleとすっきりした対語で表現するので、大変わかりやすくなっています。
(二)現行刑法上の仮釈放は義務的なものではないこと。
 現行刑法上の仮釈放はすべて行政官庁(地方更生保護委員会)による裁量(許可)に委ねられており、義務的なものではありません。従って、現行無期刑の下でも仮釈放の要件を満たしていながら、何らかの政策的理由から生涯仮釈放が許可されず、刑務所で生き続けるということも十分あり得るところです。
 この点やや古いデータですが、1999年に内閣が国会議員の質問に対して開示した資料によると、同年4月1日現在で40年以上刑務所に収容されている無期刑受刑者が11人(最長は50年9ヶ月)に上っていました。
 ですから、最短10年で仮釈放が付くというのは抽象的な可能性にすぎず、実際上は10年で仮釈放が付くようなことはまずありません。特に近年は無期懲役受刑者の仮釈放が全般的に厳格となり、そもそも仮釈放自体が許可されにくくなっているうえに、許可された場合でも平均収容年数は20年を超えるようになってきました。この点、平成21年度は6人しか仮釈放が付かず、しかも全員が25年を超えて収容されていた人たちです(うち1人は35年超)。
 「無期懲役刑では10年で仮釈放が付くから軽すぎる」どころか、仮釈放の運用が厳格すぎるのではないかを心配しなければならないのが近年の状況です。
 しかし、見方によっては、このような裁量的仮釈放の制度は受刑者の特性や改善の程度に合わせて弾力的に運用できるメリットがあるとも言えます。従って、例外的には存在するかもしれない「モンスター犯罪者」に関しては、改善が顕著に進まず、結果として生涯を刑務所で過ごしてもらわざるを得ないかもしれませんが、それはそれとしてやむを得ないことでしょう。

 以上の理由に加えて、仮釈放なき終身刑を導入すべきでない次のような二つの追加理由があります。
(三)仮釈放なき終身刑は凶悪犯罪を誘発する危険があること。
 現在でも、生活できず「刑務所に入りたい」との動機から犯罪を犯して自ら出頭・逮捕される人々が少なからずいます。仮釈放なき終身刑とは要するに、受刑者を生涯刑務所で世話することを意味していますから、現実社会で生きていけない人にとっては、厳しい統制を受ける刑務所生活に忍従してでも、“食事風呂付き”の終身生活保障の方が有り難いと感じられるでしょう。そういう狙いの下に、意図的に凶悪犯罪を犯して、仮釈放なき終身刑を自ら求める人が出現する可能性は十分あるのではないでしょうか。
 死刑に関しても「死刑になりたい」との動機から凶悪犯罪を犯す“死刑願望者”が存在するわけですが、死刑にせよ、仮釈放なき終身刑にせよ、いわゆる“厳罰”は犯罪を抑止するどころか、誘発する逆効果の危険を伴っています。
 死刑が「生きる意欲」を失った人を魅惑するとすれば、仮釈放なき終身刑は「生きる能力」を失った人にとって魅力的な選択肢となりかねないのです。
(四)国際人権規約(自由権規約)10条3項は、行刑の制度に矯正及び社会復帰を基本的な目的とする処遇を含むことを要請していること。
 日本も批准済みの上記規約条項は「行刑の制度は、被拘禁者の矯正及び社会復帰を基本的な目的とする処遇を含むものとする。」と定め、「矯正及び社会復帰」を受刑者の基本権として裏から保障しています。
 従って、初めから仮釈放の可能性を遮断してしまう終身刑は、「矯正及び社会復帰」という「基本的な目的」を欠く単なる保安目的の刑罰として上記規約条項に違反する疑いがあります。
 この点、仮釈放なき終身刑を支持する見解の中には、恩赦の権利を保障しておけば足りるという主張もありますが、恩赦自体は行政権による政策的な刑の減免措置にすぎず、矯正プログラムや社会復帰のためのサポートなどを含まないため、それだけでは規約条項の「矯正及び社会復帰を「基本的な目的とする処遇」には当たらないと言うべきでしょう。

 それでは死刑の代替刑はどうしてくれるのかとの反問があるかもしれませんが、実はこの問い自体が的外れのように思われます。なぜなら、生きると死ぬとは大違いですから、死を強制する刑罰は代替不能であり、死刑には文字どおりの代替刑は存在しないからです。そこで、正しい問いは「死刑廃止後の最高刑はどうあるべきか」と立てられるべきでしょう。
 この答えは実はカンタンです。先に指摘したように、誤って名づけられている現行の「無期懲役刑」及び「無期禁錮刑」の名前を「終身懲役刑」及び「終身禁錮刑」(以下、両者を「終身刑」と総称する)に一括変更するだけでOKです。
 そのうえに、最低限次の五点は改正を加えることが有益と考えられます。
 第一点として、終身刑が乱発されないようにするために、自由刑の量刑は原則として期間が定まった通常の有期刑の範囲内で行い、終身刑は通常の有期刑の上限(現行法上は30年)をもってしても足りないほど加重すべき事情がある場合に限って科すべきものとすることを刑法総則の規定上明文で条件付けること。
 第二点として、現行無期刑において仮釈放が可能な最短期間の10年という期間の定めはすでに空文化しているので、これを15年に引き上げること。
 第三点として、再犯危険性が除去されない間の早まった仮釈放を防止するため、終身刑の仮釈放の要件として、現行の「改悛の状があること」に加え、「同種又は同等以上の犯罪を再び犯すおそれがないこと」を要求すること。
 第四点として、終身刑の仮釈放の運用が硬直化しないよう、終身刑受刑者に対しては、15年を経過した時点から本人の申請がなくとも毎年定期的な仮釈放審査を義務づけること。
 第五点として、仮釈放中の終身刑受刑者の改善が高度に進んだことが認められた場合は、恩赦による刑の終了措置を必要的なものとすること。

 このようにして新装された終身刑(仮釈放付き終身刑)は、受刑者の矯正・社会復帰の権利と社会防衛の必要とをバランスする制度として十分信頼に値すると思われます。

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