一 商品の支配(2)
使用価値は、富の社会的形態がどんなものであるかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている―交換価値の。
資本主義社会の主役である商品も一つの富であるから、当然何らかの使用に役立つ性質―使用価値―を持つが、単に使用価値を持つだけでは商品にならない。商品は、他のモノとの交換関係で定まる価値―交換価値―を持っている。ということは、交換に供し得るだけの使用価値を持っていることが必要である。
いろいろな商品のいろいろな使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する。ブルジョワ社会では、各人は商品の買い手として百科事典的な商品知識をもっているという擬制が一般的である。
第二文は脚注の言葉であるが、名言である。ブルジョワ資本主義社会に生きる者は、巨大な商品の集まりの中から、購買するに値する使用価値を持つ商品を選び出す眼力を持っているものとみなされている。しかし、現実にはそんな商品学の知識を持つ消費者はほとんどいないため、使用価値のないモノをあるように偽ったり、実際の使用価値を過大に宣伝したりする商品詐欺が跡を絶たない。商品化の拡大により、詐欺商法は蔓延状態にある。というより、何らかの誇大宣伝は常態化しており、それが違法行為に当たるかどうかは程度問題にすぎない。
交換価値は、まず第一に、ある一種類の使用価値が他の使用価値と交換される量的関係、すなわち割合として現れる。それは、時と所によって絶えず変動する関係である。
交換価値が、使用価値と使用価値の量的関係である―例えば、机2個と本棚1個―というのは、物々交換では言えることだが、貨幣交換―例えば、机2個と2万円―になると、こうした使用価値対使用価値という関係も消失し、金額的価値として抽象化される。それは「物価」として相場を形成し、時間的・場所的に上下変動する不安定な社会因子となる。
使用価値としては、諸商品は、なによりもまず、いろいろに違った質であるが、交換価値としては、諸商品はただいろいろに違った量でしかありえないのであり、したがって一分子の使用価値も含んではいないのである。
ここで、マルクスは交換価値には使用価値は一切含まれないかのようにいささか筆を滑らせているが、冒頭で述べたように、交換価値を持つには交換に値するだけの使用価値を持つことが本則である。しかし貨幣交換が圧倒的に通常の交換方法となった現代資本主義社会における交換価値は、使用価値と無関係ではないにせよ―多機能で高度な使用価値を持つ商品は通常高価である―、ひとまず使用価値から分離されている。そのため、使用価値のないシロモノが商品として出回る詐害現象が発生しやすい。では、交換価値とはいったい何者なのか。