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晩期資本論(連載第6回)

2014-07-31 | 〆晩期資本論

一 商品の支配(5)

貨幣結晶は、種類の違う労働生産物が実際に等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の、必然的な産物である。

 マルクスは、貨幣形態が単純な物々交換から直線的に展開されるかのような論理定式を提示した一方で、貨幣形態が多種類の労働生産物の交換過程から必然的に発生することを指摘していた。

交換の不断の繰り返しは、交換を一つの規則的な社会的過程にする。したがって、時がたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部分は、はじめから交換を目的として生産されなければならなくなる。この瞬間から、一方では、直接的必要のための諸物の有用性と、交換のための諸物の有用性との分離が固定してくる。諸物の使用価値は諸物の交換価値から分離する。

 物々交換の大量反復化は、交換そのものを独立した社会的な制度に仕上げ、初めから交換に供する目的での生産活動―商品生産―を誕生させた。晩期資本主義社会にあっては、生産活動の大半が商品生産である。商品生産社会では、生産者と消費者が機能的にも分離するようになるから、そもそも物々交換の余地はなくなる。すると、必然的に商品の交換手段は、貨幣のような抽象的な価値によらざるを得ない。この意味でも、物の生産者同士が自己の生産物を交換し合う物々交換とは断絶があるのである。
 しかし、マルクスはすぐ後で、「他方では、それらの物が交換される量的な割合が、それらの物の生産そのものによって定まるようになる。慣習は、それらの物を価値量として固定させる。」と付け加え、持論の労働価値説を前提に、理論が慣習に先行するかのような転倒した論理を展開している。

遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、かれらの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、かれらの生活様式がかれらを絶えず他の共同体と接触させ、したがってかれらに生産物交換を促すからである

 このように、マルクスは机上論的な論理展開とは別に、貨幣形態の発生過程について経済人類学的な説明も与えていたのである。たしかに定住せず、季節的に移動して回る遊牧民は必然的に、直接的な生産活動より商業活動に依存するようになる、
 実際のところ、アラブ人やモンゴル人のような有力な遊牧民族は広域商業民族でもあり、貨幣経済の発達にも歴史的な寄与があった。その意味で、遊牧民族は商業文明の開拓者であったと言える。そして、現代のグローバル資本主義の中で、国境を越えて世界を飛び回る資本制企業も、ある種の遊牧民的な行動原理を持っていると言えるだろう。
 結局のところ、マルクスの価値形態論には純粋経済原論的説明と経済人類学的説明とが混在しているようであるが、強いて両者を統一するとすれば、商業文明が発達したある時期以降、古代以来の伝統的な物々交換取引が相当に定型化され、マルクスの価値形態論第三定式(一般的価値形態)のように、特定の物が貨幣的に扱われるようになっていき、そこからより徹底した等価物としての貨幣形態が生まれたのだと説明できるかもしれない。
 そう解すれば、次の一文は、物々交換の範囲内で特定の物が貨幣的に扱われる過渡的な段階を過ぎて、貨幣がそれ自体物々交換に供する独立した商品ではなく、単なる交換価値の表象と化した現代資本主義の一つの側面を示すものと読める。 

一商品は、他の商品が全面的に自分の価値をこの一商品で表わすのではじめて貨幣になるとは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表わすように見える。

☆小括☆
以上、「一 商品の支配」では、『資本論』第一巻第一章「商品」と第二章「交換過程」に相当する部分を参照しながら、晩期資本主義社会における主役である商品のありようを概観した。

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