一 商品の支配(4)
諸商品は、それらの使用価値の雑多な現物形態とは著しい対照をなしている一つの共通な価値形態―貨幣形態をもっているということだけは、だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っていることである。
商品にはすべて交換価値として、貨幣で数値的に表された値段がついている。このことは、商品支配の世界で生きる者なら、子どもでも知っている。しかし、ここでマルクスが「だれでも、ほかのことはなにも知っていなくても、よく知っている」と断じるのは、いさささ筆を滑らせている。現代世界でも、貨幣経済を持たないままアマゾンの密林奥深くに住む文明未接触部族にとっては、モノの価値が貨幣で抽象的に示されるということは、決して自明ではない。マルクスが「貨幣の謎」と呼ぶものを知っているのは、貨幣交換を自明のものとする社会に生まれ育った者だけである。
ただ、それはあくまでも経験的に知っているというだけであって、「貨幣の謎」を原理的に理解している人は少ない。マルクスは、彼なりの理論によって、この謎に迫ろうとした。それによると、商品の貨幣形態には四段階の論理的なプロセスが含まれている。
x量の商品A=y量の商品B またはx量の商品Aはy量の商品Bに値する。
マルクスはこの第一段階の定式を「単純な価値形態」と命名する。具体例として、リンネル(布素材)20エレ=上着一着という物々交換事例が挙がっている。物々交換がほぼ廃れた晩期資本主義社会では、理解しにくい規定である。元来、物々交換は地域ごとに慣習的に形成されてきた経済行為であって、何と何を交換するかは慣習によって定まることであり、画一的に貨幣と交換する貨幣交換とは本質的に異なるものであった。しかし、マルクスはこの定式を次のように、持論の労働価値説と結びつける。
「20エレのリンネル=一着の上着 または、20エレのリンネルは一着の上着に値する」という等式は、一着の上着に、20エレのリンネルに含まれているのとちょうど同じ量の価値実体が含まれているということ、したがって両方の商品量に等量の労働または等しい労働時間が費やされているということを前提とする。
こう定言した後、マルクスは「しかし、20エレのリンネルまたは一着の上着の生産に必要な労働時間は、織布または裁縫の生産力の変動につれて変動する。」と付け加えて、その変動の具体的事例を数学的に縷々検討している。
けれども、物々交換と貨幣交換はおおまかに言えば前者から後者への歴史的な変遷は認められるものの、両者の間には文化的な断絶があり、前者から後者を直接に導くことはできない。マルクスには経済人類学の知見が十分になかったこと―当時は、人類学自体が未発達であった―が、こうした机上論的定式化を来たした一つの原因であったろう。
z量の商品A=u量の商品B または=v量の商品C または=w量の商品D または=x量の商品E またはetc.
マルクスはこの第二段階の定式を「拡大された価値形態」と命名する。見たとおり、これは上記の定式をより様々な商品との交換関係に拡大したものである。しかし、こうした物々交換の規則は慣習的に定まるのであるから、労働価値説のような机上論で統一的に説明しようとしても、それを実証することはできない。
一着の上着 10ポンドの茶 40ポンドのコーヒー 1クォーターの小麦 2オンスの金 二分の一トンの鉄 x量の商品A 等々の商品 =20エレのリンネル
マルクスはこの第三段階の定式を「一般的価値形態」と命名する。これは第二段階の定式を言わば逆さまにした定式であり、掲記された量の諸商品がすべて20エレのリンネルの等価物に収斂されていくことを示している。しかし、現実の取引社会にこのような物々交換表は存在しないのであり、これは論理上最終の貨幣形態を導き出すためにマルクスが案出した中間項であった。
20エレのリンネル 一着の上着 10ポンドの茶 40ポンドのコーヒー 1クォーターの小麦 二分の一トンの鉄 x量の商品A =2オンスの金
マルクスによれば、これが最終段階の「貨幣形態」である。これは、第三段階の統一的な価値形態であった20エレのリンネルを2オンスの金に置き換えたものである。しかし、この定式はまだ金そのものを物々交換対象としており、あらゆる物品を抽象的な貨幣価値と交換する貨幣交換にはあてはまらない定式である。そこでマルクスは、最後に「価格形態」という用語を追加して、次のように規定する。
すでに貨幣商品として機能している商品での、たとえば金での、一商品たとえばリンネルの単純な相対的価値表現は、価格形態である。
こう述べて、先の20エレのリンネル=2オンスの金という定式を20エレのリンネル=2ポンド・スターリングという定式にすり替えるのであるが、金そのものを物々交換対象としている前者と金を貨幣単位に抽象化して交換価値としている後者では経済行為としての意味を異にしており、両者を単純に置換することはできない。かくして、マルクスの有名な価値形態論は精巧な論理の手品のようなものであったと言ってよい。
ただ、マルクスが最後に苦し紛れに持ち出した「価格形態」は、まさにアマゾン的な巨大な商品市場の原理を説明するうえでなお有益な概念であるが、それは一般的な価値形態とは断絶した晩期資本主義社会に特有の文化的な価値形態である。