一 政治社会構造(続き)
独裁者なきファシズム
ファシズムと言うと、カリスマ的な独裁者の存在がイメージされる。政治理論的には、ファシズムの特徴として、こうした独裁的指導者の存在を要件とする見解が普通である。逆言すれば、独裁者なきファシズムはあり得ないということになる。しかし、議会制ファシズムに個人としての独裁者は必要なく、言わば集団的独裁の形態で成立する点に特徴がある。
議会制ファシズムは、その名のとおり、議会制の枠組み内で発現するため、大衆の政治参加が排除されるわけではない。とはいえ、政権交替はなく、巨大与党の常勝支配が続くという限りでは、戦後の「55年体制」と類似する点もある。ただ、55年体制では万年野党と揶揄されながらも、対抗野党が存在していたのに対し、議会制ファシズムでは野党は断片化され、対抗力を持たない。
その一方で、ファシスト与党の政治的動員力は相対的に強く、特に党の青年組織は娯楽的な要素を持たせた巧みな政治イベントを主催し、大学や高校にも浸透、選挙でもフル稼働する。これにより、18歳選挙権とあいまって、青年層の投票率は上昇し、議会選挙の投票率全般を押し上げるだろう。
しかし、社会総体として、2050年の日本では超少子超高齢化が進み、人口も1億人を割り込んでいる。要介護高齢者が増大する中、在野の社会運動も低調となり、政府による政治的統制も加わり、大衆の動員解除状態が確定する。動員解除は、大衆教育においても国家主義が浸透し、体制批判的な活動への参加意欲が低下することによって、担保されるだろう。
動員解除をもたらす政治的統制の一方で、私生活の自由は高度に保障され、政治的な発言・活動を控えて、私生活を満喫する風潮が広がる。市民はばらばらの個人として流動化し、烏合の衆と化す。そうした烏合の衆がファシスト政権与党という鷹によって管理されるような構図となる。
そうした効率的な大衆管理を徹底するべく、行政権は大幅に強化され、執行権独裁というファシズムに共通する現象は発現してくる。結果として、行政権トップの総理大臣の指導性は高まり、集団的独裁制の「顔」としてのある種カリスマ性を帯びるため、実際、個人としても大衆的人気に依拠するタイプの総理大臣が輩出されやすくなるだろう。