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晩期資本論(連載第49回)

2015-06-16 | 〆晩期資本論

十一 利潤率の低下(1)

・・・・・資本構成の漸次的変化が、単に個々の生産部面で起きるだけでなく、多かれ少なかれすべての生産部面で、または少なくとも決定的な生産部面で起きるということ、つまり、この変化が一定の社会に属する総資本の有機的平均構成の変化を含んでいるということを仮定すれば、このように可変資本に比べて不変資本がだんだんに増大してゆくということの結果は、剰余価値率すなわち資本による労働の搾取度が変わらないかぎり、必ず一般的利潤率の漸次的低下ということにならざるをえないのである。

 有名な「利潤率の傾向的低下法則」(以下、利潤率法則という)である。資本制企業は利潤率の向上を目指して日々企業努力をするはずであるが、それにもかかわらず、否、それゆえに利潤率は低下していくという。このような自己矛盾が生じる要因は、「不変資本の物量が増すのにつれて、同じ割合ではないとはいえ、不変資本の価値量も、したがってまた総資本の価値量も増してゆくからである」。すなわち―

資本主義的生産は、不変資本に比べての可変資本の相対的減少の進展につれて、総資本のますます高くなる有機的構成を生みだすのであって、その直接の結果は、労働の搾取度が変わらない場合には、またそれが高くなる場合にさえも、剰余価値率は、絶えず下がってゆく一般的利潤率に表わされるということである。

 このような総資本の有機的構成の高度化は、資本制企業が日々邁進している労働生産性の向上の結果であり、「この発展は、まさに、機械や固定資本一般をますます多く充用することによってますます多くの原料や補助材料を同じ数の労働者が同じ時間で、すなわちより少ない労働で生産物に転化させるということに現われるのである。このような不変資本の価値量の増大━といってもそれは不変資本を素材的に構成する現実の使用価値量の増大を表わすにはほど遠いものであるが━には、生産物がますます安くなるということが対応する」。まとめれば、労働生産性の向上による安売りが、利潤率の傾向的低下の要因を成す。

だから、一般的利潤率の漸進的な低下の傾向は、ただ、労働の社会的生産力の発展の進行を表わす資本主義的生産様式に特有な表現でしかないのである。

 マルクスによれば、「資本主義的生産にとってこの法則は大きな重要性があるのであって、アダム・スミス以来のいろいろな学派のあいだの相違はこの解決のための試みの相違にあるとも言えるのである」。しかし、マルクスの見るところ、資本構成の高度化の矛盾という点に着目しない「従来の経済学がこの謎の解決に一度も成功しなかったということも、少しも謎ではなくなるのである」。
 
・・・・資本によって充用される労働者の数、つまり資本によって動かされる労働の絶対量、したがって資本によって生産される利潤の絶対量は、利潤率の進行的低下にもかかわらず、増大することができるし、またますます増大して行くことができるのである。ただそれができるだけではない。資本主義的生産の基礎の上では━一時的な変動を別とすれば━そうならなければならないのである。

 利潤率法則の補充法則である。利潤率低下と絶対的利潤量の増加が同時発現するというのも一見矛盾的であるが、利潤率の低下をもたらす可変資本の相対的な減少は、剰余労働の絶対量の増大とは両立的であるし、不変資本=生産手段の増大は労働者人口の増加をもたらす。ここで、第一巻で論じられた相対的過剰人口論とつながってくる。すなわち━

・・・一方では、労賃を引き上げることによって、したがって、労働者の子女を減らし滅ぼす諸影響を緩和し結婚を容易にすることによって、しだいに労働者人口を増加させるであろうが、しかし、他方では、相対的剰余価値をつくりだす諸方法(機械の採用や改良)を充用することによって、もっとずっと急速に人為的な相対的過剰人口をつくりだし、これがまた━というのは資本主義的生産では貧困が人口を生むのだから━現実の急速な人口増殖の温室になるのである。

 ここで二つの方向性が示されているが、晩期資本主義の現代では、圧倒的に後者の「相対的剰余価値をつくりだす諸方法」による労働者の相対的過剰化が進んでいるが、その結果として労働者の非婚・少子化が進行し、将来的には労働者の絶対的過少人口が懸念されることから、第一の労賃の引き上げも検討せざるを得なくなってくる。しかし、労賃の上昇高騰は新たな恐慌の要因ともなるが、この件は利潤率法則の「内的矛盾」として後に議論される。

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