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奴隷の世界歴史(連載第34回)

2017-12-07 | 〆奴隷の世界歴史

第四章 中世神学と奴隷制度

スペインにおける奴隷論争
 大航海時代のスペインが当初大西洋奴隷貿易に大きな関心を示さなかったのは、入植先の新大陸で先住民―スペイン人による誤称インディオ―を奴隷化し、農場・鉱山労働などに使役していたからである。ローマ教皇アレクサンデル6世による1493年のいわゆる「贈与大勅書」は、こうしたスペインによる先住民奴隷化を正当化するものと解釈されていた。
 そうした中、先住民は酷使とスペイン人が持ち込んだ伝染病に対する免疫欠如などから大量死し始めていた。スペイン当局もようやく状況を問題視し、インディアス審議会を設置して先住民問題の現地調査を開始する。その一員に加わったのがバルトロメ・デ・ラス・カサス司祭であった。
 ラス・カサスは16世紀初めにスペイン領エスパニョーラ島(現ドミニカ共和国)に渡り、自身も現地で先住民奴隷を使役する農場エンコミエンダを経営する一人であった。しかし、彼は現地での先住民の置かれた惨状に心を痛め、二度の宗教的な改心を経て強力な奴隷解放論者となり、ドミニコ会修道士として現地活動や本国への報告を通じて先住民の保護を訴え続けた。
 1537年に改革派の教皇パウルス3世によって発せられた新大陸先住民の奴隷化を禁ずる勅令の影響もあり、スペイン国王カルロス1世は1542年、バリャドリッドにインディアス会議を招集、先住民保護とエンコミエンダ制の廃止(ただし、新大陸では適用除外)を軸とするインディアス新法を制定した。
 ラス・カサスが同会議に合わせて参考資料として執筆した報告書『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』では、現地スペイン人入植者による先住民虐待の実態が生々しく描写され、議論を呼んだ。会議後、スペイン領メキシコのチアパス司教に任命されたラス・カサスと保守派神学者フアン・ヒネス・デ・セプルベダの間で大論争―バリャドリッド論争―が巻き起こった。
 アリストテレス研究者でもあったセプルベダは、人間には生来、奴隷として作られた存在がいるとするアリストテレスの有名な「生来性奴隷論」に立脚して、先住民奴隷化を擁護したのに対し、ラス・カサスは現地調査に基づき、先住民も独自の文明と理性を備えた存在であることを文化相対論的に反駁・論破したのであった。
 ところで、ラス・カサスの奴隷解放論は主として新大陸先住民を念頭に置いており、彼も若き日には先住民奴隷の代替としてアフリカ黒人奴隷の移入はやむを得ないと考えていたところ、後の「改心」により、最終的には奴隷制度全般の廃止を主張するようになった。
 ラス・カサスの没後二年して、時の教皇ピウス5世はアレクサンデル6世の「贈与大勅書」がインディアス征服を正当化するものでないことを確認する修正的見解を発したが、ラス・カサスの信念と生涯をかけた努力にもかかわらず、教皇庁が間もなく始まる大西洋奴隷貿易の隆盛を阻止するような神学的見解を示すことはなかったのである。

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