アメリカでの人種暴動・抗議デモを契機とする反人種差別抗議行動が世界に広がる中、ドイツで、差別を禁じる憲法条文中にある「人種」という表現を削除するか、他の文言に置き換えるべきだとの議論が与野党で広がっているという。人種という概念自体が差別を助長するとの問題意識が背景にあるとも指摘される(時事通信記事:リンク切れ)。
提唱者の標語を借りれば、「人種はない。あるのは人間だけだ」ということになる。
たしかに、現生人類は生物としては一つの種であり、これを主として肌の色を基準に「人種」に分けるという発想は非科学的である。特に、遺伝学が大きく進展した現在では、遺伝系譜を無視した肌色分類はナンセンスである。
特に「白人」という概念ほどばかげたものはない。なぜなら、文字通りに肌色が白い「白人」など存在しないからである。もし、文字どおりに肌が白なら、それは先天疾患のいわゆるアルビノであろう。*アルビノは、「人種」に関わりなく、しばしばいじめや差別、迫害を受けてきた。
とはいえ、人類をY染色体ハプログループやミトコンドリアDNAハプログループの型に基づく遺伝系譜によって分類することは可能であり、遺伝系譜上の「人種」という概念は、必ずしも非科学的ではないかもしれない。
従って、憲法から「人種」の用語を削除しても、それだけで人種差別という事象が廃絶されるわけではない。むしろ、別の用語による言い換えや禁止語による差別が依然して横行するという可能性は排除できない。
問題は人種という用語自体よりも、人種分類という習慣を終わらせることである。その結果、白人、黒人、有色人種・・・・といった人種分類用語は慣用されなくなり、死語となるだろう。
その点で、反人種差別の抗議運動が「Black Lives Matter」を標語化していることには―黒人差別こそ人種差別の中核という歴史的かつ現在的な理由があるにせよ―、複雑な感想を持たざるを得ない。
むしろ「Each Life Matters」であるべきではないか。ちなみに、All Lives ではなく、Each Lifeと単数個別形にするのは、人々をallでひとくくりにするのでなく、一人一人として把握するためである。このような視座から、表題の問いに答えるなら、人種概念の「廃棄」ではなく、「終焉」である。