ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

奴隷の世界歴史(連載第32回)

2017-12-05 | 〆奴隷の世界歴史

第四章 中世神学と奴隷制度

奴隷制と中世キリスト教会
 大西洋奴隷貿易が開始される前の中世ヨーロッパは、イスラーム勢力による奴隷狩りの対象地域であり、自身の社会は奴隷制よりも農奴制が支配的な時代であった。その点、中世ヨーロッパに先立つグレコ‐ローマン社会が奴隷制を軸としていたのとは大きく異なる。
 とはいえ、中世ヨーロッパ内部にも奴隷慣習は各地で残存しており、奴隷制がおおむね農奴制に置換されていくのは西暦1000年前後とみなされている。その後もイングランドでは根強く奴隷制が残り、11世紀後半のウィリアム1世(征服王)の時代でも人口の10パーセントは奴隷が占めていた。
 ビザンツをヨーロッパに含めるなら、このローマ帝国東半分の生き残り帝国では奴隷制度は完全に維持されていた。ちなみに英語で奴隷を意味するslaveも、ビザンティン時代のギリシャ語のスラブ人を意味する単語σκλάβοςに由来するとされるほど、ビザンツ帝国の奴隷制度は当代象徴的なものであった。
 中世の東西ヨーロッパに拡散されたキリスト教聖典の聖書はイスラーム教聖典のコーランとは異なり、奴隷の所有を公式に認めているわけではなかったが、かといって明確に禁止しているわけでもない。
 そうした中、ビザンツ皇帝による統制の強い東方教会が奴隷制廃止に踏み込まなかったことは明らかであるが、西欧カトリック教会は教会会議を通じて奴隷制への介入を試みながらも、その内容はキリスト教徒を非キリスト教圏へ奴隷として売ることの禁止や、当時盛んだったイングランドからアイルランドへの奴隷貿易の禁止といった限定的なものにとどまっていた。
 そうした神学的曖昧さに対して、1315年、フランスのルイ10世が発したフランス王国内における奴隷制を廃止する勅令は異例のものであった。この勅令は人間は生まれながらにして自由であり、奴隷はフランス国内に足を踏み入れたなら解放されなければならないと規定していた。教会が奴隷制そのものの廃止に関して態度を明確にしない中、世俗法が先を越したと言える。
 ルイ勅令はその後もフランスでは効力を持ち続けたが、その適用範囲はフランス内地に限定されたため、大西洋奴隷貿易が開始されると、かえって反対解釈によって大西洋奴隷貿易への参入を通じた海外植民地での奴隷制を促進する結果を招いたのだった。

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貨幣経済史黒書(連載第4回)

2017-12-03 | 〆貨幣経済史黒書

File3:古代ローマ/中国の悪貨インフレーション

 貨幣経済が暮らしにもたらす悪影響の中でも、物価の上昇を伴うインフレーションは特に暮らしを直撃する悪弊であるが、大規模なインフレーションは東西二大帝国であるところのローマと中国で最初に経験されている。
 古代ローマは貨幣制度に関しても先行のギリシャのそれを踏襲し、紀元前211年から鋳造開始されたデナリウス銀貨が広く定着した。また、マルクスがやや誇張的に「貨幣制度は元来ローマ帝国で、ただ軍隊の中で完全に発達していたに過ぎない」と述べたとおり、古代ローマは兵士の給与を貨幣で支給する給与制の先駆けでもあった。
 しかし、純度の高い統一通貨を鋳造する能力の欠如ゆえに金銀複本位制を採用したことに加え、帝国の拡大に伴う支出増からもデナリウス銀貨の純度は低下の一途をたどり、悪貨の増大による貨幣インフレーションが定在化した。
 そこで、カラカラ帝は215年、デナリウス貨の二倍相当の価値を持つアントニニアヌス貨を導入したが、これはデナリウスよりいっそう銀保有量の少ない低質貨幣であり、最終的にはほとんど青銅貨となっていった。悪貨増大によるインフレは止まらず、ディオクレティアヌス帝は往年のデナリウス銀貨と同等の銀保有量を持つアルゲンテウス貨幣を導入した。
 さらに、帝はインフレ抑制のため、財やサービスの上限価格を法定する最高価格勅令を発し、物価統制を図ったが、市場経済において物価統制を貫徹することは不可能であり、この政策も失敗に終わった。こうして、インフレーションはローマ経済の恒常的な特質となり、その内部からの衰退を促進した。
 一方、古代中国では秦による統一に際して度量衡も統一され、半両銭と呼ばれる銅銭が統一通貨となった。しかし、より持続的な統一通貨は前漢の武帝が紀元前118年に発行した五銖銭である。この通貨自体は後漢の時代を越えて唐代初期に廃止されるまで幾度かの中断をはさんで発行が継続された息の長い通貨であった。
 しかし、ローマと同様、純度の高い統一通貨を鋳造する能力の欠如から悪貨が流通し、インフレーションを招いた。ことに、後漢末、実権を掌握した軍人の董卓は五銖銭を董卓小銭と呼ばれる質の悪い硬貨に改鋳し、深刻なインフレーションを引き起こした。
 その後、魏晋南北朝時代に五銖銭の発行が再開されても、銅不足から布帛、穀物、塩、さらには鉄片、革、紙までもが物品貨幣として使用される原初的貨幣経済が並存し、混乱を招いたことが、唐以前の中国経済の特徴となった。
 こうした古代ローマ/中国における悪貨インフレーション自体は、当代随一の帝国といえども純度の高い貨幣鋳造能力が欠如していた時代の産物であり、やがて中国に発祥する紙幣の発明により、一つの区切りがつけられる。

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民衆会議/世界共同体論(連載第19回)

2017-12-02 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第4章 民衆会議の組織各論②

(5)民衆会議と経済計画 
 民衆会議の総合的な施政機関としての特色を示すもう一つの柱として、経済計画の承認という任務がある。真の共産主義的経済計画は、計画対象企業体による自主的な共同計画として、民衆会議とは別立ての経済計画会議が審議・策定する(拙稿参照)。
 経済計画会議で最終的に議決された経済計画案は、その後、全土民衆会議に送られたうえ、審議・承認されて初めて発効する。 これによって、経済計画は法律そのものではないが、単なる政策要綱でもなく、法律に近い拘束力を持った準則となる。
 なお、以上は全土レベルの生産活動に係る生産計画の場合であるが、地方ごとの消費に係る消費計画に関しては、各地方圏(または準領域圏)ごとの消費事業組合が計画案を策定し地方圏(または準領域圏)の民衆会議が審議・承認する(拙稿参照)。
 こうした構制からして、別連載『新計画経済論序説』では「政経二院制」という構想を提唱したところであるが(拙稿参照)、政経二院制とは、旧ソ連のような行政指令型ではなく、企業体による自主的共同計画という構想から計画経済を主導する経済計画評議会と、政治を主導する民衆会議とを併せて「二院」と総称したものである。
 もっとも、この構制では、民衆会議と経済計画会議とは全く役割・性格を異にする機関であるから、「二院制」という諸外国の上下両院や日本の衆参両院を指す用語と混同されてはならない。

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民衆会議/世界共同体論(連載第18回)

2017-12-01 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第4章 民衆会議の組織各論②

(4)民衆会議の司法機能
 民衆会議が総合的施政機関であるということは、法に基づく個別的な紛争事案の解決に関わる司法機能も民衆会議が掌握することを意味する。言い換えれば、民衆会議とは別途司法機関が並立することはない。
 このことは、『共産論』においても既成の裁判制度に代わる「共産主義的司法制度」という観点から論じたところであるが(拙稿参照)、これを改めて整理し直すと、民衆会議の司法機能は、〈一〉紛争解決〈二〉護民〈三〉弾劾〈四〉法令解釈の四系統に大分類できる。
 ここでは、これら四系統の司法機能が全土及び地方の民衆会議ネットワークにいかに分配・帰属されるかという観点から簡単に見ておきたい。
 まず、司法における最も中核的な紛争解決機能は、地方の広域自治体、すなわち地方圏または準領域圏(連邦型の連合領域圏の場合)の民衆会議に属する。
 それ以外の各司法機能は、それぞれ全土と地方の各圏域民衆会議に帰属・分配されていく。その点、通常は国の最高裁判所が一手に握る法令解釈に関わる司法機能も、民衆会議制度では地方レベルの民衆会議がその権限内の事項については対等に憲章及び法律を制定できることに照応して、各地方レベルの民衆会議にも帰属する機能となる。
 よって、例えばA市の憲章または法律の解釈をめぐる争いは、A市民衆会議の憲章委員会または法理委員会が終審として決定を下すことができるのであって、全土民衆会議に対して上訴するということは、A市の憲章または法律が全土民衆会議憲章に違反していない限り、できない。
 結局、全土民衆会議の司法機能は最小限度のもので、それは基本的に法令解釈に関わる司法機能と護民及び弾劾に関わる司法機能の一部に限局される。

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