山形の旅倶楽部メンバーが「6/19長野の小田さんコンサートのチケットがありますよ」と声をかけてくださった。
2009年にフランスの旅でご一緒してから旅でご一緒する機会はないのだが、忘れられないことがある。
2016年に《手造の旅》山形を催行した時、時間がない中朝食にかけつけて、さらに全員に生どらやきをさし入れてくださったのだ。
※その時のブログ日記で、どら焼きと早朝のすばらしいサクランボ摘みのようすをごらんいただけます
**
6/19、長野まで大阪時代の同級生が車を出してくれることになり、午前十一時に東京を出発した。
「ここは釜飯が有名やねん」
食に詳しい彼がおしえてくれた「峠の釜飯」
あ、なかなか美味しい
四時間ほどで長野駅前に到着。駐車場に止めて駅前のお土産街を歩いてみる。
日本のお土産文化は世界一ではないかしらん。
地方色豊かなイタリアへ行っても駅にこれだけのお土産群は置かれていない。
***
駅前からコンサート会場へのシャトルバスが運行されている。
早めに会場へ向かう。
十分ほどでビッグハット前に到着。
こんな誘導板がある。
おもしろいのはステージ上のバンドの後ろに特別席が設けられていて、当日申し込むことができること。
開場の前に当選番号を見て一喜一憂するのであります。
それにしても…開場を待つ人の八割から九割は女性。
男は奥さんといっしょの人がすべて。
おっさん二人というのは我々だけでした(^_^;)
やがて、我々にチケットを融通してくださった山形からの女性グループ五人が到着。
御礼申し上げていっしょに入場。
アリーナのなかなか良い席。
「ここに小田さんが来るんですよ」と花道の途中にある丸い「でべそ」を指さす。
なるほど、会場に入ってみてその雰囲気がわかった
****
午後六時半にコンサートがはじまる。
暗くなった広い会場いっぱいに小田さんの声が響きはじめる。
今回のコンサートは「アンコール・アンコール」というタイトルで、いわばヒットパレードのようによく知られている曲が演奏された。
オフコース時代の曲からいちばん新しい四曲入りCD[この道を 会いに行く…」まで、
三十年以上違う時代の曲だとは感じられない。変わらずに貫いているものがあるからだろう。
逆に言えば、そう感じさせる選曲がなされている。
バンドメンバーで特徴的なのは四人のストリングス。
通常のバンドのようにドラムやベースも重要なビート構成の要素ではあるのだが、
サウンドで欠かせない:小田さんがこだわっている、と感じさせるのは
生のストリングスの音。
シンセサイザーで相当に似た音が簡単に出せる時代であっても、こうして生のストリングスを前面に配置している。
広い会場の花道をかけまわるが、それでも歌声はぶれない。
間近にその肉体を見て、日々ストイックに自分を鍛錬しているのだと直感した。
テレビではなく・その人に間近に出会ってこそ伝わってくるものが確実にある。
賑やかな曲もよいけれど、
自ら弾くグランドピアノとストリングス主体で演奏された曲で涙が出そうになった。
小田さんの故郷=横浜での高校時代の記憶が具体的に書かれている「My home town」
そして、いちばん新しい「この道を」
歌詞♪~「それでも、けんめいに生きてゆくと、そう決めた くりかえす迷いも争いも悲しみも、すべてを時にまかせて選んだ道をゆく…」
それなりの年月を生きてきた・自分自身も含めたここにいる一人一人。
小田さんの音楽と何十年も生きてきた聴衆にはもちろん、
皆の胸の奥に、深く響いてゆく言葉と声だった。
歌詞はシンプルで、文字で書かれてしまえば「ばかばかしい」と断じられてしまいかねないほど素直な言葉がならんでいる。
そこに確かな説得力を与えているのは小田さんの声にちがいない。
この人でなくては、これらの歌に本来の命をあたえることは出来ないのかもしれない。
今夜、この場に来られて、ほんとうによかった。
*****
三時間を超えるコンサートが終わり、時間は遅いが22時から駅近くのイタリアンに入った。
山形からのみなさんは駅前のホテルに宿泊。
我々は車で東京へ戻るので電車の時間を気にしなくてよい。
なかなか良い感じの生ハム
本格的なセレクションのチーズ皿がワインを飲み終わってから登場したのはちと残念でしたが(笑)
あ↓また山形名物をいただいてしまいました
今日はじめてお会いしたけれど、
また、きっと、きっとお会いできる時がやってきます。
そういう時をつくるようにします。
そういう場を実現することが、今の自分の役割なのだ。
2009年にフランスの旅でご一緒してから旅でご一緒する機会はないのだが、忘れられないことがある。
2016年に《手造の旅》山形を催行した時、時間がない中朝食にかけつけて、さらに全員に生どらやきをさし入れてくださったのだ。
※その時のブログ日記で、どら焼きと早朝のすばらしいサクランボ摘みのようすをごらんいただけます
**
6/19、長野まで大阪時代の同級生が車を出してくれることになり、午前十一時に東京を出発した。
「ここは釜飯が有名やねん」
食に詳しい彼がおしえてくれた「峠の釜飯」
あ、なかなか美味しい
四時間ほどで長野駅前に到着。駐車場に止めて駅前のお土産街を歩いてみる。
日本のお土産文化は世界一ではないかしらん。
地方色豊かなイタリアへ行っても駅にこれだけのお土産群は置かれていない。
***
駅前からコンサート会場へのシャトルバスが運行されている。
早めに会場へ向かう。
十分ほどでビッグハット前に到着。
こんな誘導板がある。
おもしろいのはステージ上のバンドの後ろに特別席が設けられていて、当日申し込むことができること。
開場の前に当選番号を見て一喜一憂するのであります。
それにしても…開場を待つ人の八割から九割は女性。
男は奥さんといっしょの人がすべて。
おっさん二人というのは我々だけでした(^_^;)
やがて、我々にチケットを融通してくださった山形からの女性グループ五人が到着。
御礼申し上げていっしょに入場。
アリーナのなかなか良い席。
「ここに小田さんが来るんですよ」と花道の途中にある丸い「でべそ」を指さす。
なるほど、会場に入ってみてその雰囲気がわかった
****
午後六時半にコンサートがはじまる。
暗くなった広い会場いっぱいに小田さんの声が響きはじめる。
今回のコンサートは「アンコール・アンコール」というタイトルで、いわばヒットパレードのようによく知られている曲が演奏された。
オフコース時代の曲からいちばん新しい四曲入りCD[この道を 会いに行く…」まで、
三十年以上違う時代の曲だとは感じられない。変わらずに貫いているものがあるからだろう。
逆に言えば、そう感じさせる選曲がなされている。
バンドメンバーで特徴的なのは四人のストリングス。
通常のバンドのようにドラムやベースも重要なビート構成の要素ではあるのだが、
サウンドで欠かせない:小田さんがこだわっている、と感じさせるのは
生のストリングスの音。
シンセサイザーで相当に似た音が簡単に出せる時代であっても、こうして生のストリングスを前面に配置している。
広い会場の花道をかけまわるが、それでも歌声はぶれない。
間近にその肉体を見て、日々ストイックに自分を鍛錬しているのだと直感した。
テレビではなく・その人に間近に出会ってこそ伝わってくるものが確実にある。
賑やかな曲もよいけれど、
自ら弾くグランドピアノとストリングス主体で演奏された曲で涙が出そうになった。
小田さんの故郷=横浜での高校時代の記憶が具体的に書かれている「My home town」
そして、いちばん新しい「この道を」
歌詞♪~「それでも、けんめいに生きてゆくと、そう決めた くりかえす迷いも争いも悲しみも、すべてを時にまかせて選んだ道をゆく…」
それなりの年月を生きてきた・自分自身も含めたここにいる一人一人。
小田さんの音楽と何十年も生きてきた聴衆にはもちろん、
皆の胸の奥に、深く響いてゆく言葉と声だった。
歌詞はシンプルで、文字で書かれてしまえば「ばかばかしい」と断じられてしまいかねないほど素直な言葉がならんでいる。
そこに確かな説得力を与えているのは小田さんの声にちがいない。
この人でなくては、これらの歌に本来の命をあたえることは出来ないのかもしれない。
今夜、この場に来られて、ほんとうによかった。
*****
三時間を超えるコンサートが終わり、時間は遅いが22時から駅近くのイタリアンに入った。
山形からのみなさんは駅前のホテルに宿泊。
我々は車で東京へ戻るので電車の時間を気にしなくてよい。
なかなか良い感じの生ハム
本格的なセレクションのチーズ皿がワインを飲み終わってから登場したのはちと残念でしたが(笑)
あ↓また山形名物をいただいてしまいました
今日はじめてお会いしたけれど、
また、きっと、きっとお会いできる時がやってきます。
そういう時をつくるようにします。
そういう場を実現することが、今の自分の役割なのだ。