旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

新政権の「クリーン・スリランカ キャンペーン」

2025-02-21 09:28:06 | スリランカ
「やけに掃除している人が多いな」

七年ぶりに訪れたスリランカは国をあげてのキャンペーン中。

ゴールのこの海軍学校も制服姿で街の清掃作業に出動していた。
※政府のキャンペーンページにリンクします
政府キャンペーンの柱には「ソーシャル(社会的)」「エンヴァイロンメンタル(環境的)」に加えて「エシカル(倫理的)」が掲げられている。政治腐敗を防止するためにも、市民自ら手を動かして皆で掃除するという活動に具体化した。これは掃除のプロの業者に依頼するよりずっと賢明な策に思える。人は自分が掃除した場所はそれを保ちたいと思うものだから。

スリランカは2024年11月の大統領選挙・直後の国会議員選挙で政体がおおきくかわった。
※JETROアジア経済研究所のページに詳しく解説されています

コロナ禍のスリランカはモノがなくなり政情不安にもなったが、国民が新たな方向を選択して動き出しているようにみえる。観光客で訪れた我々にさえそれが感じられるのは、それだけ国に活力が戻っているからではないだろうか。


それにしても…スーパーでびっくりしたのは↓

カラフルすぎるほうきの柄(^^♪
折りたためたらお土産に買ってかえりたいくらい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライトハウスホテルを案内してもらう②そしてシナモンルームのダイニング

2025-02-20 09:49:52 | スリランカ
朝食ダイニングの天井にエナ・デ・シルヴァ(1922-2015)のバティック布が張られている。
※Ena de Silvaは[イナ・ダ・シルワ]と表記するほうがスリランカでの発音に近いと
Spice upスリランカ情報サイトに解説されていた※リンクします


↑こちらは「紋章ラウンジ」の天井↑

↑コロンボの紋章※こちらに書きました
スリランカ各地の都市紋章が並べられている。

↑このゾウさんはセイロン島そのものをあらわす紋章↑

↑クリケット女子スリランカ代表が試合で使ったラケットが展示されていた

ジェフリー・バワ建築には、その友人たちの作品が欠かせない。
※ライトハウスの入り口螺旋階段をかざるラキ・セナナヤケ(1937-1998)の写真はこちらに載せました


ライトハウスのチェックインカウンターを飾る同じ布地の↑昼と夜↓

こちらはバーバラ・サンソーニ(1928-2022)による

↑逆サイドと共に「日の出と日の入り」だそうな。
彫刻も彼女の作品だと解説された。
バーバラ・サンソーニがはじめた「BAREFOOT」という店はスリランカ土産の定番になっている。

※別途書きます



三泊したライトハウス最後の夜メインダイニング「シナモン」で夕食。
最初は高級そうで敷居が高いと感じていたが、きのうシェフに料理講習をしてもらって緊張しない場所になっていた。
※料理体験の様子ごらんください(^^♪

夕食は各自アラカルトで選んでいただいた。
★前菜四種から

↑●トルテリーニ 緑のソースはほうれん草とマッシュルーム


↑●キヌアのマリネサラダ


↑●蛸のグリル 玉ねぎ、マンゴー、コリアンダー(パクチー)風味


↑●ポークのテリヤキ パイナップルとパパイヤ入り

★スープ四種から一部を

↑●ガスパチョ トマトに加え赤キャベツ スペインで食べたのよりマイルド


↑●ひよこ豆

★メインコースは十種から
一部をご紹介します↓

↑●カシューナッツのパスタ
※これが忘れられず帰国してから再現してみました


↑●マグロステーキ刺身風


↑●羊のスネ肉


↑●焼き海老、みそ味蕎麦添え


↑●アンガスビーフ


↑鶏の唐揚げではなく●カリフラワーのフライ 

日本ではけっしてやらない解釈もあり、
正直?もあったけれど

特筆しておきたいのは、スタッフ皆さんの気持ちよいサービス。
高級店に時々ある・ぴりぴりした緊張感を感じさせることなく
ほんとうの意味でぜいたくな・楽しい時間となりました(^^♪

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライトハウスホテルを案内してもらう①

2025-02-17 12:11:05 | スリランカ
望遠鏡を覗いているのはポルトガル軍の司令官アルメイダ。
スリランカ軍と戦いが迫力いっぱいに展開されている。

大砲が火を噴く。

階段のいちばん上にはスリランカ側の王。

笛を吹いている。

味方を鼓舞していると思い込んでいたのだが…

「ローマの大火を塔から見物していた皇帝ネロみたいに、我関せずで笛を吹いていたんですよ」と、ホテルスタッフに解説されて驚いた。
ラキ・セナナヤケがそんな想定で製作していたとは。
いちばん下に水がはってあるのは覗き込んでもらうため。



この螺旋階段からインド洋に面したロビーに入る

ここにしかない景色が迎えてくれる。

ホテルのロビーではラウンジミュージックが流れていることが多いがここは静か。

「ジェフリー・バワは波の音をきいてほしくてこの場所をつくったのです」
やっぱりそうだったんだ(^^)

宿泊棟の壁の色は実際に土を混ぜた塗料が使われている↑この不思議な階段↓


「バワは階段が大好きだったんです」

確かにホテルじゅうに階段をつかったみとれる視覚がちりばめられている。

バワが撮影した階段のモノクロ写真コレクション。
バワ建築のもうひとつの特徴はスリランカの伝統建築によくみられる中庭。

↑メインダイニング「シナモン・ダイニング」の前↓夜はこんな↓

↓スパ↓

↓こちらは別のバワ建築のホテル「カンダラマ」のスパ↓

↓こちらはバワの事務所だった場所をカフェにした「ナンバーイレブン」↓


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆の黄金疳を摘む旅をつくりたい

2025-02-15 15:51:20 | 国内
青空と黄金柑!
黄金柑は小ぶりだが爽やかな甘さ。

★黄金柑(左)についてこちらに書きました
★寿太郎(右)も秀逸※こちらに書きました

2月12日11時、沼津駅からカーシェアを利用して40分ほど。
黄金柑の畑からこんなふうに富士山が…↓
見える予定だったが、今日は代わりに鳥のような雲が出ていた。

伊豆の急峻なみかん畑から見下ろす駿河湾。

多様な柑橘類が育っている。

グレープフルーツ、デコポン、寿太郎みかん、黄金柑。
**
この日朝、大阪高槻をでて8時には左手に雪をかぶった湖西の山並みを見ていた。

三島で新幹線を降り、一駅戻って沼津に10:20過ぎに到着。
途中下車で改札を出ようとしたら、三島⇒沼津は別途支払いが必要だった。

駅舎の観光案内所で調べてきた情報を確かめ、案内ができる人がいるのか訊ねる。
駅を出て一分のカーシェアを11時から利用。
そして、冒頭のみかん農家さん宅に到着した。
体験収穫のために残しておいてくださった黄金疳を収穫

どのようにしてつくられてきたのかお話くださった。

黄金柑も寿太郎も
柑橘類は接ぎ木で育てられるということからして知らなかった。

「摘果」で落とされた実がたくさんおちている。
素人目にはたくさん収穫できるのがよいと思ってしまうが、質の良い実のために数を減らすことが重要。

軽トラックで先導していだだき、さらに上の畑へ。

急な斜面に収穫されていない寿太郎みかん?
↓崖の上の建物は収穫した後寝かせてさらに甘くなるのを待つ倉庫。

働き手不足で収穫できない状況も多く発生しているそうな。

急な細道を先導する軽トラックをゆっくり追いかけて山の上に出た。

数年前からイチジクをはじめたが↑収穫しやすいように横に木を延ばしてある。
枝を選んで残す作業の跡がよくわかる。

↑防風林として槇の木は富士山を隠してしまうかも。

↑ハクビシンやイノシシなど獣が果実をねらう。


《手造の旅》でここから富士山とみかんの風景をお見せしたいなぁ。
しかし、現地へきてわかったのは、
普通乗用車でもここまで登るのは楽じゃないということ。
下から登ってもらうのはそこそこ距離がある。
天気の良い日ならお弁当を持って上がるのも楽しそうだが…
ちと考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴール旧市街散策

2025-02-13 14:12:17 | スリランカ
メラーン・ジュンマ・モスクはぱっと見教会だ。

ゴール旧市街の海側城壁のすぐそば。
はじめて見た時は教会として建てられた建物が転用されたのかと思った。
が、調べてみると1904年に最初からモスクとして建てられたとわかった。
当時の信徒たちは教会に似ているとか気にしなかったのでしょうね。

近づいてみると三日月が乗っていて、ファサードにはアラビア文字が書かれている。

時計の上のアラビア文字「1325」はヒジュラ歴(イスラム教徒の暦)だったのか。
太陰暦だから数年ちがうがたしかに20世紀はじめである。
2016年↓礼拝の礼拝のない時に気軽に入れてくれた

5回の礼拝の時間+日の出時間↑

↑奥はシンプルな礼拝所

↑コーランを教えるアラビア・カレッジもある。


↑こちらはオランダのプロテスタント系の教会
礼拝所の外観だけで宗教を判断できない。

スリランカは民族・宗教・言語、すべての交差点。
仏教徒が多数を占めるスリランカ南部でも交易都市のゴールには、ポルトガル人がやってくる前からモスクがあった=イスラム教徒のコミュニティがあった。今見える建物は100年ほど前のものだが、この場所には300年以上もモスクがあり続けていると伝わる。宗教はちがっても平和に共存できる国であり続けてほしい。

**
1月12日朝、トゥクトゥクでゴール旧市街に入った。

オランダ当時地代につくられた倉庫の下を貫通する城門↓

紋章はイギリスのものに変えられているが↓

↑オランダ時代の紋章が後出の博物館に展示されていた↓VOCは「オランダ東インド会社」

↑オランダ時代の年号がラテン数字で1699になっている↑イギリスと1年ちがうのはなぜ?


イギリス時代そのままの裁判所↑

灯台はオランダ時代にあったものを19世紀に建て替えている↓

城壁には大砲が設置されていた跡がたくさん↓

時代が新しくなるほど巨大になる。

↑この上に重たい大砲が海に向かって置かれていた。

↑大砲を使うには火薬が必要。これは火薬庫なのだが↑引火の危険があるので二重の厚い壁で護ってある。

↑ここも同じ理由↑





↓高さ25mの時計塔は1883年に建設された。

裕福なゴール市委員会の一人 Dt.ピーター・アンソネスはダッチ・バーガー(オランダ人との混血一族)。

オランダ統治時代につくられた鐘楼を取り壊した跡地。
**
はじめにくぐった紋章のある城門の上↓

↑「ゴール海洋博物館」に入る↑城壁の上なので細長い構造になっている

↑入場料はUS6ドル↓ゴール湾の海底から見つかったものが多く展示されている。

↑ゴール湾のどのあたりに沈没した船があるのか示した地図↑海洋考古学がゴールで本格的に始動しはじめたのは1990年代。
東西様々な民族が交易に訪れていたことがわかる。

↑1661年5月21日に沈没したオランダ船ercules号(日本風に言えばヘラクレス号)の鐘↑AMOR VINCIT OMANIA ANNO 1625「愛はすべてに勝つ1625年」と刻まれている。
この鐘、2017年にはこんなだった↓

緑青を取り除いて修復したのだ。

↑明の提督 鄭和が立てた多国語の碑文は必ず紹介したい※こちらに書きました

明銭「宣徳通寶」は日本でも大いに流通していた。1425年即位の通称宣徳皇帝の時代。

アラビア語の貨幣もたくさん

↑タイの壺だそうな。


↑この仏像だけは違う由来をもっている↑2004年の大津波の際に流れ着いた。
作風からミャンマーのものと推察されている。


城壁近くのカフェで休憩。
スリランカらしいお土産店に行ってみよう(^^)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする