祖母の通夜にでるため新幹線に乗っている
今朝は富士山が初冠雪だったと新聞に載っていた
あの山を見ながら旅立つのだろう
井上陽水の曲を思い出した
「季節はづれなのはホトトギス」と唄いだす
もう既に「危篤」ではないのだが、なんだろう
「もうすぐだね君の家まで」に続くフレーズが
いまのなんとも虚しい気持ちにつながってくる
小学生だったころ、母親について帰省するのは
本当に楽しみだった
祖母のところに行くときだけ新幹線に乗れるから
40年経って、いま祖母の亡骸に別れを告げるために
新幹線に乗っている
あの頃走っていた「0系」も「100系」もなくなり
「300系」でさえ博物館に飾られてしまった
調子にのって紙コップをがめってきて、あきれられた
のも思い出のひとつだ
もうすぐだね、君の家まで
自分は、母親の実家で生まれ
生まれてから2歳くらいまでは働く母親に代わって
祖母が面倒をみてくれていたと聞いている
実際に、数少ない乳児のころの写真は祖母と
いっしょに写っているものばかりだ
明るいひとだった
正月や夏休みに母親の実家に帰ると
満面の笑顔で迎えてくれた
家事が終わると喫茶店
月に一度は美容院とパチンコ
髪をパープルに染めてお洒落な眼鏡をかけていた
歳をとっても元気なひとだった
名古屋弁どっぷりの愛嬌いっぱいの祖母だったが
笑顔の裏に過去も背負っていた
夫を戦争で亡くし、幼い子供を抱えて暮らした日々
のことを母から聞いたことがある
帰省するたびに、自分の手をとって喜んでくれたが
晩年は記憶も定かでなくなってしまい
老人病棟にいた
見舞いに行くというと、母親は
「もう全部忘れて、ただ眼を開けているだけ」
「会わないほうがいい」
と神経質な自分に会わせようとしなかった
最後に会ったのは、宮崎から岡崎に帰省していたとき
姫さまを見せたくて突然訪問した
まだまだ元気で姫さまを見てたいそう喜んでくれた
少しだけ孝行できただろうか