Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

帰郷(危篤電報を受け取って)

2012年09月12日 | つれづれ

祖母の通夜にでるため新幹線に乗っている
今朝は富士山が初冠雪だったと新聞に載っていた
あの山を見ながら旅立つのだろう

井上陽水の曲を思い出した
「季節はづれなのはホトトギス」と唄いだす
もう既に「危篤」ではないのだが、なんだろう
「もうすぐだね君の家まで」に続くフレーズが
いまのなんとも虚しい気持ちにつながってくる

小学生だったころ、母親について帰省するのは
本当に楽しみだった
祖母のところに行くときだけ新幹線に乗れるから

40年経って、いま祖母の亡骸に別れを告げるために
新幹線に乗っている

あの頃走っていた「0系」も「100系」もなくなり
「300系」でさえ博物館に飾られてしまった
調子にのって紙コップをがめってきて、あきれられた
のも思い出のひとつだ

もうすぐだね、君の家まで





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祖母がなくなった

2012年09月12日 | つれづれ

自分は、母親の実家で生まれ
生まれてから2歳くらいまでは働く母親に代わって
祖母が面倒をみてくれていたと聞いている
実際に、数少ない乳児のころの写真は祖母と
いっしょに写っているものばかりだ

明るいひとだった
正月や夏休みに母親の実家に帰ると
満面の笑顔で迎えてくれた

家事が終わると喫茶店
月に一度は美容院とパチンコ
髪をパープルに染めてお洒落な眼鏡をかけていた
歳をとっても元気なひとだった

名古屋弁どっぷりの愛嬌いっぱいの祖母だったが
笑顔の裏に過去も背負っていた
夫を戦争で亡くし、幼い子供を抱えて暮らした日々
のことを母から聞いたことがある

帰省するたびに、自分の手をとって喜んでくれたが
晩年は記憶も定かでなくなってしまい
老人病棟にいた

見舞いに行くというと、母親は
「もう全部忘れて、ただ眼を開けているだけ」
「会わないほうがいい」
と神経質な自分に会わせようとしなかった

最後に会ったのは、宮崎から岡崎に帰省していたとき
姫さまを見せたくて突然訪問した
まだまだ元気で姫さまを見てたいそう喜んでくれた

少しだけ孝行できただろうか

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