Remains of The Accidents

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ひさかたの帰省

2022年07月15日 | つれづれ

コロナ禍前、法事のために行って以来の明石。

たまたま大阪に出張することを思いついて、できれば週末を重ねて
墓参りにもいかない不義理を払拭しようと予定を組んだ。

ちょうど取引先の方も金曜日がよいとしてくれたので、数年ぶりに関西に行けた。

わずか3年前には江坂に住んでいたのだから不思議な感じではあるが
久々の新幹線は相応に緊張して、ずいぶん余裕をもって新横浜駅に着いた。

 

大阪での仕事は客先周りで、大口の取引先2件と初めて面談する会社が2件。

夕刻、16:30に立売堀の客先が最後のアポイントメント。

心斎橋の大阪本社に立ち寄って、のんべの後輩と杯を傾けることも考えたが
あと数年でいなくなる身としては、後輩に気を遣わせてつきあわせるのもどうかと
考え、早々に帰宅することにした。

実家には兄が独りで暮らしている。

数年前に吐血して入院した兄ではあるが、近所に実姉も住んでいるので一人暮らしを
していてもそう心配はない。

兄は自動車通勤なので明石駅でPick-UPしてもらい夕食を摂ってから帰宅した。

玄関をあけた瞬間から実家のにおいがした。

においというものは、脳の中でほかの記憶とは別の場所に格納されているようだ。

人の名前もなかなか出てこなくなっている脳なのだが、においの記憶はすぐに呼び起せる。

太古の昔、まだ人類がサルだったころの名残かも知れない。

 

そんなことを考えたりしながら、帰宅後は兄も缶ビールを開け少し話しながら飲んだ。

翌朝、いつものとおり早く目覚める自分はカメラを携えて海岸を散歩した。

ここの海岸は、自分が明石を離れてから整備された海浜公園で早朝から釣り人たちが大勢いる。

自分が小中学生だったころは海岸沿いに国道28号を通したあとで、海沿いにはテトラポッド
が積まれていて子供は入ってはいけない場所とされ、海は遊泳禁止区域だった。

ただ、その分誰にも邪魔されずに泳げたし、釣りも楽しめた。

明石海峡は流れが速く、テトラポッドは海から上がりにくいので事故のもとだったのだろう。

自分も一度大きな波に押されてテトラポッドの隙間にはまり、動けなくなったことがある。

息がなくなって死に向かっていく間の感覚は今でも忘れられない。

幸いなことに、少し塩水を呑んだあたりでうまくひき波で身体がはなれて助かった。

そんな簡単なことでひとは死んでしまう。

 

 

そんなことを思い出しながら、カモメやウミウを撮っていた。

ふと、目を戻したところにアオサギが立っていた。

距離にして1mはないほどのところで釣り人が捨てる小魚をまっている。

ドキッとしながら、なんとかシャッターを切った。

最近、鳥を撮るためにテレコンをポチったのだが、テレコンを入れるとうまくAFが動かない。

そこでマニュアルでピントを撮りに行くのだが、レンズそのものがAF基本なので
リングが硬くてなかなかうまくピントが合わせられない。

また、年老いた「目」自体がピントが合っていないので、あとで確認すると
どの写真もピントが甘い甘い。

便利にはなったけれど、一旦Autoに頼ってしまうと昔のことを思い出す
のに苦労してしまうのは、カメラに限ったことではない。

 

その後、夕刻に旧友と駅前で一杯やって帰ったのだが、帰れなかった話は次回。

 

 

 

 

 

 

 

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