Remains of The Accidents

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夏季休暇の合間に

2021年08月22日 | 川崎

木曜日まで夏季休暇としている。

元々は熊本から宮崎・鹿児島を回ってくる予定だったのだが、災害や感染拡大を考慮して
今回は見送った。

九州ツーリングを見送ったら台風が発生して九州に近づいている。くわばらくわばら。

このところの雨は凶器のように大地を削り取り、いつどこで災害になるかもしれない。

地球の環境まではわからないが、多くの方々が被害にあっているのには心が痛む。

東京はコロナ禍、ほかは大雨被害となりなかなか楽しいニュースは見られない。

 

さてさて、内視鏡検査は無事終了し、医師の所見は「異常なし」に終わった。

医師曰く「こうやって時々検査すると、もし病巣があっても早期発見できて対処できる
ものですよ」と。

確かに、もう60年近く使っている身体であればメンテナンスは大事だ。

ただ、大事にしてなにをするかがまだはっきりしない。

 

最近感じていることは、自分が人間関係をうまくつくれない人だということ。

家族や友人、仕事の同僚らに対する発言やふるまいについて、まったく配慮のない
ことが多い。その場で気づけばまだよいのだが、数時間後にはたと思い出しては
恥ずかしい思いに苛まれる。

できればこの先、人と交わらずに暮らしていきたいと考えている。
家族からも離れて、友人との縁も絶ち、一人黙々と暮らせればよいと思う。

山中に庵を結び、厭世的な暮らしができれば最高だと考えるようになっている。
実際に最近の至福の時は、早朝に一人でかけるウォーキング、ソロツーリングの
ヘルメットの中、ひたすら音楽を聴きながら妄想に耽っている時間だ。

妄想は止むところを知らず、思い出の曲とおぼろげな記憶を混ぜ合わせて
実に甘美な世界を作ってくれる。

大体、帰宅するときはいずれかの坂道を登ってくるのだが、坂道に差し掛かると
仕事のことを思い出し、家族の用を考え、経済のことが頭に浮かぶ。

子供たちが世間にでるまでの手当てはほぼほぼできているのだが、生活費まで
考えると、自分が独り家を出るには足らないようだ。

走り出せばなんとかなるのが世の中というものだが、なかなか難しいことも
事実であり、定年で仕事を辞する決心もつかない。

 

あと何年生きるのかわかれば逆算もできるのだが、今のところその予定もない。

実父は、60の坂を越さずに他界してしまった。自分もその坂に差し掛かっている。

どうやら、坂道に差し掛かると自分のこころや荷物の重さを感じていろいろなことを
考えてしまうのだろう。

リンゴだけではなく、このちっぽけな人間というものも地球と引っ張り合っている
ことに、ニュートンは気づいていただろうか。

コメント
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