僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

トラブル続きの不老山(丹沢)

2024年12月31日 | ぶらぶらする

今日は新松田からバスで寄まで侵入し
檜岳・鍋割をマイナールートで目指す!
の予定が新松田駅へ着いてバス停へ向かうと
まさかの年末ダイヤで寄行のバスは10時までないとのこと。。。
急遽スケジュールを変更し
駿河小山駅【292m】→不老山【928m】
→大野山【723m】→谷峨駅【168m】へ変更し
まずは御殿場線で駿河小山駅を目指す。
やむなく8時発の御殿場線で
8時半駿河小山駅到着【292m】。
誰も下りないのね。

駿河小山駅はもうお隣の静岡県。
静岡スタートの丹沢は初めてだな。

駅の真北に登山口があるようだが
鮎沢川に阻まれ北進はかなわず
西側から早速大掛かりなトラバース。
雨のない12月だったが
雪もないようす。
9時ようやく登山道を発見。

「不老山」の案内はほぼなくて
「富士箱根トレイル」の矢印についてく感じ。
それでもかなり分かりにくい。
上り始めからプラスチックの階段が続き
結論から述べると
こちらが本日一番厳しい上り。

階段をこえるとすっかり葉の落ちた雑木林の水平道を
ひたすら北へつらつらと進む。
東側には大野山。

禿げあがったてっぺんでわかりやすい。

西側にはもちろん富士山。

10時10分、生土山分岐。

10時半、鉄塔。

鉄塔のあるところ眺望が開けるの法則。
まだまだ北へゆるゆる上る。

樹林帯を上っていると時折
あの坂をのぼれば海が見える。
という1節が脳裏をよぎる。
京都大作戦のSiMとごちゃまぜになって
「あの丘を越えれば」だったか?
と思うが
「あの坂をのぼれば」
が正解のようだ。
40年たってもふとした拍子によみがえる
インパクトのある1節だ。

11時金時公園分岐。
足柄山ではないけど金太郎が出現。

直後に三国山稜尾根筋へ到達。

東へ行けば不老山を越えて丹沢湖へ、
西へ進むと山中湖・須走を目指す三国山稜ロングトレイルへ。
頑張れ金太郎。

11時10分不老山山頂【928m】

いやスギ林だらけで何もねえ・・・。

さっそく東へ下山して次の目的地大野山を目指す。

鹿よけの柵沿いにしばらく進む。

この先、東へ降りる道は「山市場」の案内となる。
番ケ平で林道を超えて

ついでにうんちを超えて

ここまでは順調だった。
ここまでは。

この標識を超えて
樹林帯へ再突入した直後

南側斜面の崩落した沢に迷い込む。
だってピンクのテープが南へ続いているのだもの・・・。
足元のふみ跡が少なくなり
急にフカフカしたなぁと感じるのは迷い込んだ証拠。

テープ沿いに崩落地を下ったはいいものの
どうもテープは続かないし
地図を見ても南に下るはずはないし
トラバースかと思い、
何度も崩落地を横断し
戻るか進むか逡巡を繰り返し
30分ほどしてようやく道迷いと断定。
腹をきめて正規ルートと確証できる地点まで上り返す。
すると崩落地の上方で
東へ直進するトラバースルートを発見。
あっぶねえ。
テープを信じちゃいけないのね。

なんだかふみ跡もめっきり少ないし

慌ててまた迷っても嫌だし

すっかり気落ちして大野山は断念することに。

13時15分デカい岩。

しかしまったく人に会わない。

すれ違う人が完全ゼロの登山道は初めてだな。

人里が近くなってきた。

空は相変わらず奇麗だが

道迷いで気持ちが冷え切っておる。

ピンクのテープなんてもう信じるものか。

ふみ跡と登山道案内重視でゆっくり下る。

大野山は随分上に感じるが

丹沢湖から2時間程度で登れちゃうらしい。

13時半登山口到着。

あのつり橋をこえればバス停だ。
お疲れ様のススキがお出迎え。
いやーほんとに人っ子一人会わずに下山してしまった。
西丹沢へのバスから見える
茶畑の正体はここだったんだな。

つり橋を渡っていると
道迷いの恐怖から解放されて
ようやくホッとする。

河内川をちょっとだけ遡上するともうそこは丹沢湖。
つり橋の付け根に向河原バス停があるらしいが
気付かなかった。

振り返ると不老山へのなもなきピーク。
13時50分山市場バス停【205m】
次のバスまで1時間待ち。
ここまもう駅まで歩いちゃおう!

高架の高速工事現場はここだったのか!

谷峨駅近くで
西丹沢からの河内川と鮎沢川が合流。

台風の時はえらいことになりそう・・・。
246号沿いに谷峨駅を目指す。
と時刻表を見ると次の電車は3分後。
大慌てで谷峨駅【168m】へ駆け込む。

JRの運転手さんが親切だったことも幸いし
14時38分国府津行きに滑り込む。
スタートから年末ダイヤでバスがなかったり
道迷いをして予定変更したり
随分あわただしい年の瀬となったが
無事に帰れてなにより。

湯快爽快(座間)

2024年12月28日 | ぶらぶらする
2024年の垢落としツアー第二弾。
何時間でも入っていられる
ぬるーい天然温泉がすばらしい!
濃い茶褐色で
この季節としてはしんどい温度。
無臭なので漢方湯のような雰囲気。
テレビはサウナの無音画像のみ。
古い施設で目新しいものはないけど
源泉かけ流しは
なによりの宝物だなー。

満天の湯(上星川)

2024年12月28日 | ぶらぶらする
1年の垢を落とすべく
駅前の超絶好立地スーパー銭湯へ。
電車でやってきたため
タオルは持参せず
手ぶらでオフロスキー。
ちょっと高めの値段設定は
立地代かな。
外湯の種類が豊富で
立地と豊富な入浴施設が魅力的。
漢方湯・アロマサウナ・塩サウナ・露店寝湯等
何時間でも入っていられる。
テレビがサウナと
外湯の2か所についているのも魅力的。

金沢文庫から鎌倉政務本庁へ出勤(鎌倉)

2024年10月13日 | ぶらぶらする
神奈川において横浜から三浦半島にかけた海浜地区は
アクセスも悪く謎に満ちたエリアだったりする。
勇気をもって謎エリアに挑む今回は
地名とは思えない駅名だったり
セクシー女優さんの名前でも有名だったりと
聞いたことはあっても
見たことのない金沢文庫駅におりたつ。
駅から小高い境内まで20分ほど歩き
やってきました称名寺。
山門のミツウロコからお分かりの通り
ゴリゴリの北条氏ゆかりの寺。
2022年大河ドラマの鎌倉殿でいうと
小栗旬(北条義時)とその3番目の妻、
菊地凛子(のえ)に間にできた
北条実泰を祖とする金沢北条の菩提寺。
鎌倉の同じ外郭寺院としては
永福寺のような浄土庭園つくりとなっている。
拝観料が無料なこともあって
ぼんやり池を眺める人が多い。
称名寺金堂。
中も無料で拝観できる。
時間があれば称名寺の裏山ともいえる
市民の森散策もおすすめしたい。
金堂の右手から裏山へ入山。
行き届いたというわけではないけど
北条実時墓所。
稲荷山休憩所
すごくいい景色とは言い難いけど
金沢八景が見下ろせる。
肝心の八角堂は
コンクリづくりの
きったねえ物置小屋のよう。
なにに使うんだろう…。
石仏や観音様が随所に点在している。
趣きというよりは放置された感が半端ない・・・。
20分ほどで金堂の左手に下山して
山歩き終了。
なお、金堂の左手は銀杏拾いに興じる
多くのお年寄りで賑わっている。
阿字ケ池のこの角度からがベストアングル。
浄土庭園を堪能したら
タイムトンネルを抜けて
現代の金沢文庫へ。
かつての書庫としての色合いは薄れ
現在では博物館として機能中。
鎌倉時代当時のタイムトンネルも残っているが
こちらは立ち位置禁止で
入口から覗くだけ。
国宝の常設展示もなく復元展示が多いので
ちょっと肩透かし。
せっかくなので金沢北条氏と同じように
六浦道を通って鎌倉へ出仕してみることに。
13時45分称名寺出発。
この辺りは鎌倉時代の名残かお寺が多い。
金沢八景前の泥亀新田では
姫小島水門のレプリカ展示。
街道沿いに朝比奈切通を目指して歩き
線路をくぐって右折したところで
急峻な階段を発見。
階段を上り詰めたマンションの一角が
上行寺東遺跡。
14時40分到着。
ほどんどは強化プラスチックによる復元だが
一部当時の遺構が残り
遺構一体型マンションとして存在しているところが面白い。
住民からしたら多分どうでもよいのだろうけど。
あの山を越えていくと鎌倉幕府本営。
この辺りに六浦の地名が残り
川の名前も「侍従川」と趣き深い名がついているが
由来は物語上の人物小栗判官にちなんだものだとか。
さらに進んで15時
大道中学校入口に
ほとんど岩盤と化した磨崖仏の
鼻欠地蔵がある。
こちらは相模国鎌倉と武蔵国金沢の境界だったとのことだが
磨崖仏というより磨崖仏跡といったほうが正解かも・・・。
朝比奈ICの直前で朝比奈切通への道は
感情四号線を左へ逸れ
薄暗い旧道へと突入してゆく。
この先は車両通行不能の
ハイキングルート。
削られた跡が生々しく残る歴史街道は
ついさっきまで古代人が歩いていたのではないかと思うほど。
横横道路が頭のすぐ上を通る。
時差800年のクロスロードだ。
いよいよ道は狭くなり
両側からむき出しの壁が迫る。
ところどころやぐらも点在し
なんかもう密林じゃないか思うほど
薄暗くなってくると
15時15分
朝比奈切通核心部へ到着。
称名寺から切通のピークまで実に
1時間半。
今も昔も出仕は楽じゃありませんな。
この先は以前歩いた鎌倉アルプスのエキストラルートになるが
とにかく鎌倉中心部に向かって歩く。
水の染みだす岩肌を
注意しながら下ってゆく。
仏さまも前回の通り。
あっという間に三郎の滝。
やはし知った道だと短く感じる。
外国人旅行者で混雑する
バスの誘惑を振り切って
16時15分
鎌倉幕府最後の地
東勝寺跡。
北条家滅亡の貴重な遺跡だが
発掘調査の跡で保存のために埋め戻しているとのこと。
東勝寺を越えて上り続けると
祇園山へむかうお手軽ハイキングコースとなっている。
鎌倉中心部へ戻りつつ
東勝寺を管理する
宝戒寺を除いたが
さすがに16時過ぎでは閉まっていた。
北条家消滅後に
後醍醐政権と足利政権により
北条家慰霊のために建立されたため
ミツウロコ紋となっている。
今回は鎌倉駅前には寄らず
由比ガ浜通りを長谷方面へ歩く。
1907年の江ノ電全線開通当時は
今の3倍ほどの39駅あり
大町駅跡は看板にのみ
走の当時を残す。
1927年竣工の鎌倉銀行由比ガ浜出張所は
今はバーとして使われている。
17時前にお目当てのウーフカレーに到着するも
開店まで30分ほどあり
向かい側の甘縄神明宮まで足を延ばす。

旧加賀谷邸という洋館。
リノベーションされて
2024年現在は北橋さんという
お蕎麦屋さんになっているようす。
この辺りは安達盛永の住居だったとのことで
鎌倉殿ではどことなく間の抜けた
頼朝の気の置けない好々爺のような感じで描かれていた。
甘縄神明宮は平城京遷都の710年
行基による創建で天照大神を祀った
鎌倉最古の神社とのこと。
かなり質素で
その歴史以外に見るべきものは少ない。
川端康成もこの辺りに居を構えたとのこと。
さてさて満を持してお目当ての鎌倉カレー
長谷のウーフカレーさんへ訪問。
ポークカレー大盛とビールを頂く。
あいにくとビーフカレーは売り切れ。

夜の部は17時半からで
通し営業ではないみたい。
2階建ての店内はテーブルのみで
ものすごくゆったりくつろげる。
20キロ歩きどおして
完全に生ビールの喉であったが
でてきたのはまさかの瓶のイェヴァー。

これは誤算。
苦みの強いホップと酸味、
薄い山吹色が特徴。
東南アジアのしょんべんビールになりそうなところを
強烈な苦みでこらえているような感じ。
悪くはないけど1杯目はグラスビールを
一気にあおりたかったなぁ。
この後カレーの到着に30分を要し
福神漬けとラッキョウはビールのあてで

すっかり空になってしまう。
ビターアンドミルキーで
ディープかつゴージャスなカレー。

この深みの強いカレーが
ここ鎌倉エリアに多いけど湘南カレーというのかな。
アーモンドスライスが食感に彩りを添えてすばらしい。

事前情報では接客に難ありとのことだったが
揃っていないのに着席しようとしたグループに
大きな声で毅然と対応していたので
こういうところがグループ客に嫌がれたのではないかと思う。
無茶なリクエストをせず
一般常識の範囲で訪問する分には
ハキハキとしたいい接客のように感じる。
ウーフカレーの横の長谷観音バス停から藤沢まで直行バスで帰る。
鎌倉ってバスで行けるのね。

徳川宗家の城

2024年09月10日 | ぶらぶらする
本当は平等院鳳凰堂か延暦寺か
貴船神社に行きたいのに・・・。
京都・大阪に来るたびに何がしかの妨害が入り
今回は徳川幕府始まりと終わりの地、
二条城へやってきた。
ずいぶん昔に来たことがあると思うのだけど
毎回、歴史観や知識が変わった状態で来るので
何度きても面白い。
唐門から二の丸へ入城。
薄暗い明りの中
中は国宝だらけで
二の丸からでてきたら
絶賛夕立中。
南米人集団に
向こうまでおぶってくれたら5000円あげるよ!
とか急にふられても
苦笑いでいなすしかできんよね・・・。
二の丸を外から眺めながら
本丸へ。
本丸へ入る手前に小堀遠州作の二の丸庭園があるが
大粒の雨のせいですっかり見逃してしまう。
というか軒先で浮浪者のように固まって雨をしのぐ
外国人の群れにかなりビビる・・・。
この辺りで既に
別れのワルツが流れ始める。
晴れ間も覗くが
まだまだ絶賛夕立中。
天守台に上ると
京都市街が一望。
とまではいかないが思いのほか眺望が良い。
天守閣があった竣工当時は
完全に京都市街を掌握できたであろうし
なにより皇居を見下ろしていたはずだ。
西側から本丸をでて
本丸の北側から東大手門を目指す。
この辺りはかなり地味地味して
みるべき展示は少ない。
鬼門てやつかな。
この辺りは昭和40年にできた庭とのこと。
当時は何があったのだろう。
ぐるりと東大手門の入場口まで戻ってきた。
しかし巨大な門。
ド平城でいかにも平和な時代の
政庁を守る門という感じ。
真四角に堀の縄張りも珍しく
まさに平和の象徴。
大阪で所用を済ませて
JR新快速で京都へとんぼ返り。
翌日はとんでもない二日酔い。。。