
やってみせ
言って聞かせて
させてみて
褒めてやらねば
人は動かじ
とは
かの山本五十六大将の言だが
結局はそういうことなんだろう。
道を示そうにも
自分の歩んだ道以外に知る由もなし
できることといえば
自らの背中でものを言い
自らさせてみて
肯定することくらいか
うん
思い返してもそうだな
時代をともにしない子供に対し
どれだけ背中で語っても
それがどこまで本当かはわからない
唯一リアリティとして残るものは
どれだけ肯定してもらえたか
それだけだな
なんか
窓際のトットちゃんの
巴学園を思い出した
うちのはどんな道を歩むのやら
形は違えど
年と経験を経るごとに
新しく生まれる感情を出し入れして
それぞれにわたりをつけて
少しづつ精神的な自由を手にいれてゆくのだなあ
私自身6歳の夏に
自然に囲まれた夏の生活を送っており
今も鮮明にそれは覚えている
人間一度は原点に返り
魂をリセットする生活送らないと
本来の自分が見えてこないのではないか
その生活は本当の自分を知るうえで
人生の大きな糧になるのではないか
そう思わせる作品だった

担々麺を頂く。
なにが素晴らしいって
ライス
&
食べ放題麻婆豆腐
がついてくることだ。

どっちかゆうたら
もう
麻婆豆腐の方が主役かってくらい。
担々麺は
クリーミーながら
ややあっさりめ。
麺がややポソの
縮れ麺。

肉蕎麦を頂く。
外装にデカデカと
「なぜ蕎麦にラー油を入れるのか。」
「昔ながらの日本蕎麦はもう飽きた。」
とある。
蕎麦+ラー油とくれば
港屋インスパイア???
という言葉しか浮かばない・・・
しかし港屋がシックな造りで
大人の変わり蕎麦といった外観なのに対し
こちらはだいぶガテンな造り。
ともあれまずは実食。

中盛りと言いながら
ドカ盛り風な器でやってくるがそこは案ずるなかれ
半分は海苔とネギと冷しゃぶだ。
ノリとネギをかき分けてようやくたどり着く
太くて黒いゴリゴリの蕎麦を
甘辛つけ汁にどっぷと漬けて
ワシワシとかっ込むシステム。
しかしつけ汁が濃すぎるな。
卵を入れてちょうどいい。
とにかく甘辛濃ゆい。
ちなみに卓上の生卵は無料とのことだが
震災の寄付金にするので寸志をとある。
これはいただけない。
小心者が快く食すには良心が痛むというものだ。
寄付したいのであれば
潔く有料化するなり値上げするなりして
堂々とその旨を張り出せばよい。
そのほうがお互い気持ちよくいられるというものだ。

ラーメンを頂く。

な、なんだこのラーメン屋。
暖簾をくぐると
全員が
ジロッ
と一瞥をくれて
「なんだ、よそ者か・・・」
といった顔でまた自分の卓に顔を戻す。
まだ夕方にもならないというのに
卓上ではしっかりとビール瓶や
コップ酒が握られている。
ラーメンなんて誰も食べてやしねえ・・・。
どうやらここは
富士宮のガテンな輩
集いの場であるらしい。
卓から卓へいせいのいい酔っ払い声がとんでいる。
「どこどこのあいつは最近どうした。」
「あぁあいつならこうこうこうしている。」
みたいな身内話ばっか。
うわぁ
完全にアウェイだわこりゃ。
なんだか酸っぱい醤油スープで
ワンアンドオンリーな味で
しかも一杯400円とものすごく安いんだけど
そんなこんなより
富士宮のディープエリアの片りんをみたことで
お腹いっぱい胸いっぱいの1軒でした。

「極太濁流」
「男暖簾」
「空腹男子常臨」
なんぞ、この店・・・
と嫌でも記憶に残る面構え。
つけ麺、汁なし専門とあるが
ここはひとつ基本からということで
特製中華そばを頂く。

うーん。
悪くはないのだが
豚骨魚介のつけ麺を薄めただけって感じで
今一つ。
もうちょっと個性がほしかった。
つけ麺を中盛りで注文した同行者は
バケツでワシワシ締めた大量の麺を
マグカップのつけ汁で喰らう。
という地獄絵図。
中盛り以上は要注意ですな。