僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

福実(福生)

2018年08月31日 | 麺をいただく

Aセットを頂く。

Aセットとは半チャンセットのことだが

ラーメンがすこぶるうまい!

特にスープが!

永福大勝軒みたいだけど

あれよりも魚が濃くて

節カスが浮いてて

品のある脂も張りつめてて

出汁そのものを麺につけて食ってるみたい。

原価はなかなかものとみた。

チャーハンも味が濃い。

腹ペコ男子どもがほっておかないわけだ。

これは毎日でもきたくなるかも。


菜の花の沖(司馬遼太郎)

2018年08月27日 | よむ

近所にすばらしい図書館を見つけた!

で、さっそく司馬遼太郎の長編を借り続けた。

長編小説ながら

第6巻のためにすべてが進められ

5巻までは何の事件も起きない。

高田屋嘉兵衛という人物を知り

ロシア帝国という巨象のような国家

を理解するために

最初の5巻は惜しげもなく

ただただページをさかれる。

この愛すべきタカダヤタイショウは

天性の船乗りかつ

商売人であったが

後ろ盾がえられず

蝦夷地にその基盤を求めたがために

ひょんなことから国家問題にまきこまれ

ロシア帝国との人質交換の役回りを余儀なくされ

その1年余りの出来事を主題にして

当時の日露関係を浮き彫りにし

今日に至る諸問題理解の糸口になれば

そんな物語である。

昨今の日ロ関係といえば

シベリア侵攻・抑留

北方領土と

80年近く棚上げになって久しいものばかり。

今思えば

ゴルバチョフ、エリツィン時代に

もっとゴリゴリねじ込んで

一定の解決を試みなかったのか悔やまれる。

もっと言えば

シベリア侵攻の兆しありとの警告に目をつむり

取り返しのつかない結果をまねいた

大本営を許した風潮から変わっていないんだろうな。

いずれにしても先人の拓いた豊かな土地が

他国の版図に収まっていると思うと

残念でならない。

それはさておいても

タカダヤタイショウの

なんと気持ちの良い漢っぷりであることか!

ウラータイショウ!


皇国の興廃此の一戦にあり(横須賀)

2018年08月26日 | ぶらぶらする

着きましたるは

階段のない駅として有名な

横須賀駅。

言われてみればホントに階段がないや。

物を知らんので横浜駅から

JRを乗り継いで乗り継いでやってきたけど

横浜からは京急で一本が便利でよろしゅうおます。

日本史上類を

見ない先見性を持ちながら

封建社会の立場に埋もれ

手腕を発揮できなかった人物が

幕末に2名いる。

一人は長岡版宰相河合継之助。

もう一人が幕臣小栗上野之介忠順。

この小栗が幕府の滅亡を予期し

幕府内の反対の声を抑えて

寄稿したのが現存する横須賀ドッグ

「横須賀造船所」。

このときの

「たとえ幕府が売り家になっても、蔵つきである」

という言葉はあまりに有名。

駅をでると日本近代化の父

ヴェルニー記念館がお出迎え。

ヴェルニーさんは横須賀ドッグの設計と

製鉄技術で指導してくれたフランス人技師。

造船所で使われたスチームハンマー関連を中心に展示。

フランス人技師やら

オランダ製ハンマーやら

文明開花には多くの国が関わっているのです。

横須賀湾とドライドッグを左手に見ながら

イオンと米軍施設を抜けて

三笠公園に到着。

東郷元帥に初お目見えでござる。

記念艦三笠の中はボランティアが案内してくれるので

是非お勧めしたいが

当たり外れがあるのもまた事実・・・。

三笠はワシントン軍縮条約による退役後

航行・戦闘能力を失った形で

日露戦争勝利のシンボルとして横須賀港に展示されていたが

太平洋戦争に敗北すると

ダンスホール、水族館とムチャクチャな改装を施された

不遇な時代もあったとのこと。

おかけで当時のままの保存状態とはいかないようで。

その中でも貴重な当時の甲板。

操舵室。

視界が狭くまるでトーチカ。

対バルチック歓待の絵画で有名な

東郷元帥のたつブリッジと

東郷元帥立ち位置からの前方。

プレステを改造した

日本海海戦操艦ゲーム。

有利な距離を維持するのが難しく

善戦のつもりがあっけなく敗戦。

三笠全景。

いまをときめくVRで楽しむ日本海海戦。

元帥気分になれてけっこう面白い。

艦首の御門紋

木製で本物。

船尾の応接間。

司令官専用の階段!

軍艦の艦首は尖ってないのね。

はためくゼット旗!

皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ

各員一層奮励努力セヨ!