僕の前世はたぶんオランダ人。

おもしろきこともなき世をおもしろく

ワッカ(八丁堀)

2021年04月28日 | カレーをいただく

なんだろう
この
お好み焼き臭は...

トリプルの出汁カレー&無水&ラムウプカレー
を頂く。
出汁カレーは何の説明もないので
まずはスタンダードなのかな?

無水は
無水チキンで
水分をとばして鶏の旨味を凝縮したドライタイプのカレー
とある。
ラムウプカレーは
ラムリブロースを使ったチェティナード地方のウプ(塩)カレー
なのだそうな。
大阪からやってきたスパイスカレー
が売り文句らしい。
まずは出汁カレーから。

サラサラサラッと。
全く辛くない。
むしろ甘い。
お好み焼きの正体は
このスープに含まれる出汁か!
次にウプ。

ピリッとくるが
こちらもさほど辛くはない。
ただし脂を強く感じる。
間にサラダを挟む。
これはアジアン!
ココナツミルクのせいかタイの味に感じる。
最後に無水。

コンビーフのように繊維質の肉が特徴。
オーライ。
じゃヨーグルトこみで混ぜるとしよう。
出汁カレーが1番強くでちゃうな。
出汁が「うり」みたいだけど
逆にだしをぬいたほうがよさそう。
イートイン、テイクアウトをさばくのに
このツーオペは地獄かも。
あっという間の店じまい。

沙門空海と世界遺産の旅(後篇)

2021年04月14日 | ぶらぶらする
那智の滝から大門駐車場へ戻り
大門から車をとばすこと1時間。
熊野信仰の本拠地
熊野本宮へ到着。
三山のうち
速玉大社・那智大社は海沿いで隣接しているが
この本宮大社だけは山深くに
ポツンと独立しており
海から熊野川をひたすら遡る。
色合いも独特で
他の2社が朱色で華やかな境内なのに比べ
こちらの本宮は「茶色」。
地味ながら静けさと参拝者の熱心さは
他の2社の追随を許さず
神域としての熊野を感じたいならここが一番。
1889年の十津川洪水までは
熊野川の中洲にあったと聞くので
やはり熊野は川と水運の神様だったのだろう。
また、西日本が日本の中心で
東日本は未知なる世界であった頃の建立と思うと
東の境界に立つこの神社の意味合いは面白い。
世界の東端に伊勢神宮で太陽神を祀り
1日の始まりとし
同じく東端に水神として熊野を祀り
1日の平穏を願ったんじゃないかな。
司馬遥の小説でもお馴染み
熊野牛王神符もこちらが本場。
さて13時過ぎではあるが
ここから最後の目的地
高野山金剛峰寺を目指すことにする。
日本一大きい村、
奈良県十津川村を走破する
エクストリームコースだ。
下道でたっぷり2時間
紀伊半島の中央を下道で走り倒す。
川沿いの峡谷をひたすら曲がりくねり
あるものはダム、ダム、ダムに次ぐダム。
思いつく言葉は
『どこまでいっても十津川村・・・』。
たどり着いた最果ての地は
なんと『天空の国』野迫川村。
野迫川村から20分。
奥の院を過ぎると、
後に思えばこの素通りは実にもったいないが・・・、
周囲の雰囲気がガラリと変り
まさに天上の宗教都市が
バンッと四方に広がる。
その中でのお目当ては
空海の開いた真言密教の総本山。
金剛峰寺!
山門をくぐって左手の経蔵。
苔むしてかっこいい。
1679年に大阪の商人から寄進されたのだとか。
本堂の屋根の上に
桶が常設されており
火災に備えて雨水を貯めているらしいのだが
ボウフラ対策とか大丈夫なのかな。
中身は総本山の名に相応しく
権勢を誇る煌びやかな宗教施設となっており
秀次切腹の間も残されている。
とはいえ本堂も空海の開いた平安時代からの建築であろうはずもなく
江戸末期の再建のもの。
中庭も1984年とかなり新しいもので
四国から花崗岩をとりよせて
龍を表現したものだそう。
宗教設備って古いものを残すだけでなく
その時々の権力者と結びついて
随時アップデートされてゆくのが面白い。
圧巻はこの巨大な台所。
実際に現在も使われているらしいのだが
野菜をつるしたり
かまどの直上の煙突がすすで汚れていたりと
実際の生活感がこびりついて
マニアにはたまらない。
台所見学に一番時間を費やしたくらい。
うーん。
司馬遼太郎の『空海の風景』をかばんに忍ばせているせいか
3割増してかっこよくみえてしまう笑。
江戸末期建立の鐘楼。
16世紀末に作られた大玄関は
皇族と高位の僧のみが使うものだそう。
唐入りのころのものだから
秀吉もこの玄関を使ったのかもしれない。
よくわからない棒がにょきにょきしてる。
にょきにょき。
お大師さん、
またきます。
入ってきたのと逆側が出入り口だったようで
宗教都市高野山としての門は
江戸中期のものだが
朽ち果て感が強すぎてちょっと見てられない・・・。
おそらく車での来訪がほとんどなので
実際に門をくぐって結界に入る人が激減し
結果廃れてしまったのではないかと思う。
ここからは紀州の旅エクストラステージ。
目的の和歌山市内へ向かう途中に
紀州一ノ宮があるようなので立ち寄ってみる。
紀伊国はなんと3ヶ所も一宮を保有する
よくばりさん。
3ヶ所のうちもっとも高野山に近いものがこの
丹生津秘比売神社。
よめない・・・笑。
にうつひめじんじゃと読むようだ。
2年間の中国留学から帰国し
中央へ招聘された後
当時最新鋭だった密教寺院建立の地を探していた空海に
高野山がいいよ!
と教えてくれたのがご当地のご祭神
丹生津比売命だったとのこと。
比売ってことは女性だよね。
あやしい・・・
あやしすぎるぞモテ僧侶空海!
神社といいながら
前述の通り高野山との関わりが深いので
佇まいもかなり仏様より。
しかし人気がない・・・。
一応これでも世界遺産。
世界遺産も乱発しすぎだって・・・。
今日の締めの一品は
吉野・熊野名物のめはり寿司。
新宮に本店を構える総本家めはりやさん。
まずは鯨ともつ煮。
鯨うまし!
そしてお待ちかねのめはり寿司!
プラス豚汁!
醤油でしっかり下味のついた米を
高菜の漬物でグルグル巻いたもの。
まぁ田舎を感じる素朴な味だこと。
寿司といいながら実際は
ミドルサイズのおにぎり。
翌日は8代将軍徳川吉宗が
10年間藩主を勤めたことでも有名な
紀州和歌山城へ登場。
吉宗は在任の10年のうち
約2年間を紀州で過ごしたらしい。
初見のお城なのでまずは大手門から攻める。
広い縄張りは
一部が動物園になっていたり
野球場になっていたりと
遺構としての保存状態はあまりよろしくない。
展望台から眺める和歌山城。
一見の時間のない旅行者にとって
このうえなくありがたいのがこの
『ここから見て下さいね』システム。
すばらしい。
まだ早いこともあって
開門前の天守閣。
コンクリの再現天守だから
登らないけどね。
いわずと知れた御三家のひとつ
紀州徳川家。
残っていれば荘厳な縄張りだったろうが
前述の通りほぼほぼ公園化してしまって残念。
西側の追廻門から退出。
和歌山城の最大の見所
「御渡廊下」なる斜めの渡り廊下が
天守の北側にあるようだが
リサーチ不足で失念・・・。
たいへん残念。
JR和歌山駅から紀勢本線にのって
海南駅へ。
おおー。
みかん・お菓子発祥の地!
かわいいイメージキャラクター!
愛媛にもよく似たキャラクターみきゃんちゃんがいて
ちょっと笑っちゃう。
旅の締めはしらす丼で有名な
有田の則種さん。

梅干つきなところが
紀州のしらす丼!
美味しい旅であった!

沙門空海と世界遺産の旅(前篇)

2021年04月14日 | ぶらぶらする
和歌山の南端、
新宮町を目指す。
名古屋発17時半の快速みえで出発。
途中多気駅で30分の乗り継ぎ待ち。
ふるぼけたヤマザキ以外なにもねぇ・・・。
ここから鈍行で3時間。
最初の頃は通学の高校生がのっていたが
2両編成の車両は気がつけば完全貸切。
途中一風変った駅名も。

22時50分新宮着。
思えば遠くへきたもんだ。
当初日本には4つ
法隆寺・姫路城・屋久島・白神山地
しかなかった世界遺産は
今や猫も杓子も状態で
2021年現在なんと21にまで膨れ上がり
もはや何でもあり状態。
そのうちここ和歌山にあるものが
2004年に登録された
熊野古道こと紀伊山地の霊場と参詣道 。
さっそく新宮市中心部の
熊野速玉大社からお参り。
9時前のせいか
ひと気もまばら。
太い注連縄がかっこいい!
静かで朱の映える境内。
熊野川の河口に建っているとのことだが
そもそも熊野川という言葉に耳なじみがない。
それもそのはず以前は新宮川として教科書に記載されていたが
1998年を境に熊野川へ変更されたとのこと。
ややこしい。
ところ違えば祀る神も違うということで
こちらはデラックスにも
12柱もの神々が祀られております。
左が手力男神社、右が八咫烏神社。
関東では見られないご祭神で
大変珍しい。
速玉大社から車で10分。
神倉神社へ参拝。
速玉に遷宮するは太古の昔はこちらが本宮だったらしいが
ここはここでとんでもない立地。
鳥居をくぐり500段以上の石段を上りつめる。
画像では伝わりにくいが
相当な急坂
健脚者のペースで10分
中腹の鳥居へ到達。
汗ダクダク。
そしてこちらがご神体の
ゴトビキ岩。
眼下に広がる太平洋。
さえぎるもの一切なし。
振り向けばこぼれ落ちそうなご神体。
なんでこんな山頂にこんな岩が転がっていて
こんなことになっているのか。
『???』だらけだが
とにかく圧巻でかっこいい!
上りが急なら
下りはもっと急と相場が決まっている。
転ばずに安全運転で下ろう。
今度は車で30分ほど移動。
熊野古道を経て熊野那智大社へ参拝するために
大門坂駐車場へ。
さすがは平日。
ビローンと空いている。
JFAでおなじみ
ヤタガラスがお出迎え。
大門坂の標識を左に入り
水の流れを遡上すると

熊野古道入り口。
和歌山の観光地図を眺めて
高速道路網の充実ぷりに驚いたのもつかの間、
高速道と思った道のほとんどが
この熊野古道だったりする笑。
鳥居をくぐると熊野古道の始まり。
綺麗に整った石畳のゆるい坂を上る。
樹齢500年とも800年とも言われる杉が
石畳の両側を固める。

この時期は良いけど
少し前ならスギ花粉で地獄かも・・・。
坦々と石畳。
とにかく静か。
深々と石畳。
駐車場から歩くこと20分で
石畳がパタッと終わる。
古道自体は15分くらいかしら。
ここまでくれば到着したようなものだが
鳥居をくぐってからの
最後の階段が何気に一番しんどい笑。
熊野三山の2つめ
熊野那智大社。
下界の眺めが気持ちよい。
よく整備された神社で
ここでもやはりヤタガラス。

拝殿の脇から奥へ入ると
青岸渡寺という古いお寺の境内に入る。
どこまでが神社で
どこからがお寺なのか
さっぱりわからないくらい
自然でもあり
また不自然でもあるけど
すんなり寺と神社が並んでいてびっくりする。
古くは熊野三山全てが神仏習合だったようだが
今はこの那智のみにその名残を感じるとこができるとのこと。
そもそも三山て名前が仏教だったことに今更気付く。
ここから寺を下って那智の滝を目指す。
お、那智といえばこれを忘れてはいけない。
三重塔と那智の滝。
等の脇に滝が落ちる構図はあまりに有名だが
実際の滝は塔から15分ほど下った先にある。
塔から九十九折の車道を下る。
途中よくなれた鹿に遭遇。
奈良じゃなくても鹿はいる笑。
まだ遠い滝。
日本一の落差とのことだが
「瀑布です!」的な音は聞こえてこない。
ようやく鳥居へ到着。
那智の滝は「飛瀧神社」のご神体となっており
滝も立派な神社の一つ。
133mの落差は日本一らしいのだけれど
近くまでよれないこともあり
正直あまり迫力はない。。。

神社とはいえ鳥居のほかに
拝殿も本殿もなく
ぬぐえないとってつけた感・・・。
観光遺産となってしまった廃墟も多い。
熊野古道を通り大門駐車場へ到着。
丁度1時間半。
熊野古道入門にうってつけの
初心者ルート。

伊勢屋(星川)

2021年04月11日 | 揚げものをいただく

かつ丼を頂く。
前の客が最後の1皿となったカツどんを頼んだ後
30分以上経過し
キャンセルしたのを見逃さず
しれっと発注をさしかえた
まさに滑り込みカツどん。
それほど人気のしろものなのだ。
待ちもまったり40分。
角煮かとツッコミを入れたくなるような
暑さ5センチの圧巻の肉塊。
もはやチャーシュー1本いれてんのか
とおもう。

なんといっても米の少なさよ。
濃い割り下は好みでないけど
肉が分厚すぎて
真に肉でお腹いっぱいになれる。
また
カツどんがでてくるまで
たっぷり40分であったが
その待ち時間ももてあますことはない。
こちらのアルバイトちゃんの天真爛漫ぷりは相当なもので
ご主人との掛け合いと
客とのかみ合わないやりとりをきいているだけで
全く飽きることがない。
あっという間に時間が過ぎること
うけあいである。