とう飯定食を頂く。
東京出張してみたらなんと豪雪。
アチアチのものが食いたくなり
やってきたのがここ日本橋の関東風おでんの名店、
お多幸さん。
で頂くのはもちろん名物「とう飯」
味ご飯におでんの豆腐をのせただけ。
関東風だのでけっこう醤油からい。
前半は切り分けながら、
後半はかき混ぜながら、
ハフハフズルズルっといけちゃいます。
店員がやや偉そうなのがムッとくるけど
雪の日のランチとしては最高でした。
あ、
今日は死んだばあちゃんの誕生日だなぁ。
とう飯定食を頂く。
東京出張してみたらなんと豪雪。
アチアチのものが食いたくなり
やってきたのがここ日本橋の関東風おでんの名店、
お多幸さん。
で頂くのはもちろん名物「とう飯」
味ご飯におでんの豆腐をのせただけ。
関東風だのでけっこう醤油からい。
前半は切り分けながら、
後半はかき混ぜながら、
ハフハフズルズルっといけちゃいます。
店員がやや偉そうなのがムッとくるけど
雪の日のランチとしては最高でした。
あ、
今日は死んだばあちゃんの誕生日だなぁ。
温かいラーメン並を頂く。
いらゆる志田系朝ラーメン。
どこも変わり映えない温麺みたいなもんでしょー!
なんてたかをくくってたら
ここのラーメンはなんていうか
・・・にがい。
がんばってアレンジしようとした結果なのか、
志田ラーメンを軽視してたら
意外と難しいラーメンなのかもしれないと
既成概念に一石を投じたラーメンでした。
仕事中に通りかかった公園が
どうしても気になり
休日にやってきた。
その名も清水山公園。
静鉄の音羽町駅の北側に隣接する小山がそれだ。
一口はこんな感じ。
寺だけどわりと貧相な神社な面持ち。
少しのぼると本堂がある。
なんでも家康が建立したのだそうだ。
ほんとかなぁ。
軒下のデザインは東照宮ぽいけど。
さらに5分ほど上るとすぐ頂上。
うっそうとした木々に囲まれ
まったくもって見晴らしは悪い。
石碑があったので一応撮っとく。
下りは来た道と逆をとことこ降りる。
この山は1500年頃、
とても眺望に優れていたようで、
京都の音羽山清水寺に似ているからという
それだけの理由でなんのひねりもなく、
そのまんま「音羽山清水寺」と命名されてしまったそうな。
そんな訳でプチ「清水の舞台」もちゃんとある。
あと、
なんかの電波記念的な石碑もあるが
どうもJポークと読んでしまいがち。
最後に目当ての公園なんだけど、
思ったほど遊具もなくて
期待したほどではなかった。
ただ、砂場だけはでかい。
「法多山に行ってきた」
という話をここ1週間で2人から聞いて
がぜん興味がわいて早速やってきた。
静岡県中西部の住民からすると
非常にポピュラーな厄除け寺のようで
山門もこのようになかなか重厚。
山門をくぐるとよく整備されたなだらかな上りの参道が続く。
しばらくすると真新しい石段にぶちあたり
これがなかなか急勾配。
やっとこさ上りきると
広い敷地にピッカピカの境内が広がる。
ピッカピカすぎて山門とのギャップが激しく、
新興宗教の本山に迷い込んだかのような戸惑いを覚える。
本堂の中では炎高く護摩を焚いてたりして
独特の世界が広がる。
門に葵が見られ徳川家との関係をアピールしてる様子。
帰り路は参道の上の道を通るが、
ここの池もあまりに新しく場違いな景観に
ますます新興宗教をイメージしてしまう。
さてここからが本日のメイン処、
今日の目的は寺社仏閣ではなく
法多山参道帰路の厄除け団子!
高尾山の茶屋感覚で参道中腹にある。
なんと食券制!
一箱500円の土産用を
みなさん一人5箱くらい普通に買っていく。
こちらは店内用で1皿200円。
見た目赤福っぽいのだが、
白い部分は餅というよりややカルカンに近い。
団子屋を後にすると「家康お手植」なる松に遭遇する。
ホントかなぁ。
さて、法多山はここで終了。
ここから海沿いを東に戻り、
10年前から気になって仕方なかった
「高天神城」を攻める。
城とはいっても山城の廃墟なので、
野山の起伏を歩きながら想像力をフル活用して
当時を無理やり脳内に再現するという
かなり玄人向けのツアー。
袋井市大東地区の田園地帯にもっこりと位置する
丘陵地帯が目指すそれ。
「やっぱり登城は正門からでしょー」
と南側の大手門にやってきた。
↑正確には大手門址。
おっと途中通行止めでこっちからは本丸までしかいけないようだ。
ここでは俯瞰図を記憶するにとどめる。
仕切りなおして北口となる絡手口へ移動する。
こちらは参道もかねており石段での登城が可能。
写真ではわかりづらいが
切り立った崖を拓いており
侵攻ルートはかなり限定される。
武田軍がつくったとされる
「三日月井戸」なる水たまりが途中にあり気分が盛り上がる。
中になぜか金魚が泳ぐ・・・。
石段を登りきり尾根道にでた平地がかな井戸。
ここから西の急な石段を登ると高天神神社兼西の丸。
神社の裏手に回るとやや開けて南側には海も見える。
ここから西へ切割を伝うと
馬場平なのだが、この先は通行止め。
なんでも落城の際、
武田の武将がこのけもの道から逃れて
甲府の武田勝頼へ敗戦の報を伝えたらしい。
ここから甲府まで行けるとは夢のある話だ!
さて、
かな井戸まで戻ると本丸へ向かう東側の道はこのように通行止め。
しかしこの通行禁止ゾーンは5m程度で
しかも何が危険なのかよくわからん。
せっかくなので視界に入らなかったことにしてロープをまたいでみる。
うん、普通の山道だ。
ここから直接本丸へ向かうことはせず、
左へトラバースして徳川方の武将が囚われていたとされる
石牢を見に行く。
当然中は入れないけど8年もこんなとこ入りたくないっす。
さてようやく本丸址へ登城。
えーと、
想像以上になにもない笑。
いや、本丸東の御前曲輪址には顔抜がたってるが、
よけいにさみしい・・・。
本丸横には意味不明な給水塔がたっているが、
ガッチガチに凍ってる・・・。
小さいながら信玄も攻めあぐねたという
難攻不落ぶりが体感できたお城でした。
津本陽著の「暗殺の城」はこの城が舞台だそうで、
ぜひ読んでみよう。
鴨南蛮そばを頂く。
ここ静岡県はラーメン・うどんはパッとしないのだが、
そばについては光るものをもつ店が多い。
↑ えらそう。
粗引きと細引きが選べるのがおもしろい。
そばの香りは控えめで
汁が甘く濃いのがいかにも静岡のそばらしいなぁ。
おいしく頂きました。