全国屈指の名湯
五十沢(いかざわ)温泉で一泊。
今さら天地人。
なぞにパンダのはく製(笑)。
こちらは宿はぼろいが
お湯が素晴らしい。
バブル期に拡張した
古い設備の温泉旅館が毎日廃業している中
こちらのゆもとかんさんは
今日も元気にふるーい設備でフル稼働営業中。
それもこれもこのすばらしいお湯のおかげ。
時間帯によって男性・女性・混浴と別れており
まぁ混浴がある温泉は
湯治場のように大体よい泉質と相場が決まっておる。
軽い硫黄臭とサラリとした
何より豊富なかけ流しの湯量!
素晴らしい。
百名山の巻機山と八海山に挟まれた
なだらかな水田地帯。
南魚沼の地名が示す通り
米がうまい!
この日のお目当ては
十日町のトンネル芸術
清津峡。
日本三大峡谷の一つとのこと。
残す2つは言わずもがなの黒部峡谷と
三重の大杉谷だそうな。
黒部はともかく
峡谷は日本中にゴロゴロしてそう・・・。
チケットを購入後入坑。
微妙な登りのトンネルを進む。
ちょこちょこ横穴が開いており
趣の異なる地層を眺めることができる。
目の前に迫る迫力の岩肌。
意味不明に芸術的なゾーンはなんとトイレ!
トンネルは緩やかにUターンして
清津川の下流に向かって
ひょっこり顔を出す。
こちらがトンネルの最終地点。
パノラマステーション。
誰が撮ってもかっこいい写真がとれるシステム。
なんでこんな写真になるのか
是非現地で確かめてほしい。
トンネルを戻って
さらに長野側に進み
星の棚田なる田園地帯へ
こちらは青々した穂をつけており
写真にするとなんだかゴルフ場コース図のよう。
やはり棚田は田植え前の水張りが
一番写真映えするようす。
さらにさらに西へ進み
本日のメインイベント
春日山城攻城戦へ。
まずは階段のスズメバチをよけながら
登城口となる春日山神社へ。
山一つ丸々城なだけあって
完全に登山な予感しかしない。
春日山神社の右手から登り始める。
点在する廓には歴々の屋敷跡の碑が。
正直ほんとかなと思っちまう。
切掘りやら
虎口やらを超え
山頂付近の
毘沙門堂へ。
ここでハタと気づいた。
こんな巨大な山を丸ごと要塞化して
山頂に護摩堂をこさえて
49歳の生涯の中で70戦
というクレイジーなまでの戦争の回数。
さらには2敗という
無類の強さを誇り
自分を毘沙門天とまで言ってしまうこの城主は
とんでもない狂信的カルト教団の棟梁だったのではないかと。
越後国の運営よりも懲戒的な出兵ばかりに精をだし
結果、領国をまとめきれず
家臣の造反とその火消しに追われる生涯だったのではないかと。
神社からたっぷり30分。
ようやく本丸へ。
ようやくたどり着いた本丸跡からは
東側の眺めが素晴らしい。
やってきたぜ日本海!
という爽快な気分にひたる。
ここから南側の廓を回りながら下る。
まずは謙信の跡を継ぎ
米沢藩上杉家の祖となった
景勝屋敷跡。
本当かなぁ・・・。
景勝屋敷跡の脇を通るのが
御成街道。
御成街道と呼ばれる道は全国にいくつもあるようで
こちらの御成街道は
時の関白近衛前久が
春日山城訪問の折に通ったからとのこと。
近衛卿は北陸から関東、
果ては鹿児島まで流浪の半生を送ったが
それはまた別の話。
山道は続く。
こちらは景勝との相続争いに敗れた
上杉景虎の屋敷跡。
ほんとかなぁ・・・。
先ほどの景勝屋敷跡は景虎屋敷よりも高台にあるため
景虎屋敷に向かい鉄砲をしこたま打ち下ろしたのだとか。
ほんとかなぁ・・・。
このほかにも
柿崎屋敷跡やら
甘粕屋敷跡やら
本丸の奥には井戸もある。
すたこらと下山を続け
春日山神社脇の売店で
ようやく城主様にご挨拶。
車除けまで謙信仕様。
幟は「毘」か「龍」のどちらか。
大手門脇の大駐車場から城郭全景を眺めることができるが
ほんとにデカい。
さて上越を後にして
帰路につきながら汗を流そう。
妙高山山麓の燕温泉へ。
燕温泉郷駐車場から温泉街を抜けて
なかなかの山道へ。
ちゃんとした山道なので
温泉街の酔客は間違っても
浴衣姿でふらっといかないように。
川越しにかっこよい滝が見える。
惣滝という日本の滝百選のひとつなんだとか。
そもそも滝に百選があったのね!
落石とかあったら即閉鎖されそうなくらい
細い道。
駐車場から10分ほど歩いたつり橋を渡り
端から見下ろす道をさらに上る。
ここからはほんとに山道。
あと5分の看板に励まされる。
駐車場をでてから20分。
文字通りほったて小屋な脱衣所に到着。
一応男女別になっている。
女性は水着OKの混浴温泉。
料金は無料。
無料なのにちゃんと手入れの行き届いた
素晴らしい温泉。
硫黄臭のほどよい乳白色。
狭くてぼろい更衣室なので
野湯っぽいイメージが先行するけど
温泉自体はものすごく行き届いており
安心して入ることができる。
とてもいいお湯だった。