10月19日

2006-10-19 16:55:41 | Weblog


   薬師草(赤塚植物園)

 目の障害が出てからいろいろな事が億劫になった。
 回復傾向にあると医者に言われても、年齢から来るものも有り
 仕事の面でも図面チェックの凡ミスがでる。
 若い頃から比べるとちょっとした怪我もするようになった。
 まあ、おっちょこっょいは小さな怪我をしても大怪我はしないと
 祖母の口癖だったが、やはり回復が遅いのも加齢のせいだろう。
 私の両親や家内の両親の介護については慣れてきて、公に任す
 ものは任し、兄弟で分担するするものはうまく分担し、とは言うもの
 兄弟の数で仕事を当分しても、家族の事情もあり結局出来る人が
 する。これが平和的解決なのだが・・

           母のこと言ひて尽くせぬ衣被
 
 今までに俳句のスランプなど感じたことのない、ころころですが
 俳句を考える時間が全く無いのが現状で、俳句を息抜きとしてきた
 ので辛いところ。仕事を取りすぎた?。でもないのに。
 誰でもそんな時期はきっと有るのだろうと思いながらも何だか
 焦りににたものを感じている。
 励ましのお手紙やメールを頂いても満足なご返事も出せずに
 申し訳なく思う近況です。
 

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10月18日

2006-10-18 21:47:25 | Weblog


     ふじばかま(赤塚植物園)

   藍甕の機嫌ほどよし星月夜    ころころ

 

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10月17日

2006-10-17 00:20:18 | Weblog


  アキギリ(赤塚植物園)

   秋霖のきのふと違ふ町の貌   ころころ

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10月16日

2006-10-16 05:43:32 | Weblog

    鬱見舞ひ母の掌に置く木の実かな   ころころ
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10月15日

2006-10-15 08:08:50 | Weblog


    草の実をつけての野良猫横切りぬ    芳子

    海原の茫茫とあり草の花          和子

 先日の現俳のネット吟行句会、選の発表がありました。
 選者の一人、伊藤達夫氏の選に有った佳句です。
 先のブログにも書いたように句会の流れもよくなく、
 参加者の投句の内容にしても我々のとは一味違うもので
 私を含め結果を期待するものでは有りませんでした。
 当日の坪内稔典さんのお話を満足としてしてきた私には
 同行の氏の入選は大きな喜びです。おめでとう!
 
 俳句はこうして作者の関心の薄い部分で一人歩きをする
 わけで、たった一人の他人の心を動かすことが出来れば
 成果だと思います。互選の結果とはまた違う喜びです。

  佳句は必ず誰かの目に留まるものですね。

 *お詫び。芳子さんのお句、もう一方の芳子さんでした。
 よく調べずに掲載し、ご本人に迷惑をおかけしました。
 申し訳ありません。
 
 

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10月14日

2006-10-14 19:18:00 | Weblog

   覚えきて鏡と手話す夜長かな  ころころ
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10月13日

2006-10-13 05:50:48 | Weblog

     大股に行脚の僧や草じらみ  ころころ
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10月12日

2006-10-12 00:32:31 | Weblog

       母のこと言ひて尽くせぬ衣被  ころころ
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10月11日

2006-10-11 05:57:34 | Weblog


     金木犀こぼすに風のなかりけり  ころころ

 連衆Jさんの選評に「 樹の下に円形に花が落ちています。
 そのことに風はあまり影響していないようです 
」とあり。
 まさしくその景色を詠みこめればと思っていました。
 鑑賞においては作者の感動をどう伝えられるか?ということが
 俳人の悩みのひとつです。
 時に、作者の感動以上の鑑賞にであう事もあり、そんな時に
 つくづく自分の俳句力の無さを実感する事になります。

 一般的に作句能力=鑑賞能力と言われていますが、
 主宰、先生と呼ばれる人たちの力は
 作句能力鑑賞能力にあるように思います。
 作句能力(時々の俳句作品)の成否は主宰、先生といえど
 常に勝っているわけでなく、一方鑑賞能力は上積の世界で
 ころころも 作句能力鑑賞能力 と実感できた時には
 次のステップに進もうと考えています。
 

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10月10日

2006-10-10 06:05:56 | Weblog


    月の船夢に疲れてゐたりけり  ころころ

 月の異名ならば「月の舟」とすれば良かったのか迷った挙句
 「月の船」とした。先人は三日月を空に浮ぶ舟にみたて、
 その航跡を楽しみ、歌に残した。なんという遊び心なのだろう。
 
 そういう意味では「月の船」は現実的な表現をしたかったのかも
 しれない。

 私の俳句の基本は季語を詠むことから、教わった。
 一句一章、二句一章にかかわらず、詩に季語を付けるのでは
 ない。季感から感受した感動を詩に残すことがそうであり。
 どんなに素晴らしい詩が有ったとしても、推敲の時に季語が
 変わるというのは、それとは違う。
 それは季が移るというのではなく、季が落ち着かないという。
 作者も読者も詩にこだわり過ぎ、本来の「季」を忘れてしまう。
 

 

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