熊本熊的日常

日常生活についての雑記

しあわせ爺さん

2010年02月01日 | Weblog
AERAに2度目の登場となった。今回も「幸せ度」の話だが、対象が40代男性正社員に限定されている。登場、と言っても、今回は取材を受けたわけではなく、自分が答えたアンケートが要約されて掲載されているだけだ。それにしても、そのうち幸福感についての記事には常連になるのではないかとの期待が高まりつつある。

今回の特集は40代サラリーマンを対象にした調査に関するものなので、登場している人たちは総じて視野狭窄に陥っているような感がないわけではない。一生懸命働くのは社会で生きる上で当然のことなのだが、会社に勤めるという状況が永遠に続くわけではない。にもかかわらず、思考の軸足が職場とか「会社の」仕事にある人が多いように感じられる。20代とかせいぜい30代前半ならそれでも違和感を覚えることはないのだが、40代というのは俗に「働き盛り」と呼ばれていて、そのことはとりもなおさず、その先に盛りが終わった状態が待ち受けているということなのである。組織において、年齢ばかり食っていて、何の役にも立たないのに、本人の意識はいつまでも「働き盛り」のまま、という人は掃いて捨てるほどいるのではないか。それを、おそらく承知の上で、自分はそうはならないとの思い込みというか、無意識の無認識というようなものがあるように思える。

もちろん、今を生きているのだから、目先のことを考えるのは必要だ。しかし、今の日本の社会で40代の給与生活者が考えなければならないのは、会社組織という生活の支えを失ったときにどうするかということだろう。単なる幻想にすぎない「やりがい」だの、「職場の人間関係」だの、いまさらどうでもよいのではないだろうか。

いま、ふと「アバウト・シュミット」という映画を思い出した。主人公のシュミット氏が長年勤務した保険会社を中間管理職としてのポストを最後に定年退職したとき、彼の後任者が取った行動や態度は、映画なので多少のデフォルメはあるだろうが、世間の眼というものを活写していると思う。ジャック・ニコルソンの作品は好きなものが多く、いろいろ観ているのだが、この作品は自分の中では秀作のひとつである。映画について語り始めると長くなるので、今日は語らない。