熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「おとうと」

2010年02月12日 | Weblog
吉永小百合を観ているだけで満足で、ほかのことはどうでもよい、という作品。冗談はともかく、いかにも山田洋次作品という感じの安心感があった。なにがどうというのではないのだけれど、「男はつらいよ」などはDVDボックスを買おうか買うまいか、かなり真剣に悩んだほどである。結局は買わなかったのだが、現実の生活が世知辛いからこそ、たまにはこういう映画でも観て心のマッサージをしてみたい。

家族や親戚縁者が多いと、そのなかに破天荒な人物が混じるのは自然であるような気がする。私の場合は、自分自身を含めて、世間的にはどうしょうもない人々ばかりのなかで暮らしてきた。だから、小春の一回目の結婚相手のなんとなく嫌味な雰囲気などは、そういう態度を示されてきた側として、かなり納得できるものだ。若い頃は、そういう自分の状況を恥ずかしいと感じることも多かった。しかし、年齢を重ねる毎に恥という感覚が薄れる所為なのか、それなりに人生経験を積んで世間体だの見栄だのという薄っぺらなものを信じなくなった所為か、あるいは単なる慣れなのか、身の回りの人たちのことが気にならなくなった。それゆえ、吟子が鉄郎を気にかける様子も自然なことだと思えるし、一方で庄平が鉄郎に関わりあいたがらない様子も当然のことと受け止めることができる。小春が、幼い頃に鉄郎に遊んでもらって楽しい思い出を持ちつつも彼の今の姿に辟易する、複雑な感情を抱えているであろう様子も了解できた。

ちょっと困った兄弟とか叔父がいたりするけれど、他にこれといって劇的な要素のない、市井の普通の人たちの暮らしが淡々と描かれる、こうした作品を観ていると、なんとはなしに心温まるものを感じる。映像のなかに自分の生活を重ね合わせる要素を無意識に見出し、それが穏やかな結末に向かうことに安心する所為なのかもしれない。

ところで、吉永小百合の美しさは、冗談抜きで特筆ものだと思う。作品のなかで彼女の後姿が何度も登場するのだが、それが素晴らしい。首筋から肩、腰に向かうラインに抱きしめたくなるような魅力がある。以前にも書いた記憶があるのだが、体型というのは勿論体質も関係するだろうが、生活習慣、さらには人生観までをも反映するものだと思っている。どのような意識を持って日々の生活を送っているのか、どれほど誠実に日々の物事に向き合っているのか、そうしたことが食事や身体の動きという生命活動の根幹に反映されると考えているからだ。後姿の美しい人を見ると、思わず自分の背筋も伸びるような心持になる。