熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ブルガリア

2010年02月27日 | Weblog
駐ブルガリア日本大使館に勤務経験のある人とブルガリア料理レストランを訪れた。ブルガリアという国のことなど何も知らないし、関心もないのだが、ブルガリア料理というものを食べながら、ブルガリアでの彼の日々について話を聞いてみるとつくづく面白い国だと思うようになった。

「国」とは何か、ということを考えさせられた。今の時代の日本に日本人として暮らしていると、国家と民族というものを当然の如くに重ね合わせて考えるものではなかろうか。日本は日本人という民族の国である、といわれて異を唱える人はあまりいないような気がする。これには島国としての歴史によるところが大きく関係しているのだろう。

オリンピックのように国家という旗印を背負って各国の代表選手が競技を行うような場合には、おそらくどこの国においても殊更に「国」というものが意識されるよう人々が扇動されるのではなかろうか。「国」の「代表」が「世界」の「頂点」を目指して競技をする姿は、その背後にあるさまざまな物語を含めて人々に「感動」を与えることになっている。4年に一回程度、忘れかけた頃に、人々は自国の選手と自分とを同一化して情緒的に自分の拠って立つところを確認し、無邪気に安心するのである。誰が決めたのか知らないが、4年に一度という頻度は絶妙な間隔であるように思う。毎年なら日常的に過ぎて人々の関心が向かないだろうし、長すぎても意識に上りにくいだろう。忘れかけた頃にやってくる、というのが心理を刺激するのにちょうどよい間だろう。

それはさておき、ブルガリアだが、その国名は「ブルガール人の国」というような意味なのだそうだ。ところが、純然たるブルガール人というものは、もはや存在しないという。ブルガリア語にしてもスラブ語系の言語であり、ブルガリア人とは何者か、ということが私などにはよくわからない。

欧州世界をキリスト教文化圏とすると、東欧は欧州世界とイスラム文化圏との境界に位置し、それらが激しく混合した地域である。世界遺産にも指定されているイスタンブールのランドマークのひとつ、聖ソフィア寺院などは、そうした文化の混合状況の象徴だろう。そもそもキリスト教の聖堂として建設され、その地域がイスラム文化に支配されるとモスクになり、今は地政的状況が小康を得て博物館として使われている。宗教寺院という人々の精神の拠り所を象徴するものが、その時々の支配的文化によって、敵味方に分かれて戦う勢力のそれぞれに帰属するのだから、その変化の激しさは、少なくとも現代の日本で日本人として安穏と生活している私には想像を超えたものである。

トルコの隣国であるブルガリアも、こうしたキリスト教とイスラム教の文化の混在が見られるのだそうだ。ブルガール人というのはトルコ系の遊牧民だったそうだが、前に触れたように言語はスラブ語系で、国家を構成する民族はスラブ系とトルコ系とそうした人々の混血というように、所謂「民族」という枠では括ることのできない人々である。となると、ブルガリアという国を国家という存在たらしめている根拠は何かという疑問を抱かざるを得ない。

ところで、国家とは何だろうか。特定の権力とか人種とか民族といったものは、時に国家形成の原動力となることもあるが、それが全てというわけではない。ひとりひとりの人間にそれぞれのありようがあるように、国家にもそれぞれの存在事情がある。それでも敢えて一言で表現するなら、国家とは合意だと思う。人種や民族や文化を超えて、その場所で共に暮らすという合意の表現が国家というありようなのだと思う。つまり、それは確たるものではなく、共同幻想のような集団催眠にも似た感覚がなければ容易に維持できない類のものだと思う。現にソ連は崩壊したし、ユーゴスラビアも再編されている。中近東やアフリカなどの、国境線が定規を当てたような国々などは、それが維持されていることが奇跡のようなものだろう。

国という、当然にそこに在るものと信じて疑わなかったものが、実は在ることが不思議なくらい不安定なものだったと思うと妙な気分になる。突き詰めれば、自分の存在も似たようなものである。「私」とは一体何者なのか。