漸く最後の10巻目を読み終えた。この作品を読む前に「竜馬がゆく」は読むべきだと思うし、できればこの作品を読んだ後に「坂の上の雲」を読みたい。今回は順序が前後してしまったが、これらの作品をまとめて読むことで、人間というものの大きさもについても小ささについても考えることができるように思う。
「竜馬がゆく」では日本という国のあるべき姿を真剣に考えていたかのように描かれていた志士たちの多くが、いざ政府という権力側の人間になると、実は何の考えもなかったということが露呈したのが明治のはじめの頃の状況であったようだ。そのあたりの混乱を象徴したのが西南戦争なのだろう。しかし、こうした不安定というものは日本に限ったことではない。人間は基本的に変化を好まない。習慣に依存した思考や行動に走ることで精神の安定を実現する、というのは古今東西どこでも観察されていることだ。どこの国であれ、革命という急激な社会の変化が起こると、その直後に反革命という揺り戻しが起こるのは、そうした人間の性向と、行動の報酬に関する期待値と現実との乖離を埋める試みなのだろう。そうして揺れながら、時の権力者にとって都合の良い状況に着地するという過程を辿ることが多いのではないだろうか。いずれにしても、結局のところ人を動かすのは利であって理ではないようだ。つくづく人間とはなんと愚かなものかと思わずにはいられない。その馬鹿げた状況が、太平洋戦争を経て、今日まで綿々と続いている。人が変わる、社会が変わる、ということがいかに困難なことであるか、改めて思い知らされたような気がする。
「竜馬がゆく」では日本という国のあるべき姿を真剣に考えていたかのように描かれていた志士たちの多くが、いざ政府という権力側の人間になると、実は何の考えもなかったということが露呈したのが明治のはじめの頃の状況であったようだ。そのあたりの混乱を象徴したのが西南戦争なのだろう。しかし、こうした不安定というものは日本に限ったことではない。人間は基本的に変化を好まない。習慣に依存した思考や行動に走ることで精神の安定を実現する、というのは古今東西どこでも観察されていることだ。どこの国であれ、革命という急激な社会の変化が起こると、その直後に反革命という揺り戻しが起こるのは、そうした人間の性向と、行動の報酬に関する期待値と現実との乖離を埋める試みなのだろう。そうして揺れながら、時の権力者にとって都合の良い状況に着地するという過程を辿ることが多いのではないだろうか。いずれにしても、結局のところ人を動かすのは利であって理ではないようだ。つくづく人間とはなんと愚かなものかと思わずにはいられない。その馬鹿げた状況が、太平洋戦争を経て、今日まで綿々と続いている。人が変わる、社会が変わる、ということがいかに困難なことであるか、改めて思い知らされたような気がする。