陶芸を習い始めて間もない頃に作った練り込みの板作りの器がある。板作りなので、ひとつの粘度塊からいくつもできる。そのときは10客作ったのだが、改めて見るとなかなか味があるので、これらを5客ずつ収める箱を作ることにした。桐で外箱を作り、シナベニヤで棚板を作り、出前の岡持のような蓋を付けた。箱は収納のためにあるもので、その有無は器自体には何の影響もないはずのものなのだが、箱があると何故か立派な器であるかのように見える。こういうのを「馬子にも衣装」というのだろうか。衣装である箱も収める器に負けず劣らず粗末なものなのだが、箱も中に入れるものがあることで、ちょっとばかり活き活きとするように感じられるのは、作り手の贔屓目に過ぎないのだろうか。