熊本熊的日常

日常生活についての雑記

濱田庄司

2010年05月02日 | Weblog
ルーシー・リーを観たので、濱田庄司も観ておこうと思い、宇都宮まで出かけてきた。

濱田は川崎の生まれだが、1924年に英国から帰国して以降、亡くなるまで生活の拠点を栃木県益子に置いている。今回の展覧会は大阪市立東洋陶磁器美術館所蔵品によるものだが、栃木県立美術館で濱田の作品展を行うのは自然なことに感じられる。

濱田の作品は益子の参考館や駒場の日本民藝館をはじめとして、国内外至るところの美術館や博物館で観ることができると言っても過言ではない。しかし、こうしてまとまった数の作品を鑑賞するのはこれが初めてのことである。先日、ルーシー・リーの作品展を観たばかりでもあるので、その対比もできるし、一口に陶磁器と言っても多様なスタイルがあることが実感できる。

やはり、濱田の作品を眺めると、ほっとするというか、あるべきところへ戻ったような心持になる。この人は生活と道具との関係に注目していたように感じられる。1920年にバーナード・リーチに誘われてSt Ivesに渡った経験は帰国後の彼の作品を観れば余程強い影響を受けたことが窺える。その当時の日本の姿も英国の様子も日本から英国への旅も、今という時代しか経験の無い身には想像もつかないのだが、おそらく物事の考え方というような自身の存在の根本を激しく揺さぶられたことだろうと思う。彼の書いたものとか残されている言葉の断片から推察するに、それぞれの土地とそこでの暮らしの関係とか、陶芸という自分の仕事を通じて知り合った外国の同業者の生活に強い印象を受けたようだ。帰国後の生活の拠点を、生まれ育った川崎や陶芸を学んだ東京や京都ではなく、陶器の産地ではあっても陶芸とは縁の薄い栃木県益子に定めたことが、彼が英国で経験したことを端的に物語っているのだろう。

古い写真を見る限り、St Ivesの街並みは濱田が暮らした頃も今とそれほど違わないようだ。このブログの2008年6月21日22日付の「備忘録」にあるように、私もそのSt Ivesという場所を見に出かけたことがある。どのようないきさつがあってそうなったのか知らないのだが、この辺鄙な町は当時も今も芸術家が集まっている。面白いことに、芸術の町として知られているのだが、町が発展する気配が無い。そこに集まる人たちは、その鄙びた感じとか、風景の美しさに惹かれてやってくるのだろうが、惹かれる人が少ないということならば、町はこれほど有名にはならないだろうし、名前が知られている割には小さな町のままである。尤も、英国にはそういう場所は少なくない。むしろ東京のように、日本中の人が「おら東京さいぐだ」という雰囲気のあるところのほうが世界的には珍しいのかもしれない。

濱田庄司展には作品に合わせて彼の言葉がパネルに飾られている。その言葉が含蓄に富んでいて、作品もさることながら言葉と作品を一体のものとして眺めるとなお一層興味深い。展示と同じように図録には濱田の言葉も紹介されているのかと思ったら、言葉のほうは図録にはなかった。どうしても彼の言葉を改めて読みたくなり、講談社文芸文庫の「無盡蔵」と日本図書センターの「浜田庄司 窯にまかせて」をネットで注文した。