熊本熊的日常

日常生活についての雑記

今年も鴨が来て

2010年06月02日 | Weblog
東村山駅前のローターリーには池がある。この時期はそこに鴨の親子がいる。

去年の今頃、鴨の子を眺めながら、こいつらの成長するのと自分の木工の腕の上がるのとどちらが速いだろうか、などと考えていた。鴨の子の成長速度は凄まじく、月の終わり頃には、親子の区別がつかないほどに成長した。比べる対象がそもそも適切ではなかった。

先週の木工の日、鴨の親子が池にいた。子鴨は風呂場のおもちゃのようだった。今日はそれが生き物であるように見える。去年も5羽くらいの子鴨がいたように記憶しているのだが、この池にやってくるのは一羽の親鴨とやはり5羽くらいの子鴨である。鴨は育児のための場をどのようにして決めるのだろうか。自分が育った場所を選ぶとすれば、この池にはもっとたくさんの親子が居て然るべきである。ところが今年も一家だか一組だか知らないが、去年と似たような組み合わせだ。

鴨の死亡率は、おそらく人間よりは高いだろう。それにしても1年後の生存率は20%というのは過酷ではないか。確かに私のように鴨好きの人間は少なくないだろう。北京ダックなど、なぜ皮だけなのかといつも不思議に思う。北京で食べたときも、マンチェスターで食べたときも、ちゃんと身まで食卓に並び、たらふく食べたものである。それが、なぜ東京では、しみったれた出し方をするのだろう。北京ダックでなくとも、鴨は旨い。それで生存率が20%になってしまうのだろうか。

北京ダックと言えば、昔、香港に遊びに行ったことがある。社会人になって最初の正月だった。何故香港かと言うと、当時の香港はイギリス領だった。そのイギリス領と中国領との国境を見てみたかったのである。まだ陸続きの国境というものを見たことが無かった。一番近いのは北朝鮮と韓国との国境だが、当時はどちらも軍事政権だったので、物騒な気がして候補から外れた。次に近いのはソ連と中国との国境だが、これもなんとなく腰が引けてしまった。それで香港だったのである。

香港の九龍半島側にある紅?駅から九広鉄道に乗り、上水という駅で降りる。この鉄道は上水の先の羅湖が終点なのだが、上水からバスで落馬洲というところにある国境展望台というところに行くのである。鉄道のほうは大きな荷物をたくさん抱えた人たちで満員だった。おそらく中国の人たちが香港へ買い物に来ていたのだろう。上水という駅の建物は、東京郊外の新興住宅地にある新線の駅のような規格化されたものだったが、駅前は映画のセットのような簡単な作りではあるけれど、生活感がはちきれそうに詰まった市場だった。そして、バス乗り場から路線バスに乗って落馬洲で下車するのである。バスは空いていて、落馬洲で下車したのは私1人だった。田圃のようなものが広がるなかに木々に覆われた丘のようなものがあり、そこへ向かってバス通りから垂直に一本の細い道が伸びていた。その田圃のようなものが、鴨の養殖池だったのである。

東村山から香港にまで行ってしまったが、養殖池の鴨は、養殖されているだけあって、東村山の駅前の池の鴨よりは少し大きかったような気がする。計ったわけではないし、落馬洲に行ったのは1986年の1月なので記憶は怪しい。

それにしても鴨の成長は早い。私の木工の腕の成長は何と比べるのがよいのだろう。