2008年8月6日付の「PingMag」というウエッブジャーナルに「ものに恋する板金工:渓水」という記事が掲載されていた。偶然、何かのきっかけがあってそれを読み、いい話だと感心した。
知恩院と鴨川の間には、古美術品を扱う店が軒を連ねている。そのなかを新門前通が走り、縄手通と吉今旅館の間あたりに格子戸がある。その上にAERO CONCEPTの看板が出ていて、3つ並んだ表札の一番右側もAERO CONCEPTのマークだ。看板は決して小さなものではないのだが、色形様子が周囲に溶け込んでいるために、注意を払わないと見逃してしまうかもしれない。
格子戸に手をかける。ガラガラと開くわけではない。きちんと両手で持って、少し持ち上げるような感じで開く。細い路地で両側は隣家の壁が続く。突き当たりに近いところに、そこだけ別世界のような空間が浮いている。長屋で奥は人が住んでいる。格子に硝子が入った玄関の戸に手をかける。今度は片手で難なく開く。
店の人に断って店内を見せて頂く。もとは民家なので、玄関を入ってすぐ、かつて土間だった部分と座敷だった部分との段差がある。靴は脱がなくていい。広くはない。玄関の段を上がった右側、外に向いたショーウィンドーに面した位置に高さ50センチほどの硝子の天板の陳列台がある。大小さまざまのカバンや小物が並ぶ。玄関の左側奥は吹き抜けになっていて、天窓から光が漏れている。その光の下でギターケースが輝いている。光の道に照らされて壁の煤が視界に入る。この吹き抜けは台所で、煤の直下に竃があったのだろう。壁の煤に始まって、柱や梁をひとつひとつ眺めると、どれも相当な年季が感じられる。民家だった頃の姿を残しながら店舗に改装されているのである。天井が低く感じられるのは、座敷だったところを、畳から板に替えてそのままの高さで使っているからだろうし、空間の密度が濃く感じられるのは、そこが生活の場であったからだろう。その濃い感じが茶室のようでもある。
古い民家が、見方を変えることで、周囲の古美術商街とも隣の民家とも然して違和感のないカバンの店舗になる。並んでいるカバンは、飛行機の座席の骨組みに使われるジュラルミンの板である。こちらも、金属の板材にしか見えないものが、恰好の良いカバンになる。店の在りようが、単に商品のショールームたることを超えて、そこに並ぶ商品がどのような発想で生まれたかということまでをも示唆している、というふうにも見える。
このカバンの製作者である菅野さんは、誰もが知っている皮革製品ブランドや自動車メーカーなどとの提携話を断ったのだそうだ。その話を冒頭のウエッブサイトで読んだ時は、そういうことは職人気質の人には珍しいことではないのかもしれないと漠然と思っただけだった。その後、菅野さんにお目にかかり、工場にもお邪魔し、カバンのことや諸々のお話しを伺う機会に恵まれたのだが、そうした積み重ねの上でこの店舗を見て、それまでの小さな謎の断片が散らばっていたような感覚が一気に解消したような心持ちになった。もちろん私の勝手な思い込みであって、ご本人の想いは別なのだが、それでも私にとっては「腑に落ちる」という言葉を当てるのがふさわしい経験だった。
知恩院と鴨川の間には、古美術品を扱う店が軒を連ねている。そのなかを新門前通が走り、縄手通と吉今旅館の間あたりに格子戸がある。その上にAERO CONCEPTの看板が出ていて、3つ並んだ表札の一番右側もAERO CONCEPTのマークだ。看板は決して小さなものではないのだが、色形様子が周囲に溶け込んでいるために、注意を払わないと見逃してしまうかもしれない。
格子戸に手をかける。ガラガラと開くわけではない。きちんと両手で持って、少し持ち上げるような感じで開く。細い路地で両側は隣家の壁が続く。突き当たりに近いところに、そこだけ別世界のような空間が浮いている。長屋で奥は人が住んでいる。格子に硝子が入った玄関の戸に手をかける。今度は片手で難なく開く。
店の人に断って店内を見せて頂く。もとは民家なので、玄関を入ってすぐ、かつて土間だった部分と座敷だった部分との段差がある。靴は脱がなくていい。広くはない。玄関の段を上がった右側、外に向いたショーウィンドーに面した位置に高さ50センチほどの硝子の天板の陳列台がある。大小さまざまのカバンや小物が並ぶ。玄関の左側奥は吹き抜けになっていて、天窓から光が漏れている。その光の下でギターケースが輝いている。光の道に照らされて壁の煤が視界に入る。この吹き抜けは台所で、煤の直下に竃があったのだろう。壁の煤に始まって、柱や梁をひとつひとつ眺めると、どれも相当な年季が感じられる。民家だった頃の姿を残しながら店舗に改装されているのである。天井が低く感じられるのは、座敷だったところを、畳から板に替えてそのままの高さで使っているからだろうし、空間の密度が濃く感じられるのは、そこが生活の場であったからだろう。その濃い感じが茶室のようでもある。
古い民家が、見方を変えることで、周囲の古美術商街とも隣の民家とも然して違和感のないカバンの店舗になる。並んでいるカバンは、飛行機の座席の骨組みに使われるジュラルミンの板である。こちらも、金属の板材にしか見えないものが、恰好の良いカバンになる。店の在りようが、単に商品のショールームたることを超えて、そこに並ぶ商品がどのような発想で生まれたかということまでをも示唆している、というふうにも見える。
このカバンの製作者である菅野さんは、誰もが知っている皮革製品ブランドや自動車メーカーなどとの提携話を断ったのだそうだ。その話を冒頭のウエッブサイトで読んだ時は、そういうことは職人気質の人には珍しいことではないのかもしれないと漠然と思っただけだった。その後、菅野さんにお目にかかり、工場にもお邪魔し、カバンのことや諸々のお話しを伺う機会に恵まれたのだが、そうした積み重ねの上でこの店舗を見て、それまでの小さな謎の断片が散らばっていたような感覚が一気に解消したような心持ちになった。もちろん私の勝手な思い込みであって、ご本人の想いは別なのだが、それでも私にとっては「腑に落ちる」という言葉を当てるのがふさわしい経験だった。