熊本熊的日常

日常生活についての雑記

表現者が表現するもの

2010年06月18日 | Weblog
関東地方で40年ぶりの本格的な若冲展だというので、少しばかり期待をして千葉まで出かけたのだが、さすがに動植綵絵は無く、諸々の事情を推察すればそれは想定の範囲内ではあったのだが、やはり少しがっかりした。

しかし同時に、2007年5月に京都相国寺で開催された若冲展を、早起きして出勤前に観に出かけたことが今更ながらに満足された。相国寺境内にある承天閣美術館は同寺が所有する若冲の手になる「釈迦三尊像」を中心に両側に15幅ずつの「動植綵絵」が並ぶように設計されている。2007年の展覧会は、そのあるべき姿が実現したわずか22日間の夢のような展覧会だったのである。チケットを買うのに1時間近く並び、展示会場に入るのにさらに1時間近く並ぶことになり、出勤の時間も迫っているのでゆっくりと眺める余裕もなかったけれど、「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅に取り囲まれる経験というのは、今思い出しても心踊るようなものだった。

ふと、手もとのチラシに目を落すと、こんなことが書いてある。

「《動植綵絵》のような華麗な着色の作品だけが若冲の世界ではありません。」

それだけではない。そもそもこの展覧会のタイトルが「伊藤若冲 アナザーワールド」だ。「アナザー」は、動植綵絵に象徴されるカラリストとしての若冲に対して、水墨画や版画の作品群で象徴される彼の別の世界を指しているのだろう。そんなことにも気付かないなんて、と展覧会を見終わった今頃になって情けない思いをしている。しかし、この展覧会はこれとして十分に堪能できた。

西洋画の世界とは違って、現在多くの作品が残されている日本画の作家たちは、存命中に高い評価を得ていた。若冲の時代、京都の画壇では一番人気が円山応挙、二番が若冲で、三番は池大雅だったそうだ。若冲は、近年においてプライスコレクションで有名になったので、「若冲の発見」などという表現もメディアのなかで見かけるが、「発見」したのは単に「発見」した人の教養が足りなかったというだけのことであって、決して無名の画家であったわけではない。

これも少し考えれば気がつくのだが、動植綵絵のような作品群を残していること自体、彼が並々ならぬ経済力を持っていたことの証左だ。今も和絵の具は比較的高価だが、あれほどの写実的で大判の作品を多数描くことができたということは、その画材を揃え、完成までの収入を支えるだけの経済力がなくてはならない。自分に経済力が無いならば、よほど懐の深いパトロンでもいない限り生活が成り立たない。

彼が画業に専念するようになったのは40歳を過ぎてからだ。彼は京都の青物問屋の4代目として生れ、40を過ぎて隠居ができる身分になると、さっさと弟に家督を譲って隠居してしまう。そこから85歳で亡くなるまで、若冲ワールドが展開するのである。当然、才能も豊かだったが、それを開花させる環境にも恵まれていたということだろう。そうした余裕があるからこそ、観るものの緊張感を解きほぐすような、どことなくおっとりとした絵画世界を実現できたのだと思う。

恒産無くして恒心無し、ということが常に言えることなのかどうか知らないが、芸術に限らず人の心を動かすものは良きにつけ悪しきにつけ余裕ではないかと思う。「余裕」の意味するところが必ずしも経済的なものではないのだが、どれほど才能と環境に恵まれていたとしても、一途に過ぎると感動よりも畏怖の念を呼んでしまうのではないか。そうなるとスイートスポットが狭くなり、特定の嗜好を持つ人にしか受け容れらないものになってしまう。観る人がそれぞれの経験に照らしてそれぞれに楽しむことのできる作品を創造するには、作家の側にも自由な解釈を受け容れる度量の広さのようなものがないといけないのではないだろうか。若冲の作品の背景にあるのは、経済力という現実的な余裕もあるのだろうが、描く対象に対する慈愛のようなものであるように思われる。若冲が描く動物も植物も微妙な愛嬌があるように感じられるのは、描く対象に対する若冲の自愛に満ちた眼が反映されているということだろう。

ところで、若冲は本物の象を見たのだろうか。