初めてタッチラグビーというものを経験した。ラグビーを簡単にしたようなスポーツで、老若男女誰でもそれぞれに楽しめるようにと考案されたものらしい。ルールも何も知らないので、今日は講習会というものに参加した。
場所は大森の東京ガスグランド。天然芝で見た目にも足の感触も気持ちがよい。ここで10時から13時まで多少の休憩を挟みながら汗を流した。球技というのは、ボールを媒体として競技者が組織的に行動するものだ。そこで社会性であるとか行動戦略といったものを自然に学習するのだろう。社会性というと身近なことには感じられないが、要するに他人を信頼する感覚ということだ。自分が自分の持ち場で最善を尽くし、相手も同じように努めているという前提の下に、自分の成し終えた作業を相手に託す。相手を信頼しなければ託すという行為は成り立たない。また、信頼することは自分も信頼されるように務めることでもある。相手に対する信頼感と自分自身の誠実さは、おそらく均衡しているのではないだろうか。いい加減な人間は、他人もいい加減だと思うから他人を信用できない。誠実な人間は他人も同様に誠実であることを前提に物事を考えるだろうから、他人を信頼するということを知っている。そんなことを思った。
ふと、自分がそのような他人との密な関係を殆ど経験していないことに気付いた。スポーツだけが信頼感醸成の手段ではないが、チームワークというものを体感する場として、スポーツというのは最も身近なものであるように思う。今頃そんなことを思っても何が変るわけでもないだろうが、今まで思いもしなかったことを思うということ自体が、なんとなく楽しいことでもある。
場所は大森の東京ガスグランド。天然芝で見た目にも足の感触も気持ちがよい。ここで10時から13時まで多少の休憩を挟みながら汗を流した。球技というのは、ボールを媒体として競技者が組織的に行動するものだ。そこで社会性であるとか行動戦略といったものを自然に学習するのだろう。社会性というと身近なことには感じられないが、要するに他人を信頼する感覚ということだ。自分が自分の持ち場で最善を尽くし、相手も同じように努めているという前提の下に、自分の成し終えた作業を相手に託す。相手を信頼しなければ託すという行為は成り立たない。また、信頼することは自分も信頼されるように務めることでもある。相手に対する信頼感と自分自身の誠実さは、おそらく均衡しているのではないだろうか。いい加減な人間は、他人もいい加減だと思うから他人を信用できない。誠実な人間は他人も同様に誠実であることを前提に物事を考えるだろうから、他人を信頼するということを知っている。そんなことを思った。
ふと、自分がそのような他人との密な関係を殆ど経験していないことに気付いた。スポーツだけが信頼感醸成の手段ではないが、チームワークというものを体感する場として、スポーツというのは最も身近なものであるように思う。今頃そんなことを思っても何が変るわけでもないだろうが、今まで思いもしなかったことを思うということ自体が、なんとなく楽しいことでもある。